Miracle milk


青い空に入道雲がモクモクと沸いている。
頭上では賑やかに鳴くウミネコ達。
海は凪いで風が穏やかだ。
いい気持ちで波に揺られながら、サンジは新しい恋のときめきに胸を押さえていた。
ああ愛しい×××、君を一目見たその日から、ボクのハートは留まることを知らぬエレファントホンマグロのように、
恋の渦潮を逆巻きながら回り続けているのさbaby。

ああ、胸の動機が止まらない。
っつうかなんか、激しく痛い。
痛い、イテっ、触るといてえ。
なんかウミネコうるさいし。
ぎゃあぎゃあニャアニャア・・・うあああああああ





「ほんぎゃーっ」
バチッと音が立つほどいきなり目を見開いて、サンジは飛び起きた。
胸の痛みは明確な激痛となって起こした身体に襲い掛かる。
「うあ、って〜〜〜〜」
胸を押さえながらも、寝ぼけ眼を薄暗い部屋に走らせば、窓から差し込む月明かりが赤ん坊をあやすナミを
浮かび上がらせた。
「あ、ああああナミさんっ、ごめん!」
「いいのよサンジ君、あーよしよし」
麗しのナミにあやされているのに、まるで関係なく火のついたように泣き叫ぶ赤ん坊はサンジの子どもだ。
これで息子なら「この罰当たり」と本気で叱咤しかねないが、なんせ娘なのでやることなすこと可愛いばかり。

「ああ、ラアダちゃんごめんねえ」
手を伸ばしかけてイテテと呻く。
「だいぶ張っちゃってるでしょう。ちょっと搾った方がいいんじゃない。その間、ラダは私が見てるから」
「ううう、すまねえナミさん。ちょっと待ってて」
サンジはナミに背を向け流しに向かうと、シャツをはだけて胸を出した。
普段は薄い胸がほんのりと膨らんでいるが、今はそれが妙にいびつな形に張って青筋が浮き、角ばっている。
こうなると搾るために触れるのもためらわれるほどに、痛い。
「う、いて、いてててて」
乳首の根元をふにふにと押して促せば、最初はたらたらと零れる白乳がそのうち勢いよく飛び出始めた。
シャーシャーと景気の良い水音が暗いラウンジに響く。

「ごめん、ラダが泣いたから降りてきてくれたんだね」
「ちょうど飲み物でもって思ってたの。サンジ君よほど疲れてたのね。おっぱいあげたら、またゆっくり眠りなさいね」
ちょっと前まではラダが泣く前に目が覚めるほど過敏になっていたのに、島を出て航海をするようになったら何故か
前より眠りが深くなってしまった。
今回のようにラダが泣いていても目が覚めないなんて、かなり重症だ。
「ちょうど見張りだし、こうして夜中にラダの面倒見られるの、私ちょっぴり嬉しいのよ」
「お待たせ。ほんとにごめん」
シャツで前を隠しながら、サンジがナミに両手を伸ばす。
泣き通しのラダを受け取ると、くるりとナミに背を向けて椅子に腰掛けた。
程なくラダの泣き声は止み、んくんくと無心に貪る音が静かに響いた。


「私がベルメールさんに拾われたのも、多分ラダくらいの赤ん坊だったって聞いてるわ」
ナミは自分の分のコーヒーを入れ、サンジのためにミルクを温める。
「赤ん坊の世話って本当に大変。綺麗ごとだけじゃすまないもの。昼でも夜でも関係なく飲ませなきゃいけないし、
オムツも替えて、理由もなく泣いていてもそれをあやして・・・きっと自分の子でも耐えられないと思うほど、大変だと思うわ」
ナミの言葉に、サンジは横顔だけ向けて頷いた。
実際、ラダが生まれてからのこの半年ほども、実に大変だった。
皆が代わる代わる面倒を見てくれたからこそ、ここまで来れたと思う。
もしも自分とゾロの二人だけだったら・・・最悪一人でラダを育てていたら、果たして無事に育ったか自信がない。
「でもね、ベルメールさんは私を育ててくれたの。赤の他人なのに、どこの馬の骨かわからない子どもなのに。
 大切に育てて、ノジコと一緒に娘として愛してくれたわ。私、だからこうしてラダの面倒を見られるのがとても嬉しい」
「ナミさん」
「ねえ。こんな一時的にしか赤ん坊に触れてないのにベルメールさんの気持ちがわかるなんておこがましいこと
 言わないけれど、でもとても嬉しいの。改めてベルメールさんの愛が感じられて。私、愛されていたんだなあって―――」
サンジの前にミルクをそっと置く、ナミの瞳は潤んでいる。
「ラダは世界一幸せな子よ。ゾロに、サンジ君に愛されて。みんなに愛されて大きくなるんですもの。私がベルメールさんや
 ノジコに愛されたように」
「そう、そうだねナミさん」
サンジは穏やかに微笑み、眉間に皺を寄せて一心不乱に乳を吸うラダを見下ろした。
「だから、私たちにも幸せを分けてくれて、ありがとうサンジ君」
「え?」
ふと顔を上げるサンジに、ナミが片目を瞑る。
「ラダのお陰で私たちもとても幸せ。今度ばかりは、サンジ君は勿論ゾロにも、感謝してるのよ」
「・・・ナミさん」
サンジは顔を赤らめて、おろおろとラダの顔と何故かミルクの入ったカップを見比べている。
「じゃ、私は見張りに戻るわね。おやすみなさいサンジ君。ラダ」
「ありがとう、お疲れ様」

