Love Hurricane



その日は朝から、どうもナミの機嫌が悪かった。
食欲はいつもどおりだし体調が優れないと言うわけではなさそうだが、なぜか表情がぶすっとしている。
いつもの聡明で快活な彼女らしくなく、視線を合わせないよそよそしさが気になって、サンジは殊更気を遣ってカフェオレを注いだ。
―――おっかしーなあ。ブルーデーは先週で終わったはずなのにな
同じ船で家族同然の暮らしを続けている為か、かなりプライベートな領域までそれと意識せずに知ってしまっている。
これはもうお互い様だろうし、取り分けそれが恥ずかしいとか失礼だとか言う心理も薄れてしまっているのが現状だ。
サンジとしてはただ純粋に、愛しいナミの様子がおかしいのを気にかけて心配をしているだけなので、今ここで皆の前で声をかけるより後でこっそりそれとなく尋ねて見ようかな・・・と軽く逡巡しながら順番に注いで回る。
ナミの向かいに座るゾロのコーヒーをサーブした時、不意に顔を上げたナミと目が合った。
ら、瞬時にばっとその頬が赤く染まる。
―――え?え?え?
つられてサンジまで頬が紅潮してしまった。
なんだ今の、ナミさんが、めちゃくちゃ可愛いっ?!
いやいやいや、以前からナミの可愛さは群を抜いている思ってはいたがと内心でフォローを入れつつ、想定を上回る可愛さにサンジの方が固まってしまった。
ナミはと言えば、赤面を気付かれたのがよほど口惜しかったのか益々表情を曇らせて横を向いてしまった。
つんと尖った口元がまた愛らしいななんて思いながら、サンジは満更でもない心地で給仕のために移動した。

ロビンの傍らに来ると、珍しく視線を感じて首を傾ける。
椅子に腰掛けているだけでも絵になる風情のロビンが、頬杖をついてそっと窺い見るようにサンジに視線を寄越していた。
「ああ〜ロビンちゃん、今朝も一段とお美しい!」
正直に感嘆するとロビンの黒目がちな瞳が妖艶に眇められて、妖しく煌めいた。
「ありがと、コックさん」
普段の素っ気無い応えとは違う、濃厚な雰囲気を漂わせた囁き声はサンジのハートにモロにガツンと響いた。
「あああ〜、君の黒曜石のような瞳に吸い込まれてしまいそうだああああ」
手を組んでグナグナ揺らめくサンジの後ろで、カチャンと乱暴にフォークを置く音が響く。
「ご馳走様」
不機嫌を隠さずに立ち上がるナミにサンジは慌てて振り向いた。
「え、えええ?ナミさんどうしたんだいっ?」
「悪いけど、食欲ないの」
言い捨ててさっさと立ち去る背中を追い掛けようとして、ロビンに呼び止められた。
「コックさん、コーヒーのお代わりいただける?」
「はあい、喜んで〜〜〜」
またクナクナと揺らめきながら手早くソーサーに注ぐと、サンジはダッシュでナミの後を追った。









女部屋に引っ込んだかと思ったが、ナミは甲板で手摺に肘をついてぼんやりと海を眺めている。
サンジは一旦立ち止まり、煙草に火をつけて吹かしてから歩み寄った。
ナミは、サンジが喫煙するのにも気を遣わなくて良い相手だ。

「ナミさん、一体どうしたの」
優しく問いかけながらも視線は向けず、ナミと並ぶようにして船縁に手を掛ける。
「気遣われるのは鬱陶しいかもしれないけれど、食事を残されるとちょっと、ね・・・」
ナミの風下で煙草を持ち替え、海の輝きに目を細めながら困ったように微笑む。
頑ななナミの横顔が一瞬緩んで、気まずげに下を向いた。
噛み締めた唇は口惜しさを滲ませていて、何が彼女の心をここまで騒がせるのか、サンジにはわからない。
「ごめんなさい、食事を残したのは悪かったわ」
素直に言葉を吐いて、それでもサンジを見ようとしないナミはふいと顔を背けた。
「でも、私は気分が悪いの」
つんけんとした口調のそれが、本気で腹を立てている声ではなく少し拗ねているのだと初めて気付く。
「もしかして、俺のせい?」
否定しないのは肯定ということか。
でも一体何が?

―――そういえば、朝から少し様子がおかしかったか?
いつもは豪快な挨拶と共に少し上向き加減に顎を上げて、髪を整えながらキッチンに入ってくるのが常だったナミだが、今日はサンジの顔を見た途端俯いていたっけか。
「おはようナミさん、今日も輝くばかりに可愛い〜〜〜v」と叫んだサンジを前にして、鼻であしらうどころか顔を赤らめたりしていなかったか?

