Fire cracker


放火騒ぎの夜、サンジは半ば朦朧として家に帰り辛うじてシャワーを浴びた後は倒れこむように眠ってしまった。
翌朝、いつも通りの時間に目が覚めるもなかなか起き上がれない。
ズキズキと疼く痛み今頃気付いて布団を捲れば、足首が腫れていた。
昨夜は興奮していたのか気付かなかったが、どうやら無茶なドア蹴りをして足を傷めてしまっていたらしい。
―――なにやってんだ、俺。
そう呟こうとして、声が出なかった。
辛うじてひねり出した声は掠れた音みたいなもので、実にみっともない。
―――こりゃダメだ、仕事にならねえ。
無理して出勤しても、子どもの相手はできないしこれでは足手まといになるだけだ。
シフト表を確認すれば、幸いなことに今日は余裕のある出勤体制だった。
早速、保育園に電話を掛ける。
声がおかしいのはすぐに知れたから、風邪を引いたで理由はついた。
「養生せよ」との園長からの厳命をありがたくいただき、サンジは携帯片手にぺこぺこと頭を下げ連絡を終える。
そのまま再びベッドに倒れこむと、猛烈な睡魔に襲われ結局夕方まで眠り続けた。



週末で土日のシフトも入っていなかったから、そのまま連休になった。
医者に行きそびれ、湿布で患部だけ冷やしてひたすら寝て過ごしたら月曜日には普通に起き上がれるほどに回復した。
「あら、サンジ先生お加減はもういいんですか?」
「はい、金曜日は突然お休みを頂いてすみませんでした」
なにごともなかったように、通常業務に取り掛かる。
就業前の掃除をしていたら、マキノがそう言えばと話しかけてきた。
「木曜日の夜、放火犯が捕まったんですよね」
「あ、なんかそうみたいですね」
サンジ自身、ずっと寝てばかりいてテレビも新聞も見ていない。
「火傷を負った放火犯を助けて人を呼んで、火事現場でも果敢に飛び込んでいったすごい人がいたんですって」
―――どきっ
「ねー、先週その噂で持ちきりでしたよねー」
ビビやカヤも話に乗ってきて、先生方でキャッキャと盛り上がっている。
対してサンジは、居心地が悪いばかりだ。

確かに、サンジはサンジなりに頑張った。
放火犯を見つけて咎めたのはお手柄だったと思うし、うっかり自分に火が点いて燃え上がったのも自業自得と見捨てないでちゃんと消してやった。
ついでに大声出して火事を知らせたし、子どもの泣き声を聞きつけ助けるために駆け付けもした。
だが、結局はなんの役にも立たなかった。
鍵が掛かったドアの前でひたすらもがくばかりで、救助の足手まといにしかならなかった。
お手柄だ、英雄だと褒めそやされてもいい立場かもしれないけれど、真の英雄を目の当たりにしたらそんな気持ち、カケラも持てない。
―――だって、カッコよかったんだもんよ。

黒煙と炎を浴びて、煤だらけで汗まみれでも。
白い歯を見せてニカリと笑う消防士は本当にカッコよかった。
力強い腕と腹の底に響く声で、助け出し勇気付け笑いかけてさえくれた。
あんな男を見てしまったら、自分がやったことなんて矮小すぎて恥ずかしい。

「目撃情報を探してるーってニュースでやってましたよね」
「たくさん野次馬がいたから、結構見てる人がいるんですけどはっきりとわからないんですって」
「茶色っぽい髪だったとか、グレーのジャケット着てたとか?」
外灯が切れて暗い路地で、火の勢いが強かったから全体に赤茶けて見えたのだろう。
ジャケットはボロボロになったから捨ててしまったし、現場でも誰ともまともに顔は合わせていないはずだ。
サンジさえしらばっくれていたら証拠はないから、きっと誤魔化し遂せるだろう。

「さあ皆さん、そろそろ子ども達がいらっしゃいますよ」
カリファに注意され、副園長であるはずのマキノがごめんなさあいと首を竦めた。
サンジはほっとして、少し足を引き摺りながら持ち場に戻った。