ナミが颯爽とラウンジを出て行ってしまってから、サンジはそっとミルクに手を伸ばした。
一口飲めば身体の隅々まで染み渡るほどに、暖かく甘い。
サンジの胸では、ラダが相変わらずの仏頂面で、それでも無心に小さな乳房を頬張っている。
―――そう言えば、母体の気持ちで乳の味も変わるって聞いたな
幸せな気分で授乳すれば、とても美味しいミルクになるのだと聞かされた。
多分ラダは、今最高に美味なる母乳を飲んでいるのだろう。
「この、幸せモノめ」
サンジは一人笑いながら、愛しい誰かに良く似た縦皺を指で軽く突付いた。








そんな感じで順調に再開された海賊生活。
けれどサンジには今、割と深刻な悩みがある。
それは――――

乳が、出すぎるのだ。


思えば、最初の頃から授乳に関しては問題が多かった。
勿論赤ん坊の世話は授乳に始まり授乳に終わるようなもので、子育てのもっとも基本かつメインとなるものだけれど、
それがこれほど大変なものだとは想像もしていなかった。
まず痛い。
普通に吸わせるだけだと思っていたのに、最初のうちは乳の含ませ方が浅かったせいか、乳首が切れて授乳のたびに
飛び上がるほど痛かった。
乳輪の辺りがあかぎれたようにヒビが入って血が滲み痛む。
赤ん坊の口に入るものだから下手に薬など塗りたくはないし、どうしたものかとチョッパーがオロオロしていたら島の
産婆さんが教えてくれた。
自然に滲み出てくる乳が傷の治りを早くしてくれると。
だからともかく、痛いのは暫くの辛抱だからなるべく赤ん坊に大きく口を開けさせて深く含ませるようにと指導され、
そのとおりにしていたら程なくあかぎれは治った。
つくづく、人体の神秘に驚かされる。

乳輪あかぎれ問題はそれで解決したが、今度は乳の張りにまた悩まされた。
なんせ、ラダの泣き声を聞いただけでキーンと胸が張ってしまう。
片方を授乳していれば、空いているもう片方からもシャーシャーと勢いよく乳が噴き出、当てたタオルをどぼどぼに
濡らしていく。
授乳した後はすべてのコリが解れたように身体が楽になり、胸も柔らかくて何をしても軽い。
だが暫くするとまた乳が張り始め、そうなると次の授乳時にラダが吸い尽くしてくれるまで胸から肩、腕に至るまで
巨大なコリの塊を抱えているかのように張って軋むように痛んだ。
なので、そのうち授乳を待ち望むようになって、ラダが泣くとはサンジは嬉々として母乳を与え―――
結果、ラダは腹を壊した。

「サンジ、赤ん坊だって飲みすぎは苦しいんだよ」
チョッパーに懇々と説教され、サンジは深く反省した。
いくらラダがゾロに似てよく飲みよく眠るとはいえ、自分がすっきりするまで吸わせ続けるのはさすがにまずかったようだ。
「ごめんなあラダちゃん」
授乳後に必ず泣いていた小さなラダは、実は苦しかったのだと知ってサンジは激しく落ち込んだ。
自分の娘を、こんな馬鹿馬鹿しいことで苦しませていただなんて・・・俺は親失格だ!

