Love Hurricane
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唯一“まとも”と見なされたチョッパーは、朝食をとるのもそこそこに新しい医務室で何やら実験めいたことをしているようだ。
ルフィやウソップ達が釣果を競って騒いでいても一向に姿を現さない。

「うーっす、お疲れさん」
適当にノックしてドアを開けると、チョッパーは机の上に色とりどりの果実を並べて思案中だった。
「ホットココアいれたぜ。どうだ」
「あ、ありがと」
やはりサンジに対して過剰な反応は見せず、それでも嬉しそうににかっと笑って駆け寄ってきた。
「ちょうど甘いものが欲しいと思ってたとこだ。サンジってすごいアンテナ持ってるみたいだな」
「まあな」
咥え煙草でにかりと笑い返し、ベッドに腰を下ろす。
「ところでそいつは何なんだ?食い物じゃねえのか?」
「果物に見えるけど実はこれ薬用なんだ。加熱すると成分が変わるものもあるから、あんまりオススメできない」
「へえ・・・」
言いながら、一番地味な茶色の実を手に取った。
殻が固く、一見すると胡桃に見える。
「これ、胡桃じゃねえの?」
「これは恋胡桃つって、見かけは胡桃と変わらないんだよ。割って見ても普通の胡桃と大差無くてね。この、頭の部分の尖がりにちょっと特徴があるってだけで・・・」
チョッパーの蹄が器用に細かな部分を指差す。
「生食にすると摂取した人の感情の発露が顕著になるんだって。つまりまあ、惚れ薬?一時的なものだけどね。加熱しちゃうと催淫作用が出るとかで・・・」
「へえ」
可愛らしい外見のチョッパーからさらっとそんな単語が出ると、却ってどきりとしてしまう。
「しかし、こんなに外見が紛らわしいと間違えたりしないのか?」
「元々こないだ立ち寄った島でしか採れないらしいし、多少混じってもそれほど害のある効果じゃないしね。たまに市場で紛れることもあるらしいよ」
「ふーん・・・」
「なんで?」
何か言いたげなサンジの口調を察したらしい、チョッパーはココアを持ったままくるりと向き直った。
「いや、夕食のサラダのドレッシングに、島で買った胡桃入れたから・・・」
「ああ、カリカリして美味しかった」
そう呟いて不意に顔を上げる。
「加熱、した?」
「いや、そのまま」
「じゃあ大丈夫だろ。よしんば恋胡桃でも、惚れ薬止まりだからたいした影響はないよ」
「ってことは、惚れ・・・」
「うん」
チョッパーは澄ました顔で、程よく冷めたココアをずずっと吸った。
「なーんか今朝からみんなの顔つきが違うな〜とは思ってたんだよな。そっか〜、惚れちゃったのか・・・」
「って、え?」
「あれねえ、『食べさせてくれた人』に惚れるんだって」
「はあ?」
大声を出した拍子に、口端からぽろりと煙草が落ちる。
「恋胡桃を差し出した人に、食べた人が恋をするんだ。だから島の女の子達はこれって相手に胡桃を使った料理を作るらしいし、そもそも料理に胡桃が入ってたら『脈有りなんだな〜』って察するし。でも無自覚な皆にもその作用が出たってことは、やっぱり効用がちゃんとあるんだね」
「ちょ、ちょちょちょちょっと待てチョッパー」
「なに?」
小さな蹄で静かにカップを置くチョッパーはあくまで冷静だ。
「んじゃ何か?今日ナミさんもロビンちゃんも・・・つか、はっきり言ってキショい野郎共も、様子がおかしかったのは、その胡桃の作用ってことか?」
「そうだよ」
「んで、なんでお前はなんともないんだよ」
「だって俺トナカイだもん。いくら発情したって、人間のメスにだって催したりもしないからさ」
「・・・ふ、ふ〜〜〜ん」
次々飛び出すチョッパーの爆弾発言に、反応するより固まるしかないサンジは、ただコクコクと首を縦に振るしかできない。
「だからまあ、おかしな状態って奴も明日の夕方くらいには治まると思うよ。って・・・あ、今日サンジの誕生パーティするんだったっけか」
言ってから急に思案顔になった。
「な、なんだよ」
「だって、宴会っつったらみんな絶対飲むじゃないか。ただでさえ理性が飛んでるこの状態で」
「ええ?」
サンジの顔がぱっと明るくなる。
「それじゃなにか?ナミさんや・・・いやそれより多分ロビンちゃんが、非常にデンジャラスなアプローチを仕掛けてくるとかっ?」
うわあどうしようと身をくねらせるサンジに、チョッパーは冷たい視線を寄越した。
「何事もポジティブなのはサンジの長所だね」
それ以上の助言は却ってサンジを不安に陥れることになると判断して、チョッパーは黙ってココアを啜った。









