■あるひあひるね



面接の時間があるからと、今日はサンジが先に家を出た。
今までゾロが留守の間にあれこれとしていたらしい状況を思うと、随分と進歩?したものだ。
「履歴書あんのか?つか、身元保証人とかいるのか?」
「おう、ばっちり準備してある。保証人は前の職場のスタッフが引き受けてくれてるし、大丈夫だって」
サンジは大袈裟に肩を竦めて見せて、心配ないと唇を尖らせた。
怪しげな毛玉であっても、一応人付き合いはあったらしい。
ホッとするような、少し寂しいような、複雑な想いで足取り軽く出掛ける姿を見送った。
「さて」
今日からは留守番がいない。
そう思って、戸締りを厳重にして出掛けようと思う。
忙しい朝にも綺麗に片付けられたキッチンを眺め、畳まれた布団を見てふと箪笥に手を掛けた。
横に引けば、箪笥の形に日焼けして薄汚れた壁は退けた部分だけ綺麗なままだ。
ずずっと真横に移動させる。
どこまで動かしても、あの大穴が現れない。
とうとう、箪笥一棹分移動させても、壁の穴は見付からなかった。
穴どころか、埋めた後も皹の一つも、空いていた痕跡すら見付からない。
「?」
ゾロは黙って首を傾げ、そのままそろそろと箪笥を元に戻した。
まあ、こういうこともあるだろう。

玄関を出て鍵を掛けていると、隣室のウソップも大きな鞄を肩から提げて出てきた。
「おはようっす」
「おっす」
すっかり顔なじみになったご近所さんに、挨拶だけ返して行き掛けて足を止める。
サンジとも知らない仲ではないのだから、一応同居の話はして置いた方がいいだろう。
「今度、一緒に暮らすことになった」
「あ、誰と?」
鍵を確認しながら、ウソップが鞄を持ち直す。
「あのー、隣に住んでた、サンジってのと」
「あーサンジか・・・って、え?」
なに言ってんの?とばかりに、ウソップは大袈裟にどんぐり眼を瞬かせた。
「今度って、ずっと一緒に暮らしてたんだろ」
「いや、昨日から」
「え、そうなのか?んじゃずっと通ってたのかサンジ」
「通ってたっつうか、あいつ隣に住んでたって」
おいおいおいと、ウソップは引き攣った笑みを浮かべて顔の前で手を振って見せた。
「なに言ってんだよ、隣に住んでんの俺じゃん」
「ああ」
それはそうだ、隣人だからこうして話している訳で。
「そっちじゃなくて、こっちの―――」
そう言って、ゾロはウソップの部屋とは反対側に指を指し、はっとして動きを止める。
「またまたー冗談は止してくれよ、ゾロんとこ角部屋じゃん」
そうだった。
指差した先は、手すりと非常階段しかない。
ここは、一番突き当たりの部屋だった。
「・・・だった、なあ」
「もしもーし、大丈夫ですかー」
半笑いながら若干不安そうにゾロの顔を覗き込み、まあ春だからなと勝手に結論付けた。
「寝ぼけたままバイトすんじゃねえぞ」
「先に授業で寝るから大丈夫だ」
違えねえと笑いながら、ウソップは先に階段を下りていった。

そうか、俺は角部屋か―――
もう一度振り返って、自分の部屋を見る。
わかっていたことなのに、すっかりと忘れていた。
壁に穴が空いていたことも、その隣に住んでいると言われた時も「ああそうか」となんの疑いもなく信じてしまった。
実際そこに、サンジは“戻って”一晩眠っていたはずだ。
―――まさに、狐にでも抓まれたような。

ゾロは掌で自分の顔を撫で、確かめるように大きく息を吐いた。
まあ、そういうこともあるだろう。


   * * *


それでも、なんとなくその日一日は不安感が付きまとった。
得体の知れないモノを部屋に住まわせたという恐怖ではなく、掴みどころのない存在のサンジが、ちゃんと戻ってきてくれるのかと言う心配だ。
だから、バイト中も気はそぞろで。
深夜までの勤務を終えてようやく帰途に着いた時、遠くからでもアパートの部屋の明かりが点いている事にほっとした。
階段を上がり、ドアの前に立つまでもなく食欲をそそる匂いが疲れた身体を出迎えてくれる。
ドアノブを回せば、鍵は掛かっておらずすんなりと開いた。
用心のためにも、部屋にいる時でもきちんと戸締りしておくように言ってやろう。
そう思いながら、ニヤつく表情を隠し切れずにドアを開ける。
「ただいま」
「おかえり」
サンジはレードルを持ったまま笑顔全開で振り返る。
「聞いて驚け、職が決まったぞ」
「ああ、よかったな」
「一発合格だぜ、すげえだろ」
「そりゃすげえ」
「そんでな、面接の時にな―――・・・」

パタリと閉まったドアの向こうには、温かな空気と美味しい料理。
そして、今日あった出来事を語るサンジの声がいつまでも続いていた。



END


あるひあひるね(謎だらけ)


back