深く反省しラダへはほどほどの授乳に留めてそれなりに家事にも頑張っていたサンジだが、ラダの歯が生え始めた頃から
今度はやたらと噛まれるようになった。
これが結構痛い。
チョッパーは「生え始めだからむず痒いんだろう、しばらくの辛抱だよ」と言うが、これも結構辛い。
子どもだから力加減もなく、どこか怒っているかのように思い切り噛む。
授乳の度にそれではやはり気が重くなって、ゆったりした気分ではいられなくなってきた。
そんなサンジに追い討ちをかけるかのような突然の発熱―――
頃合よく次の島に到着したので、サンジはそのまま島の病院にかかった。
診察結果は乳腺炎。
幸い、炎症を起こした部分を切除するほどのものではなく、代わりに町の産婆を紹介された。


「おやおや、これは痛かったねえ」
小柄な老女は皺くちゃの手を一杯に広げ、サンジを安心させるように伸び上がってその肩を叩いてくれた。
「熱が出たのは?へえ3日前。胸は前から痛かったの。ふ〜ん」
さすが何十年と母乳ケア一筋で来た手練らしく、サンジが躊躇う暇もないほど素早くさりげなく胸を肌蹴てしまうと
さも当たり前のように乳房をマッサージし始めた。
その手付きがまた上手い!
チョッパー以外には誰にも見せたことがない、秘密のプチ谷間をあられもなく曝しているのに、恥ずかしいと抵抗する
間もなかった。
なんせ揉み具合といい撫で具合といい、力加減に置いてもすべてが絶妙だ。
あっという間にベッドの上でぐなぐなにへたれて、なすがままに身体を任せたサンジを、ゾロ以外誰が責められようか。
ぴゅぴゅ、ぎゅぎゅうと水芸のごとく飛び散る母乳をタオルに含ませ、産婆さんは子守唄でも歌うように離し掛けてくる。
「それでよく噛まれてたの。そりゃあ痛いねえ、参ったねえ。でもね、そりゃあ頭のいい赤ちゃんだ」
「へ、そうなん・・・っすか」
乳丸出しでうっかりウトウト仕掛かっているサンジは、もはや性別の概念も喪失している。
「そうさね、舌がいいんだよ。溜まった乳なんて不味いんだから。一番美味しいのは、口に含んでから湧き出てくる
 お乳だからね。乳房に溜まってた乳なんて赤ちゃんはあんまり不味くて、だから怒って噛むんだよ」
目が覚めた気がした。
まさか母乳にそんな物理的要素で、美味い不味いがあるなんて思わなかった。
しかも、ラダはどうやら舌が敏感らしい。
不味くて怒るなんて、随分一丁前じゃないか!
「そうですか、赤ん坊なのにわかんですかねえ」
乳を揉まれながら怪しくニヤつくサンジに、産婆さんは大真面目で頷いた。
「勿論さね。乳に溜まってた古いもんは不味い。だから、飲ませる前にこんくらい搾ってやって丁度いいね」
景気よく搾り切られて、サンジ胸は搗き立ての餅のようにほたほたになった。
「さ、美味しいお乳を飲ませておやり」
タオルでさっと拭いて、産婆さんが起き上がるように促す。
「え?今やるんすか?あんだけいっぱい搾っちまったのに?」
「乳なんていくらでも出るんだよ。このお乳は美味しいよ〜」
茶目っ気一杯にそう言われ、奥で寝かされていたラダが連れてこられた。
すっかり小さくなってぺったんこのふにゃ胸で、果たして足りるんだろうか。
サンジの心配を他所に、ラダはいつものごとく大口を開けて豪快にかぶりつく。
ンクンクと一定のリズムで吸い付けば、じゅっとサンジの胸が温かくなった。
「うわ〜〜〜」
いつもながらの仏頂面で、それでも満足そうに喉を鳴らす。
歯を立てて怒ったりする気配など、微塵もない。
「美味いか?美味い?」
サンジは屈み込んでラダに何度も尋ねた。
こんなにこんなに、美味そうに飲んでくれるなんて。
こんなに小さいのに、いっぱし味がわかるなんて。
うちの娘は天才だ!俺の才能を余すところなく受け継いでいる!!
「ラダあ、えらいぞう〜〜〜〜っ」
バカ親と化して狂喜するサンジに、産婆さんも一緒になって目を細めた。
「だからいいかい。これからは飲ませる前に充分搾るんだ。いくらだって出るんだから。両方ともしなびちゃうまで搾ってから
 あげると美味しがって飲むよ。乳腺炎の予防にもなるから、それだけ気をおつけ」
サンジはありがたく聞き入って、ラダ共々深く頭を下げた。