医務室を後にしてラウンジに戻れば、巨大生簀は色とりどりの魚で埋め尽くされていた。
「うお、すげーこれ・・・」
さすがに目を丸くするサンジの後ろで、ルフィはしししと鼻の下を擦った。
「どーだすげーだろう。この辺やたらと釣れるんだよなあ。今日の宴会の材料はこれでばっちりだろ」
「おおう、ありがとうよ!腕によりをかけてご馳走すっからな!」
笑顔満開で手を広げたら、ルフィがゴムまりのように跳ねて飛び掛ってきた。
慌てて身体をかわし部屋の隅に飛び退る。
ほぼお約束どおり壁をぶち抜き飛んでいく麦藁帽子に、サンジは心中で詫びた。

すまねえルフィ。
俺のために頑張ってくれたのにな。
釣った魚を味見もせずに全部明け渡してくれたのは、求愛行動の一種なのだろう。
そう気付くと申し訳なさで胸が一杯になる。

知らないこととはいえ、クルーに食材でないものを食べさせてしまった。
厨房を預かるコックとして失格だし、今のみんなの好意は理由付きのものだと知ってしまうと結構凹む。
本来なら自発的に湧き上がるはずの恋心を、薬の作用で呼び起こしてしまったのだ。
ルフィ達はともかくナミやロビンに申し訳なくて、サンジの胸はちくちく痛んだ。







「朝はごめんね、サンジ君」

昼食の後片付けをするサンジの背中で、ナミがぽつりと呟いた。
皆はもうキッチンにいない。
宴会の準備とかで船のあちこちを走り回ったり、部屋に篭って何かをしたりと結構忙しそうだ。
サンジは洗った皿の水を切ると、手を拭きながら振り返った。
「気にしないでいいよナミさん。お昼は全部食べてくれたし、俺それだけですっげー嬉しい」
そう言ってにこりと笑うと、やはりナミはまるで怒ったような顔をして視線を外した。

