Coffee chiffon cake


寄せては返す波のうねりにきらきらと輝く陽光が反射して、まるで煌びやかな扇が舞い踊っているようだ。

サンジは掌で庇を作って、眩しげに目を細めた。
夏とは違う、穏やかな春の海。
青く透き通るような空を背景にカモメが飛び交い、まるで一枚の絵葉書みたいだ。

「ん〜〜〜〜〜気持ちいい〜〜〜」
両手を上げて、思い切り伸びをした。
少し強めの潮風が肌をかすめて、それもまた心地良い。
「ヘソ丸出しだよ」
エースが流木に片足を引っ掛けて、ニコニコと笑っている。
トレードマークのテンガロンハットが風に揺れて、逆光で浅黒く見える雀斑面に白い歯が眩しい。
サンジは風にはためくシャツの裾を直して、また肩だけいからせて背筋を伸ばした。
「野郎のヘソはいいの。けどさあ・・・」
くるりと首を巡らせて、大袈裟な素振りで拳を握り締める。
「海といえばナンパだろうに!」

少し気温が高くなって、天気も良い昼間の浜辺。
サンジのすぐ側を、小さな子ども達がきゃあきゃあはしゃぎながら通り過ぎて行った。
確かに辺りを見渡せば、ドライブの途中に立ち寄ったらしき家族連れや仲睦まじく散歩する老夫婦。
二人だけの世界を醸し出しているカップルもしくは、キャンプの下見か野郎ばかりの連れ数人
「・・・なんでレディオンリーがいねえの?」
サンジの叫びはもっともだが、読みが甘いとエースは首を振った。

「夏ならともかく大型連休前の休日、しかも車でしか来られないこんな海辺に、女性だけで遊びに来ることってあると思うかい?」
「・・・」
冷静に突っ込まれては、反論もできない。
だけどだけど、海と来たら即ナンパじゃねえ?
可愛いレディが「冷た〜いv」とか言いながら、桜貝のような可憐な素足で砂浜を駆けて、それを追いかけるのが
男の浪漫って奴じゃねえのか?

サンジの妄想を穏やかな表情のまま聞き流して、エースはさっさとシートを敷きポットなんかを取り出し始めた。
「まあまあ、ちょっと落ち着いてお茶でもしようぜ」
「何が嬉しくて、野郎同士で浜辺でお茶なんだーーーーっ」
サンジの虚しい叫びが、テトラポットの向こうに続く水平線へと吸い込まれていく。




今度の休日にドライブ行こうと誘われたのは、先週の事だ。
高速料金が安くなるから思い切って遠出しようかと言われ、実家に車がないサンジはついその話に乗ってしまった。
大概電車かタクシーで移動するばかりだから、ドライブと言うのにちょっぴり憧れていたりもする。

「エースって車何台持ってんの?」
待ち合わせの場所に天候がいい時でしか使用できないだろうオープンカーが横付けされて、サンジはつい素朴な疑問を口にした。
「ん〜何台かなあ。俺の名義だけってのだと数台だけど、家族共有とかだともっと増えるしね」
「・・・そんなの、置いとく場所からして普通あり得ねえよ」
きっと名のある高級車ばかりなんだろうなと、エースの別荘を思い浮かべてぽやんとなった。
別荘であれだけの広さなら、本宅はもっと広いんじゃないだろうか。
それとも、あんな別荘が幾つもあるから分散して置いてあるんだろうか。
自分の思考が庶民的なラインから超えられないことに気付いて、サンジは純粋にドライブを楽しむことにした。
少し陽射しがきついくらいだから、顔に受ける風が余計に心地良い。

「俺オープンカーに乗るの初めて。気持ちいいなあ」
「ちょっと狭いだろ」
「思ったより狭くねえよ。使いこなしてるって言うか、すごくエースに馴染んだ感じだな」
「俺、この車好きなんだ」
エースの運転はその性格どおり巧かった。
速度を緩める時もスムーズだし、カーブに差し掛かってもあまり身体が傾かない。
滑るような走り心地で、安心して乗っていられる。
「サンジは免許取らねえの?」
「うーん、最初は欲しかったんだけど、うちには車置ける車庫なんてねえしどっか出掛けるなら電車だし、近場は自転車のが便利だから・・・結局いらねえよな」
「まあね」
エースみたいに休日は車飛ばしてちょっとドライブってのも、すごく憧れるんだけども。

他愛のないことを話しているうちに、あっという間に海が見える場所へと道が開けた。
海岸線をひた走るドライブコースはまるで別世界で、ちょっと足を伸ばしただけなのに随分遠くへ旅をしてきたみたいだ。
「うわー綺麗だー・・・って、エースは見ちゃだめだぞ。脇見禁止―」
子どものようにはしゃぐサンジを横目で見ながら、エースもガキっぽく笑っている。
「たまにはいいだろドライブも」
「うん、すげえ気持ちいい」