「さすが亀の甲より年の功。プロの腕は確かだぜ」
「うん、俺も色々勉強になったよ。婦人科は医学の中でもメンタルの影響がかなり強いから、すごく興味深い事例を沢山聞いた」
チョッパーはサンジに付き添うついでに色々勉強してきたらしい。
「マッサージも、俺もできるといいんだけどな」
「・・・い、いや・・・その世話にならないように、俺が気をつけるわ」
妊娠時の診察だけでもゾロの監視下にあって大変だったのに、これで母乳マッサージとか言ったら今度こそゾロが間に
割って入ってくるに違いない。
それだけは避けたい事態なので、サンジとしては今日の乳マッサージも秘密にしておきたかった。
「それにしても、サンジ凄いなあ。普通乳腺炎は胸の大きい女性がなるのに。こんな小さいのに炎症起こすほど出るって
凄いや」
「はは、褒めてねえよそりゃっ」
ラダを抱えたまま軽くチョッパーを蹴り倒して、サンジは意気揚々と船に帰る。

男の身である事はこの際置いておいて、自分の体内から人間一人を養えるほどの食料が産出されるという事実を、
今更ながら誇らしげに感じていた。








寄航した島で乳腺炎も癒え、ログが溜まると同時にまた船は旅立つ。
なんとなくおっぱいケアのコツも掴めて、ついでに生活リズムも整い、海のコックさんは健在だ。



「レディ&野郎ども、飯だ〜〜〜っ!」
「うっほ〜〜いv」
「飛び込む前に手を洗えっ」
相変わらず賑やかな食卓で、サンジの蹴りが唸りをあげる。
「今日の一番風呂は誰だっけ?」
「俺様俺様!いいかラダ、今日はウソップわご〜むの、驚異的持久力を見せてやる!浴槽内を縦横無尽に駆け巡る
 スモーキングアヒルの雄姿をその目に焼き付けるのだ!」
「くっくっ・・・」
ラダは嬰児ながらも不敵な笑い方をする。
その姿さえ無邪気で愛らしいと素直に思うクルー達は、バカ親二人とほぼ同じ境界線まで来ているようだ。
「今のところ風がいい方向に吹いているから、予定より早く次の島に着きそうよ」
「そりゃあ、ありがてえなあ」
「大きな町だといいわね」
「この間いただいたお宝を換金しなくちゃね」
「・・・ぶん獲っただろ」
「あーら、うちの甲板傷付けた弁償代にもならなわよ、あんなもんじゃ」
「ラダとサンジも健康診断しといた方がいいぞ。ついていくから」

「サンジ〜デザートどこだあ?」
「聞く前に冷凍室を開けるな!冷蔵庫だ阿呆!」
冷気が勿体ないと後頭部に蹴りを入れられながら、ルフィは伸び上がって首を捻った。
「・・・あんだこれ。やけに白い塊が増えてねえか?」
ぎくっと顔を強張らせたのはナミとウソップ。
サンジは綺麗に空になった皿を重ねながらデザートを置くスペースを作る。
「ああ、そりゃあ乳のストックだ。いつ何時食糧難になるとも限らねえからな。なんせここはグランドライン、何が
 起こったっておかしかねえ。あるもんはあるだけ溜めておくにこしたこたねえだろ」
「なるほどな」
納得して扉を閉めたルフィの背後で、ナミとウソップは顔を見合わせて曖昧に笑いあった。
「今日のデザートは、みかんのジュレとブランマンジェ・・・ね」
「・・・そういえば今日の夕食はクリームシチュー・・・」
蒼褪める二人に、サンジはカラカラと笑った。
「心配ないよ。いくらなんでもこれはラダの大事なだいじーな食糧なんだから。無闇にみんなの料理に使ったりしないって」
あっさりそう言われて、あからさまにホッとする。
実は二人とも気付いていたのだ。
乳腺炎を起こしてから豪快に前絞りをするようになったはいいが、そのことを『勿体ない』とサンジがぼやいていたことを。
『今度はぷりんぷりん(何故か二回続けた)作るかな〜』と呟いていたことを!