―――ナミさんって、ほんとに可愛いな
真剣に人に恋をすると、却って戸惑ってしまうタイプなんだ。
自分の気持ちを素直に表現できない。
だから、思っていることの正反対をしてみたり、我がままを言って困らせてしまったりして。
けれどきっと、ナミさん自身はそんな自分が嫌になるんだろう。
もっと素直に、もっと可愛く振る舞えない自分に腹を立てて、戸惑ってるに違いない。
「俺紅茶飲むけど、ナミさんもどう?」
「・・・いただくわ」
「よかった」
つい呟いた言葉に、ナミはいぶかしそうに眉を顰める。
「あ、いや・・・俺はコックだろ。そうすっと、誰かに何かしてあげたいときに料理を作ったり飲み物をあげたり、そういうことしかできないんだよ。だから、もうお腹いっぱいとか言われると立場がない訳で・・・」
そう言って苦笑すると、ナミは目を丸くした。
「意外、だわ。そんなものなの?」
「まあね。考えすぎかもしれないけれど、仕事と生活の線引きが割りと難しいからいつでも仕事の延長みたいになっちゃうと、却ってなんでもない人との距離のとり方とか時間の潰し方がわからなくなるんだ。例えば・・・ルフィがナミさんにお茶淹れてくれたりしたら、ナミさん驚くだろうし嬉しくならない?」
「あり得ないわ」
「そこは一つ、想像力を働かせて」
ナミはくすくす笑って頬杖をついた。
「まあね、もしもそんな場面に出くわしたら、やっぱり驚くし嬉しいわね。後・・・もしもゾロにご飯作って貰えたりしたら、ちょっと感激するかも」
「でしょ。意外性を求めるって訳じゃないけど、誰かと特別にコミュニケーションを図りたい時とか、意図的にアクションを起こす手立てが俺には限られて来るわけで・・・」
「・・・?よくわかんないわ」
「今だって、ナミさんをお茶に誘って『お腹いっぱい』って応えられたら、もうお仕舞いじゃん」
「大げさね」
少し打ち解けた笑顔で、ナミは紅茶のカップを手に取った。
「いい香り。やっぱりサンジ君が淹れてくれる紅茶は絶品」
「ありがとう」
ナミは可愛らしく首を傾げて、音を立てずにカップを置いた。
「でもやっぱりわかんない。サンジ君はコックさんで、とても美味しい料理を作ってくれるわ。確かに仕事と私生活の線引きは難しいかもしれないけれど、多分この船のクルーの誰よりも役に立ってなんでもできるのに、どうしてそんな風に思っちゃうのかしら。そう言う事は、戦闘時以外寝てばかりの穀潰しとかが考えるべきことでしょう」
「穀潰しはそんなこと思いつきもしないよ」
「まあそうね」
二人顔を見合わせて、くすっと笑う。
「俺は、仕事以外に取り柄がないって自分でわかってるからそう思ってしまうのかもしれないな」
「・・・意外だわ。とても意外」
「そう?」
「それってコンプレックスよ」
「かもしれないね」
目を伏せて紅茶を啜るサンジを、ナミは穏やかな目で見つめた。
「信じられない。けど、そう感じてるのはサンジ君自身だから、私に推し量れるものじゃないわね。だって私も・・・」
少し言いよどんで、紅茶を一口含む。
「私も、私が嫌になるときがある。ちっとも素直じゃないんだもの」
ああ、やっぱり気付いてると思ってた。
「サンジ君みたいに、嬉しいときに『嬉しい』って、ありがとうってごめんなさいって、どうして素直に口に出せないのかしら。そういう時に限ってやけに頑なになってる自分がいるの。わかってるのにどんどん意固地になって・・・」
ふうと切ないため息が漏れる。
「もっと可愛くなりたいわ。顔はこれで充分だけど、もっと可愛い女になりたい。せめて、好きな人の前では―――」
最後は消え入りそうな声で呟いて、また紅茶を啜った。
纏め髪の襟足からうなじにかけて、ほんのりと桜色に染まる。

「ナミさんは、本当に可愛いよ」
可愛くて強くて、とても魅力的な俺の女神。
「その台詞、色んな人に言うくせに」
ナミは目元まで紅潮させて横を向いた。
途端に頑なになる表情は、サンジへの苛立ちより自分に向けた腹立たしさ。
「ナミさんにだけ伝えたい言葉だよ。ナミさんは、多分自分で思ってるよりずっと素直で可愛いレディだよ。俺も、多分他のみんなも結構それぞれよく見てて、そんなナミさんのことが大好きだ」
「他のみんなはいいの」
怒ったように顔を上げた。
勝気な瞳は少し潤んでいる。
「私、私が好きな人は私だけを見ていて欲しいわ。そんな風に思うのは、欲張り?」
「そんなことないよ」
サンジは諭す口調でそう言って、曖昧な笑みを浮かべた。
ナミにこうして真っ直ぐ見つめられるのは、今は辛い。
本当にこうして慕ってくれるなら、どれだけ嬉しいことだろう。
けれどこれは、恋胡桃の一時の作用なだけだ。
ナミさんの本当の想いじゃない。
だから、この状況に乗っかることなんて、できない。
「恋ってきっと、呪縛だよね。好きでいたい、好きでいて欲しい。自分だけ見ていて欲しい。そんな気持ちでお互いが雁字搦めになるのが溜まらなく心地いいんだ」
「他人事みたいに言わないで」
感情が伴わないサンジの言葉に、聡明なナミはすぐに悟ってしまった。
「気持ちがないのなら、期待を持たせないで」
自嘲するように笑い、ナミはカップを空けると席を立った。

「美味しい紅茶をありがとう、ご馳走様」
「・・・お粗末でした」
立ち去るナミの後ろ姿は、いつものように背筋が伸びて毅然としている。
そのことが、サンジにとって救いだった。



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