「ナミさん、もしかして・・・」
あり得ない可能性に気付いて、戸惑いながらも言葉を選ぶ。
「もしかして、俺の態度に問題があったかな?」
「・・・別に」
横を向いたまま言い捨てる仕種で、ビンゴだと悟る。
「んー・・・でも、ナミさんが可愛いのは昨日も今日も未来永劫変わらないし、それを目の当たりにしちゃうと俺はどうしたって嬉しくなって頭で考えるより先に言葉が出ちゃうんだよ。ナミさん、素敵だーって・・・」
ナミの顔の角度が益々深くなった。
船縁を掴む手の節が白く浮かんで、さらに怒らせたかとサンジを慌てさせる。
「仕方ないんだよ、ナミさんが可愛いのは自然の摂理だから、賛辞しないでいられないんだっての。まあ、ナミさんがそんなに嫌がるんなら、極力言わないように気を付けるから・・・」
「気を付けられるならっ・・・」
不意にナミが口を開いた。
思いつめたように一旦言葉を置いて、きっとサンジを振り返り睨み付ける。
「気を付けられるんなら、私にだけにして」

一瞬、なんのことかわからなかった。
「そういうの、私にだけ言って。私のことが好きなら私だけを見て。誰にでもしないでっ」
「・・・え?」
虚を突かれてサンジは煙草を取り落とした。
目の前で、ナミの顔はさらに赤く染まっていく。
「ナミさんだけって・・・俺はいつもナミさん一筋で・・・」
「嘘よ、だって―――」
「コックさん」
音もなく近付いたのか、ロビンがかなり近い距離から声を掛けた。
「船長さんがパンが足りないって、大変」
「ああ、ごめんねえロビンちゃん!すぐに行くよう」
条件反射で振り向きザマに両手を合わせ、クネクネと身体を揺らしたサンジの足を、ナミは容赦なくヒールで踏ん付けた。
「うあっ、った〜〜〜〜」
「バカ!」
短く言い捨てて走り去るナミの目元が赤いのを、サンジは見逃さなかった。

「ナミさんっ」
追いかけようと駆け出すサンジの前に、ロビンが立ちはだかるように身体を寄せる。
「コックさん、私もコーヒーのお代わりが欲しいの。やっぱりコックさんが淹れてくれたのでなきゃ美味しくないわ」
「そりゃあもう、喜んで〜〜」
またしても脊髄反射でクネクネしてしまった。
一刻も早くナミを追いかけたいのは山々だったが、ロビンのお願いを無下にするわけにもいかない。
ルフィのこともあるので、サンジはとりあえずロビンと共にキッチンに戻ることにした。

「航海士さん、様子がおかしかったわね」
「ロビンちゃんも気付いた?どうしたのかなあ」
「気付いたけれど、教えてあげない」
「へ?」
ふふ、と微笑むロビンの瞳は相変わらず魅惑的で、つい見惚れたサンジは歩く勢いそのままに壁に背中をぶつけて立ち止まった。
ロビンの顔が、近すぎる。
「本当に可愛いのね、コックさんって」
ロビンのしなやかな指が紅潮したサンジの頬を撫で、髪を梳く。
思わぬ展開に固まったサンジの首を抱くようにして、顔を傾けてきた。

「サンジーっ!飯〜〜〜〜っ」
そこに飛び込むように割って入って来たのはルフィだ。
気配を感じたかロビンは素早く身体を引いて、サンジはまともにルフィの下敷きになった。
「こんの、クソ馬鹿ゴム野郎!ロビンちゃんが怪我したらどうする気だっ」
「ししし、ロビンはもういねえぞう」
なー飯〜〜と言いながら、ルフィはサンジの上に馬乗りになってひくひくと鼻をヒクつかせた。
「なんかサンジ、美味そう」
ぽつりと呟き真顔で見下ろすルフィの表情が、逆行のせいかやけに険しく映って、押し倒されたまま何故か冷や汗をかいた。
「ま・・・待て、飯ならまだあるから・・・」
「サンジ・・・」
そのまま口が近付いてきて、本気で食われるかと肝を冷やす。
だが噛み付かれる寸前にルフィの身体が横に吹っ飛んで、視界から消えた。

「もう飯はウソップが片付けたぞ。あっちで遊んでろ」
どうやらゾロが横から蹴り飛ばしてくれたらしい。
ここで礼を言うべきなのか逡巡している間に、へたり込んだサンジを残してゾロはとっとと立ち去ってしまった。


「・・・なんなんだ」
なんだか今日は、みんながおかしい・・・気がする。
額の汗を拭って立ち上がり、キッチンに戻ればいつもは乱雑なテーブルの上がすっきりと片付けられている。
シンクの前ではウソップとフランキーが仲良く並んで洗いものをしてくれていた。
「おう、ありがとう。置いといてくれたらいいのに」
ほっとして駆け寄れば、ウソップが泡だらけの手でへへっと鼻の下を擦った。
「なあにお安い御用ってんだ。いつもサンジに任せてばかりだからな〜。たまにはゆっくり飯を食えよ」
サンジの分だけ残された食卓で、フランキーは椅子を構えて手招きしている。
「いつも美味い飯食わせて貰ってるんだ。俺にできることがあったら何でも言えよ。このスーパーな俺様に不可能なんてもんはねえんだからよ」
二人ともやけに優しくて気味が悪い。
「どうしたウソップ、なんか悪いもんでも食ったのか?」
額に手を当てたら、ウソップの顔がみるみる赤く染まった。
不審に思いフランキーを振り返れば、こっちまで赤い顔をしている。
「なんだってんだ、お前ら」
「と、とととととにかく、ゆっくり食ってろよ。俺はもう行くぜ」
「おう、行け行け。俺はもう一杯コーラでも飲んでるぜ」

出て行くウソップと入れ替わりに、ゾロが入ってくる。
「フランキー、ルフィがミニメリー号を船内で動かして壁にぶち当たってたぞ」
「あんの野郎〜〜〜〜」
渋々腰を上げたフランキーを追い立てるようにして、ゾロはサンジの向かいに腰掛け椅子に凭れて目を閉じた。
―――なんなんだ?
そのまま、何をするわけでもなく居眠りに入る。

チョッパーを除いたクルー全員の密かな奇行に目を丸くしながらも、サンジはともかく遅い朝食を採った。




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