「・・・けどまあ、いつなん時、何が起こるかはわからない。もしかしたら、これが活躍する時が来るかもしれねえ」
ひいいいい〜〜〜〜と、ナミとウソップは両手を合わせ声なき叫びを漏らす。
「そう心配するな。そんときゃちゃんと『自家製だ』って断るから。今のところ俺の分泌物は入ってねえ」
「ヤな言い方すんな〜」
「は〜安心した」
「食べ物のことで、ナミさんに余計な心配かける訳ないじゃないですか〜〜〜v」
母乳が出てもラブコックぶりは健在で、一回り痩せた腰をクネクネ揺らす後ろ姿に、ゾロとラダは声を揃えて「ケッ」と呟いた。






ちゃぽーん・・・

深夜の風呂場に、ゆったりと水音が響く。
「あ〜極楽極楽」
ここのところすっかりクセになった独り言を気にするでもなく呟いて、目を閉じた。
仕舞い風呂はサンジと決まっている。
風呂掃除で湯冷めしてはいけないのでチョッパーはあまりいい顔をしないが、物理的に仕方ないのだ。
なんせ風呂に入ったら温まる。
温まると血行が良くなる。
血行が良くなると噴出する。
――――乳が
故に、サンジの風呂はいつも意図せずしてミルク風呂だ。
天然100%。
とてもこんな状態で後風呂なんて入らせられないから、サンジはいつも最後に入る。
湯船に浸かってマッサージを兼ねて搾れば、見る見るうちに白く煙る湯。
気のせいか、肌もすべすべで体調もいい。
風呂上りに授乳すれば、ラダもご機嫌でよく眠る。

鼻歌気分でまったりと湯に沈んでいたら、不意に浴室の扉が開いた。
湯煙の向こうに全裸のゾロが立っている。
「□*@◆?☆!!!」
サンジは咄嗟に飛沫を上げて湯船に沈んだ。
ゾロとは間に子を成すほどに深い仲だが、こんな暴挙に出られたのは初めてだ。
「おお、これが噂の乳風呂か。こりゃあすげえな」
「な、ば、こっ・・・」
あまりのことに、罵倒する言葉も出ない。
ゾロは大股で浴槽を跨ぐと、ざぶんと景気よく入ってきた。
乳白色の湯が盛大に溢れ零れる。
「だ〜〜〜〜っ、身体も洗わねえで入る奴がいるか!」
「さっき洗ったとこだ」
「ならなんでまた入るんだよっ」
「こりゃほんとにいい湯だな。あったまるぜ」
サンジの抗議をものともせず、ゾロは腰を落としてサンジの身体を抱き寄せた。
狭い浴槽で暴れて湯船を壊すわけにもいかず、サンジは渋々ゾロの膝に腰を落とす。
「風呂・・・入ってんだからな」
「おう、俺も入るだけだ。入れねえから安心しろ」
「入れられてたまっか、バカ!」
前を向いたままサンジが呪詛のように悪態を呟いている。
幾分伸びた後れ毛がしっとりと濡れて渦を巻き、耳は逆上せただけではないほどに真っ赤に染まっている。
傷だらけの背中にそっと胸を押し付けて、首筋に唇を寄せた。
「・・・なんもするなよ」
「しねえよ」
そのままじっと目を閉じて抱き締めた。
時折天井から湯気の雫がちゃぽんと落ちて、余計に夜の静けさを感じさせる。





