■あるひあひるば





ウソップがこのアパートに引っ越してきてからそろそろ一年が経つ。
角部屋の隣人はそれより以前から住んでいたようだが、出掛けに偶然行き会えば会釈する程度の間柄だった。
一年近くもそうだったのに、最近その関係性がガラリと変わった。
なぜかいま、その隣人と同居人がウソップの部屋にいるのだ。
しかもなにやら揉め事らしきタネを持って。

「水着のままで入れる銭湯って、あるんだろウソップ」
「んなもん銭湯と言えるか、裸の付き合いこそ公衆浴場の醍醐味じゃねえか。なあウソップ」
「野郎と裸の付き合いしてなにが楽しい。どうせだったらビキニのレディがいる銭湯がいい」
「んなもん、ただのプールだろうが」
「あのー・・・もしもし?」
ウソップは、サンジが淹れてくれた薫り高い紅茶をずずっと啜ってから、静かにカップを置いた。
「何でそういう話を、俺の部屋でしてるのかな君達」
「だってこいつが訳わかんねえこと言うから!」
憤然とテーブルを叩いたのはサンジだ。
「お前が聞き分けねえからだろうが」
ゾロは憮然として腕を組んでいる。

ウソップの、狭いながらもアーティスティックな四畳半にいきなり押しかけてきた隣人は、カラフルにペイントされたテーブルを挟んでさっきから激論を交わしている。
と言っても、論点は銭湯に行くか行かないかの2択だったりする。

「4丁目の雛の湯、あそこでいいじゃねえか。改装したとこでそこそこ綺麗だし、回数券持ってる奴知ってるぜ」
「よし決まりだ、そこに行こう」
「やだって、なんでそんな赤の他人と一緒に風呂に入らなきゃ行けないんだよ」
どうやらサンジは銭湯に行きたくないらしい。
けれどゾロはサンジと一緒に風呂に入りたいと、そういうことか。

「サンジは、銭湯行ったことないのか」
「ねえよ、んなもん」
即答されるのに、さもありなんとウソップは納得した。
サンジの見てくれからして、純粋な日本人には見えない(厳密に言うとゾロもそうなのだけれど)
帰国子女かなんかでずっと異国で育ってきたから、日本の銭湯文化には馴染みがないのだろう。

「いいか、ただ風呂に入るだけじゃない。一緒に湯船に浸かることで身も心もリラックして・・・こう、赤の他人でも垣根を越えるっつうか妙な連帯感が生まれるっつうか、和の精神は公衆浴場から生まれるっつうか」
「意味わかんねえ」
ゾロの下手糞な説明をバッサリと切った。
その取り付く島もない態度に、ちょっとゾロが気の毒に思える。

「確かに、一緒に風呂入ったりすると距離はぐんと近くなるな」
乗ってやれば、ゾロは我が意を得たりという風に目を輝かせ頷いた。
「だろ?しょぼくれた爺さんとでも『いい湯だなあ』ってだけで話が弾む」
「うるさいガキとかおっさんと一緒に叱ったりな」
「お前、ガキん時叱られたクチだろ」
「お前だってそうだろ」
「まんまと石鹸の上に足が乗ってすっ転んだ覚えがある」
ウソップとゾロの話が弾みだすと、サンジは面白くなさそうに口先を尖らせて持ってきたケーキをフォークで削った。
ウソップはレモンケーキのアイシング部分が気に入って、ついそこばかり先に食べてしまう。

「とまあこういう風に、銭湯と言うのは裸の付き合い、人との触れ合いの中で温かい想い出が残る特別な場所とも言えるんだ。折角だから、行ってみたらどうだ。何事も経験だろう」
「・・・けど、銭湯では水着禁止って言うし」
「当たり前だろうが」
「いまどき、修学旅行生でもすっぽんぽんで風呂に入るぞ」
二人掛かりで頭ごなしに説得され、サンジはぶーと上唇を震わせた。
「そんなはしたない真似、俺は嫌だね」
「どんだけ厳格な家庭に育ったんだ」
「爺さんの躾が厳しかったんだな」
「爺さんって、バラティエの前オーナーか?」
ウソップの言葉に、サンジがはっとして振り返った。
ゾロは「まずったかな」と思ったが、特に口止めは考えていなかったから知らんふりをしている。

「ジジイのこと、知ってんのか?」
「いや、俺前にバラティエのことネットで調べたから言ってるだけだ。なんでもめっちゃ美味い店だったらしいじゃねえか。今は、それほどでもねえのかなあ」
その言葉に、サンジはへにょんと眉を下げた。
「お前の爺さんって、亡くなったのか?」
「―――ああ」
「そうか、それは大変だったな。寂しくなったろう」
ウソップの労いの言葉に、ゾロは今更ながら遅れを取った気がした。
サンジは身内を亡くして路頭に迷う状態だったのだろうに、そのことに対して何も悔やみも悼みも言っていない。

「あ、あのな」
「ん?」
サンジが顔を向けると、ゴホンと咳払いしていきなり居住まいを正す。
「ご愁傷様でした」
「・・・はあ、どうも」
なにを今更と、ウソップと二人で動きを止めてからぶっと噴き出した。
「なんだよ、改まって」
「いや・・・」
「もういいよ、なんだよ二人とも」
ケラケラ笑いながら、新しい紅茶を淹れ直す。

「わかったよ、取り敢えず部屋の風呂で予行練習してみよう」
サンジがそう言うと、ゾロがぱっと目を輝かせた。
「そうか、一緒に入るか」
「ん、まず人と一緒に入るってことに慣れねえとな」

「・・・あのーもしもし?」
ウソップは唖然として目と口を開いた。
「なに言ってんだ、銭湯に行くとか行かないとかの話じゃねえのか?」
「そうだよ、だからまず部屋の風呂で一緒に入ってみねえことには」
「今晩早速入ろうぜ、なになんてことねえ。大丈夫だ」
「―――は?」
部屋の風呂と言えば、人一人が膝を曲げて何とか肩まで浸かれるくらいの窮屈さだ。
あの風呂に、二人で入ると。
しかも、サンジはともかくゾロはものすごく満足そうだった。
もしかして、ゾロは最初からこれが目的だった?
え、なんで?
もしかしてそういうこと?
つか、サンジ気付いてんのか。
ゾロの邪まな目的に気付いてんのかああああ?

「ウソップどした?お代わりいらね?」
「・・・や、いる」
落ち着くために淹れ立ての紅茶をごくりと飲んで、アチチチチと叫んでみる。
「大丈夫かよ。んじゃ早速水着買いに行かなきゃな?」
「は?」
アチチチと水を飲みに台所に走ったウソップの後ろで、ゾロがビックリ顔で振り返った。
「水着、だと?なんでだ」
「はあ、お前と一緒に入るんだろ」
「家の風呂に入るのに、なんで水着だアホかお前は」
「アホとはなんだアホとは、それが嗜みってもんだろうが」
「おいちょっとウソップもなんか言ってやれ」
「生憎だが俺は彼女がいるから、お前らにはこれ以上付き合えねえ」
「え?この野郎彼女いるの?鼻のくせに」
「関係ねえだろうが」
「誰が鼻だ!」

その日、ウソップの部屋では夜遅くまで無駄な議論が続いていた。



END



あるひあひるば(揉め事中)