保育士は体力勝負だ。
特にサンジは男性で、子ども達からのスキンシップも遠慮がない。
おしゃまな女の子の中にはべったり腕に引っ付いて離れない子もいるし、男の子は容赦なく後ろからぶつかってきたりする。
いつもなら「はは〜コラコラ」と笑顔で返せることも、体調が悪いとうまく流せない。
正直、ちょっと足首が痛い。

「今日は午後から避難訓練があるんですよ」
バタバタと走って逃げる子どもの回収に手間取っていたら、たしぎが手伝ってくれた。
「あ、そうでしたっけ」
「サンジ先生、金曜日にお休みだったからご存知ないでしょう」
「ぼくしってるよー」
「しょうぼうしさんくるの、ねー」
消防士と聞いて、ちょっとドキッとしてしまった。
この間の放火現場は保育園の近くだし、管轄も同じだ。
だが大きな消防署のこと、同じ隊員が保育園の避難訓練にも来てくれるとは限らない。
寧ろ部署が違うだろう。
「この間火事があったから、余計気構えちゃいますね」
「そうなんですよ。タイミングがいいと言うと言葉は悪いですが、より真剣味が増しますね」
そう言って、たしぎは真剣な面持ちで頷いた。




「西海消防署の皆さんと、ふぁいあっと君で〜す」
お昼寝の後おやつを食べ終え、少し早めに迎えに来てくれた保護者も交えて避難訓練が行われた。
園の駐車場に消防車が入ると、子ども達のテンションは初っ端からマックスになった。
消防車見学がメニューに組み込まれていると聞いて、サンジまでテンションが上がる。
なんのかんの言って、こういう車は実にカッコいい。

消防署からは5人の隊員とオリジナルゆるキャラらしい「ふぁいあっと君」が来てくれた。
赤い炎デザインの着ぐるみだ。
なんとも嵩張って、見た目に暑苦しい。
顔の部分はよくわからないが、両サイドに突き出た腕は長袖の黒シャツだけれども見た目に逞しかった。
膝下から覗く足も黒いレギンスのようなものを履いていて、ふくらはぎがぱつっと盛り上がりそこだけやけにリアルな男の足だ。
「ふぁいあっと君は、炎だから近付くとあぶないよー」
MC役の若い隊員がそういうのに、子ども達は余計に喜んで次々とふぁいあっと君に体当たりした。
だがふぁいあっと君は揺らぎもしないで、両手を腰に当ててがっしりと立っている。
さすがはふぁいあっと君。
安定感が半端ない。

サンジはいつものように両手に女の子を引っ付けて、ふぁいあっと君目掛けて飛び蹴りしようとしている男の子を控え目に注意した。
「だめだよー、ふぁいあっと君をいじめちゃあ」
本来なら「止めろくそガキ」と叫びたいところを、ぐっと我慢して柔らかく諭す。
「だってせんせい、こいつがかじのもとだよ」
そういう設定かもしれないが、そこは勘弁してやってくれ。
「ふぁいあっと君は炎だけど、火事になるのは人間のせいだよ。炎がないと美味しい料理も作れないしお湯だって沸かせないだろ?」
「えーそんなことないよ」
「おゆはポットでわくし、おりょうりはヒーターでつくれるよ」
子ども達の反論を聞いて、サンジはあちゃーと顔を顰めた。
そういえば、今はどこもかしこも電化で子ども達は直接「炎」を目にする機会が減っているのかもしれない。
これでは火の危険性だって、あまり認識できないだろう。
「でも、煙草に火を点けたりお仏壇に蝋燭灯したり・・・」
「うちのパパ、たばこすわなーい」
「おぶつだんってなに?」
サンジは助けを求めるようにふぁいあっと君を見た。
ら、ふぁいあっと君は男の子を抱えたままサンジの方をじっと見ている。
それからおもむろにうんうんと頷き、抱えていた男の子の頭をぽんと叩くと子ども達に連れられて舞台へと出て行った。

