■あるひあひるに





夜のバイトに出掛けるべく玄関の鍵を掛けていると、隣室の男がちょうど帰って来た。
「お疲れさん」
「おう、お帰り」
ゾロと年が近い美大生だ。
あまり人の顔をおぼえないゾロだが、この男だけは特徴的な鼻の長さをしているので面識があった。
確か、ウソップとか言ったか。
顔を合わせると挨拶する程度の仲だが、随分と気の良さそうなのは雰囲気でわかる。
ウソップは通り過ぎた後、ふと足を止めてそのままバックで戻ってきた。
「あの、つかぬ事を伺うけど」
「あ?」
振り返ったゾロの眼力に怯えるから、少し視線をずらす。
「最近、別の人と・・・住んでる?」
ゾロは視線をめぐらしたまま僅かに首を傾けた。
このアパートは安普請だから、隣室でコンセントを抜いてもその音が聞こえる。
留守なのに毛玉がウロウロしていたら、やはりわかるのだろうか。
応えないゾロに、ウソップは申し訳なさそうに癖毛の髪を掻き混ぜた。
「や、いいんだけどよ。昨日あんたが帰ってくる前にゴミ袋持って部屋から出て来た人いたからさ。夜中にゴミ出してんの、大家さんに見付かったらうるさいぞと言おうと思って」
「そうか、ありがとう」
純粋な親切心からの忠告だから、ゾロは素直に礼を言った。
そんなゾロの態度に気をよくしたか、ウソップは数歩近付いた。
「ちらっとしか見てないんだけど、すごい美人さんだろ」
「そうか?」
毛玉は美人なのかと、感心しながら耳を傾ける。
ゾロの素っ気無い応対を逆に照れていると勘違いして、ぺらぺら話し出した。
「後ろ姿だけで顔とか見てないけど、夜目にも綺麗な金髪だった。んで、ゴミ袋持ってる手がめちゃくちゃ白くてそればっかりが印象に残っている」
「そうなのか」
「そうなのかって」
このこのうとウソップはゾロを肘で突くような仕種を見せた。
「背が高くて仕種がすごくボーイッシュな気がしたけど、女の子・・・だよな?」
その問い掛けにも、僅かに首を傾けてゾロは正直に答える。
「わからん」
「・・・え?!」
悪いこと聞いたとでも言うように、ウソップはどこかバツの悪そうな顔でそのまま後退りする。
「まあ、じゃあよろしく」
「ああ」
なにによろしくなのか、毛玉によろしくなのか。
よくわかっていないまま、パタンと閉まった隣室のドアを眺めた。
再度鍵を確認して、そのままゾロも出掛けて行った。


  * * *


とは言え、ウソップの毛玉目撃情報はその日ずっとゾロの頭の中を占めていた。
単なる白い羽根まるけだと思っていたのに、実は金髪だったのか。
色が白くて背が高くてボーイッシュと言うことは、もしかして雄じゃないのか。
毛玉を家に持ち込んで随分経つが、一度も持ち上げたりひっくり返したりしたことはなかった。
放っておいても健やかに眠っているようだから、それでいいと放置していたのだ。
一度、雄か雌かくらいは確認しておいてもいいもんだろうか。
つか、毛玉の雄雌はどう判断するのか。
機械的に手を動かしつつも、始終毛玉のことばかり考えて過ごしあっという間にバイト終了時刻を迎えた。

夜中に帰っても、きっと部屋の中は暖められて作ったばかりの料理が食卓に並べられているのだろう。
そう思うと、自然と足取りも軽くなる。
気のせいか、自宅に帰る時間もぐんと早くなったように思えた。
以前は片道10分くらいの距離を1時間以上掛けて帰っていたのに。
アパートのすぐ傍のコンビニに差し掛かって、ふと踵を返す。
煌々と灯りがともる店内の、いつもならゾロには縁のないデザートコーナーへと自然と足が向かった。
殆ど売切れてしまってはいるが、新発売の苺満載春色ケーキが一つ残っていた。
毛玉は、甘いものを食べるだろうか。
よくわからないが、金髪で色白ならスイーツくらい欲しがるかも知れない。
いらなかったら、自分で食うからまあいいや。
そう心中で言い訳して、それ一つをレジに持っていく。
母の日以外、誰かにプレゼントなど買ったことのないゾロが、生まれて初めて自分以外の誰かのためにモノを買った。

「ただいま」
声を掛けても、相変わらず毛玉はタオルの中に潜ったきりだ。
テーブルには予想通り、上手そうな料理の数々が並べられている。
今日はビーフシチューらしい。
ありがたい、温まる。
ゾロは買って来たデザートを冷蔵庫の中に入れ、少し考えてメモを添えた。
「いつもありがとう。食え」
毛玉に文字が読めるかどうか微妙だが、ゴミの日がわかるくらいだから大丈夫だろう。
そうして、いただきますと行儀よく唱えて料理に箸を付けた。


  * * *


ぐっすり眠った翌朝、相変わらず時間ギリギリに目を覚ますと午後のバイトに出掛けるべく慌しく顔を洗った。
台所に行けば、テーブルの上にはすぐ食べられるように小さめのサンドイッチが作ってあった。
これはありがたいと、齧りながら身支度を整える。
冷蔵庫を開けてみると、毛玉用に買ったデザートはなかった。
―――食ったのか。
にまりと笑い、黙って冷蔵庫を閉める。

サンドイッチをもぐもぐしながら寝室にとって返し、タオルに包まれて眠る毛玉を日の当たる場所まで持っていってその背を撫でた。
相変わらず丸まったまま、顔を見せない。
けれどほのかにバニラと苺の匂いがして、ゾロは柔らかな羽毛にそっと唇を寄せ「行ってきます」と囁いた。




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