「冷凍室の、あれなあ・・・」
水音に紛れるほどに小さな声で、ゾロが囁いた。
「あの乳、ラダのためのものだな」
「・・・・・・」
何を当たり前のことを、とサンジは言い返さなかった。
「てめえにもしものことがあって、そん時ラダにやるためのもんだろ」
濡れた前髪の下から覗く、サンジの口元がふと緩んだ。
「もしもって、なんだよ」
「もしもはもしもだ。てめえはそういう事に聡い」
ゆっくりと振り向くサンジを、ゾロはどこか怒ったように睨み付けている。
「明日をも知れねえ海賊稼業だからとか、そう思ってんだろうが。今のラダにとっちゃ唯一の食料だ。てめえがいなくても、
 当分賄えるようにな」
毎日捨てるほど溢れる乳なら、ストックしておく必要はない。
サンジがずっと健在ならば、だ。
後ろからゾロに抱きすくめられながら、サンジはへらりと笑った。
「まあな、無論てめえらの非常食の役割も兼ねてんだぜ」
「ついでだろ」
「へへ」
サンジは両手を水面で揉み合わせてゾロの顔面に水鉄砲をかけた。
「なんせ、俺の身体から赤ん坊一人養える成分が出てんだ。こんな誇らしいことはねえよ。人ひとりだぞ、命がそれで続くんだ。
 すげーと思わねえ?」
「ああすげえよ。だが俺あ、てめえのそういうとこが気に食わねえ」
ゾロは後ろからサンジの鎖骨の窪みに顎を乗せた。
「『もしも』とか『万が一』とか、思うんじゃねえ小賢しい。てめえも親になったんなら、もっと貪欲になれ。100まで生きて
 子どもや孫を見届けるくらいの気概でいやがれ。少なくとも、俺はそのつもりだぞ」
サンジは呆れたように目を見開いて、首を捻った。
額にかかった金糸の束から、雫が流れ落ちている。
「俺は世界一になろうが修羅の道を生きようが、絶対死なねえからな。もう何も失わないで強くなるって決めたんだ。
 てめえもラダも、俺自身も。この先俺らに関わるすべても、だ。だから―――」
上気したサンジの頬に唇をつけて、唸った。
「だから、てめえも自分の生をもっと欲張れ。それが親になったもんの責任って奴だ」
「ゾロ・・・」
サンジは自分の身体を抱き締める太い腕に手を添えて、静かに目を閉じた。
ゾロの唇が頬から鼻筋、口元へと下りる。
首を傾けて口付けを受けて、水面を揺らしながら身体の向きを変えた。
正面からきつく抱き合って舌を絡める。
白い湯の中でゾロの手が滑らかな肌を撫で、弄った。
サンジは熱い吐息を漏らして、ゾロの頭を掻き抱く。



この男と出会えてよかったと、唯一の相手にめぐり合えた悦びに、胸が震える。
心から愛しいものと出会えて、その血を継ぐ命を産み出せた。
こんな奇跡は他にはない。
こんなにも多くの幸せを得て尚、貪欲に生きろと無茶を言う、愛の深さに胸が熱くなった

共に生きたいと切に願う。
この先何十年も何百年も、叶うならば側にいて、同じものを見詰めていたい。
永遠など決してないと知りながら、夢見ずにはいられない失いたくない半身――――





身も心も解け合わせたいと腰を浮かした刹那、背後から声が掛かった。


「お取り込み中悪いんだけど」
よく通るナミの声に、サンジは文字通り飛び上がった。

「ラダが、お腹空かせて待ってんのよ」
「うわああああっ、すすすすすすみません!ナミさんっ」
条件反射で蹴り飛ばされたゾロが、湯船の底からざばりと起き上がる。
「こんの魔女!邪魔すんじゃねー」
「うっせーケダモノっ、ラダちゃ〜ん待ってて〜」
「あー、いいからさっさと服着なさい!」




深夜にも関わらず賑やかな船内から、泣き声と笑い声と怒号が入り混じって響き渡る。

穏やかな明日を約束するように、空には満点の星が瞬いていた。









END







蛇足的ラダのその後




ゾロ譲りの顔立ちに剣の腕、サンジ譲りの白い肌と長い金髪・愛嬌を持つ美少女剣士となったラダは、17歳で船を降り
修行の旅に出ます。
「ロロノアの娘」として名を馳せ草原の民の部族に落ち着いた後、その長(45歳)と恋に落ち19歳で電撃結婚します。
その僅か半年後、部族間の争いで夫が命を落とし、ラダは跡を継いで女族長となり敵討ち。
ついでに遊牧民を含む大小の部族をすべて束ね、草原全土を制覇します。
その後、共に戦った亡夫の甥(25歳)と再婚、3男4女を儲け族長として多忙な日々を送りながらも幸せに過ごします。
年に1度は一族郎党を引き連れて、オールブルーにあるサンジのレストランで食事をするのが恒例行事。
無論、そこにはゾロもいます。

ちなみに、ラダを送り出すときゾロが贈った言葉は「誰でもいいから強い男の、子を生め」
サンジは「近付く野郎は全部蹴り飛ばせ」
夫婦間で大喧嘩に発展したのは言うまでもありません。




ほんとにEND