■あるひあひるが





頬をチクチク刺すような痛いほどの冷気の中、ゾロは足早に家路に着いた。
深夜のバイトを終え、さっさとアパートに戻って酒でも飲んで眠りたいのに、いっかな見知った場所に出ない。
幼い頃からよく起こる現象だから今更戸惑いはしないけれど、こんな風に寒さが厳しい真冬の夜は無駄に彷徨したくはなかった。

どこか暖かい場所で一休みするか。
そう考えて足を止め道端に白いものが落ちているのに気付いた。
丸くてふわっとしている。
ぱっと見毛糸の塊に見えて、それにしてはやや大きい。
そっと近付いてみると、凍て付いて固いアスファルトの上に、それは蹲っていた。
時折吹く風に煽られて、逆巻く羽根は真っ白で。
どっちが頭かわからないが、動物のようだ。
ゾロはしばらく繁々と眺めていたが、よく見れば背中?の辺りがほんの少し上下していた。
呼吸している。
生きている。
ゾロは両手でそっとその塊を抱き上げた。
柔らかく見えた羽根は強張って、半分凍りかけていることに気付く。
それでも、腹の裏辺りは暖かい。
水かきのついた、やや不恰好な大きな足が縮こまっていて、それごと胸に抱え上げてジャンパーの懐に入れた。
立ち上がり、さてどうするかと適当に歩き角を曲がったら、見覚えのあるアパートの前に出た。



部屋に入ると、灯りを点けるのもそこそこに真新しいタオルを出した。
それで白い毛玉もどきをくるみ、ストーブの近くに置く。
灯りを点けて、部屋が暖まるのも待たずに買ってきたコンビニ弁当を広げ冷たいビールで流し込んだ。
風呂を沸かすのも面倒で、着替えもせずにそのまま万年床に入り、せっかく温まり始めたストーブも消してさっさと寝てしまった。



    * * *



翌朝、何台目かの目覚ましに叩き起こされてギリギリの時間にやっと起きだした。
おざなりに顔を洗い、朝食も摂らずに部屋を飛び出しかける。
ふと思い出して、ストーブの傍に戻った。
ゆうべの毛玉は相変わらず丸まったまま、タオルの中に包まれていた。
触れてみれば柔らかく暖かい。
死んではいないようだ。
ちょいちょいと触っても顔を出さないので、ゾロは諦めて立ち上がった。
閉め切っていたカーテンを開け、日が射す場所にタオルごと毛玉を移動させる。
今日は1日、いい天気だろう。
白い羽毛が朝日を弾くのを横目に見ながら、ゾロは大学に出掛けた。



    * * *



授業を終えてその足でバイトに出掛ける。
常時掛け持ちしているから、帰宅はいつも深夜に近い。
帰りに鳥の餌でも買うかと思っていたが、コンビニには売ってなかったので諦めた。
今夜は比較的短時間でアパートに辿り着いて、部屋に入ろうとして足を止めた。
灯りが点いている。
今朝、消し忘れただろうか。
首を捻りつつ、鍵を開けて部屋に入った。
が、慌てて外に出る。

ドアを閉めて部屋番号を確かめるも、間違いない。
もう一度ドアを開けて中を覗いたが、確かに今朝とは全然違っていた。
ストーブでほどよく暖まった部屋は、食欲を刺激する美味そうな匂いに満ちている。

弁当殻が雑然と積まれていたシンクは片付けられ、すっきりと整理されていた。
敷きっぱなしだった布団も畳まれ、隅に埃が溜まっていた部屋も隅々まで綺麗になっている。
心なしか部屋全体が明るい。
ゾロは目を白黒させながら、まずは落ち着こうと台所に立った。
ピカピカに磨き上げらたシンクには、鏡のように自分の顔が映る。
そして振り返れば、テーブルの上には湯気を立てたご馳走が並べられていた。
まるで、今作ったところのように。

ゾロはしばし固まっていたが、ぐぐうと鳴る自分の腹の音に促されてテーブルに着いた。
どんな罠か幻かはわからないが、せっかくだから食べないと勿体ない。
恐る恐る箸を付ければ、その美味さに手が止まらなくなった。
酒を飲むのも忘れ、ひたすらに掻き込んだ。
息を継ぐのもそこそこに食べて飲んで、すべて平らげてしまっていた。
あとから思うに、使われていた材料は冷蔵庫の中のものだろう。
賞味期限が切れたハムやら萎れた野菜やら、いつからあるかわからない卵だったが見事にご馳走に変えられていた。
腹が満ちて一息吐いて、はたと布団の横に目をやる。
今朝、出掛ける前と同じように、タオルに包まった毛玉がいた。
相変わらずすうすうと息をしているのに、顔を上げない。
ゾロはその背中をひとしきり撫でたあと、湯気の気配に誘われて風呂場に行った。
ちょうどよい湯加減で風呂が張られている。
ゾロはそのままゆっくりと風呂に入り、ホカホカした身体で布団を敷いて、タオルごと毛玉を抱き込んで眠りに就いた。




END


あるひあひるが(落ちていた)



back