ふぁいあっと君をメインに子どもにもわかりやすい寸劇を披露し、火事が起こったとの想定で避難訓練をする。
子ども達は先生や消防士達が言うとおりに、ハンカチを口元に当て上体を低くして素早く行動している。
今は訓練だからのんびりしたものだが、それでも何度もこういう動作を何度か繰り返していればいつかイザと言う時が来ても少しは慌てないで済むかもしれない。
サンジは子ども達に囲まれながら、自分もハンカチを口に当て腰を屈めて小走りに歩いた。
この間もっと酷い目に遭っているから、実にリアルだ。
途中、子どもに押されて少しよろけ、片足を引き摺ってしまう。
「待って待って、もうちょっと落ち着いて」
うっかり転びそうになったら、いつの間にか近付いていたふぁいあっと君が肩を抱き止めてくれた。
「あ、ども」
恐らく顔があるだろう場所に向かって会釈をすると、ふぁいあっと君はまた身体全体でうんうんと頷き返す。
動きにくそうな着ぐるみなのに、実にこまめにフォローしてくれるいいキャラだ。


「それでは皆さん、最後に消防士の皆さんにお礼を言いましょう」
消防車内の見学も終え、このまま保護者と帰る子ども達を消防隊員も一緒になって見送る形になった。
みんな名残惜しげに、興奮を保ちながら家路に着く。
サンジはいつの間にかふぁいあっと君と並んで子ども達に手を振っていた。
「どうもありがとうございました」
ビビとたしぎが後の園児達の見送りを担当し、マキノは消防隊員達を応接室に促した。
「お疲れでしたでしょう。子ども達が元気で」
「いやいや、元気なのはいいことです」
隊員達が談笑しながら園内に入り、ふぁいあっと君もポテポテと一番最後に付く。
もう着ぐるみを脱いでもいいですよとマキノに言われ、ふぁいあっと君は腕を上げて額をポリポリ掻く仕種をした。
サンジはおやつを引き取りに調理室へと出向き、応接間でコーヒーを淹れた。

「失礼します」
園長と副園長、それに消防士5人+ふぁいあっと君で応接室内は満杯かと思いきや、中に入ってみるとふぁいあっと君の姿がない。
「あれ、もうお一方は・・・」
「ああ、着ぐるみ脱ぎに行ってます」
そりゃそうかと納得して、慣れた手つきでテーブルにカップを置いていった。
「まだ今日は涼しくてよかったですね」
「真夏とか、きっついんですよあの着ぐるみ」
「見た目に暑苦しい」
「担当は決まってらっしゃるんですか?」
マキノの素朴な疑問に、隊長らしき年配の男性がいやあと首を振る。
「いつも籤引きです」
「まあそうでしょうねえ」
そう言っている間に、ガラス戸の向こうに人影が立った。
「失礼します」と声をかけ、扉が開かれる。

想像していたより細身だったが、やはりがっしりとした身体つきの若い男だ。
精悍な顔立ちと緑がかった短い髪が印象的で、なにより人を射抜くようなまっすぐな瞳に吸い寄せられる。
思わずトレイをもったままぼうっと見返したら、男はにかっと笑ってサンジに歩み寄った。
―――あれ?この笑顔どこかで・・・
記憶の糸を辿る暇もなく、両腕を肩に掛けられてがっしりと抱えられる。
「は?え?」
「確保しました!」
「うむ、ご苦労」
隊長が重々しく頷き、園長とマキノが驚いたように目をパチクリとさせている。
「先日の放火犯逮捕にご協力、ならびに児童救助、ありがとうございます」
そう言われ、サンジは慌ててその場から逃げようとしたが後の祭りだった。

結局あれよあれよと言う間に強制的に消防署に連れ去られて表彰式、次いで警察署に突き出されてまた感謝状を手渡され、新聞の取材まで受ける羽目になった。
マキノには驚かれ園長に褒められ同僚達から賞賛されて、穴があったら入りたいほど恥ずかしかった。
サンジにとってはまるで市中引き回しの上、磔獄門気分だ。

それでもまあ、これを切っ掛けにあの時の消防士の名前がわかったからまあいいかと思わないでもない。


西海消防署、消防士長:ロロノア・ゾロ。
それが彼の名前だった。




End



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