比較的綺麗そうな浜辺に下りて、車を停めた。
海水浴シーズンの前だからか、まだ清掃がされていなくて、土手の下辺りには漂流物やゴミが散乱している。
それでも浜辺は波に洗われていて、海藻や樹切れの他に、貝やガラスの欠片なんかが光っていた。



「はい、コーヒー」
「ありがとう」
ポットから注がれたコーヒーはまだ熱くて、潮風で少し冷えた指に心地良かった。
シートの上に二人並んで腰掛けて、海を眺めながら一息つく。
エースは砂利石の中から青いガラスを拾い上げて、陽に翳した。
「この角が丸くなってっとこが、なんか美味そうなんだよなあ。ガキん時飴玉みてえとか思った」
「・・・すごく食いしん坊らしい見方だな」
「だってよ、ルフィなんか本気で口に入れてたぜ」
「やりかねねえ!」
爆笑して危うくコーヒーを零しかける。
平らな砂地にカップを置くと、サンジはいそいそとバスケットを開けた。
「今日はなんのおやつ?」
「シフォンケーキ。焼いただけでクリームも塗ってないシンプルなタイプだけど」
そう言って、その場で大きなケーキを切り分けた。
クーラーボックスからタッパも取り出し、別に入れておいたクリームを添えてフォークをつける。
「皿も全部持ってきたのか?」
「紙皿勿体ねえじゃん。車だから持ってかえって洗えばいいし」
「なんか、贅沢だねえ」
また二人並んで海を眺めながら、もぐもぐとケーキを頬張る。
「なんかこのフワフワ感が、あっちに浮かんでる雲みたいだな」
「・・・どうしたエース、すんげえメルヘンモード」
言いながらも、サンジもそうだよなあと眩しい空に目を細めた。

口の端にクリームをつけたエースが、上着からなにやら取り出そうと身体を捻っている。
ふと前が暗くなったと思ったら、エースの指が髪に触れていた。
「あんまり見てると目を傷めるよ。サンジは瞳の色も薄いから」
ごく自然な動作でサングラスを掛けられて、ちょっとびっくりする。
「あ、りがと・・・」
そう言いつつも、つい不満で口元が尖ってしまった。
「でも、これじゃあ海が眺められない」
「見たかったらちょっと休んでからにしな。眩しすぎると後で目に光が残るだろう」
エースの言う通りなので、サンジは暗くなった手元を見下ろして渋々ケーキを食べた。

「なんか、エースってなんでも気が付くのな。そういうとこすげえと思うし見習いてえ」
「女の子に対する気遣いとかの参考に?」
「そうそうそう」
エースは薄く笑うと、口端についたクリームを舌で舐め取る。
「オレは八方美人じゃないからね。誰にだって優しいわけじゃねえよ」
「そうかなあ」
サンジから見たら、エースはいつだって大人で紳士で、誰にでも優しい。
だから自分だけが特別に扱われているなんて自惚れた考えは、微塵も浮かばなかった。
「こうして見ててもやっぱりサンジいつもより目が細いよ。光が残って見辛いんだろ。ちょっと目閉じてたら」
「うん」
何もかもお見通しなところが、ちょっぴり口惜しいんだけどね。

サンジは言葉に出さないで、素直に目を閉じてみた。
風で乱れた髪がサングラスの中をくすぐるのに、エースの指が優しく梳いて流してくれる。
こんな心遣いは、同性とかスタッフとか弟みたいな存在とかに対するそれじゃないんじゃないかと、今更ながら
サンジは気付いた。

エースの視線を瞼に感じる。
一瞬緊張して引き締めた唇に、少し渇いた感触が触れた。
お互いに閉じたままで、触れて離れるだけのキス。
誕生日の夜の時と同じでサンジはすぐに目を開けられなくて、瞼を閉じたまま硬直していた。
息が近くなって、再度口付けられる。
今度は心持ち開いた唇が、サンジのそれを包み込むように重ねられた。
軽く啄ばんで吸われて。
その積極性に驚くより先に肩が竦んで、丸くなった背中にエースの手が回された。

遠くでウミネコが鳴く声がする。
ほんの一瞬の出来事だったのに、サンジには気が遠くなるほど長い時間が流れたように感じた。
唇を離して鼻を突き合わせたエースが、サングラス越しににかりと笑う。
「またそんな頼りない顔をして。なんかすんげえ、悪いことしてる気分になる」
黒いサングラスの向こうで、サンジの目が伏せられた。
「・・・悪いこと、してるだろ」
「なに?」
引き結ばれた唇が、一瞬わなないた。
「野郎相手に、趣味の悪い悪戯だろ?」

すっと、鼻梁からサングラスが外される。
太陽を背に受けて、覗き込むエースの顔が暗くて見辛い。
けれど真っ直ぐにサンジを見詰める瞳には、笑みも哀れみの色もなかった。

「悪戯じゃねえよ、本気」
「・・・嘘だ」
頭の後ろにがっちり手を添えられて、顔を背けることすらできない。
エースが陰になっているから眩しくなんかないはずなのに、サンジは再び目を閉じた。


ウミネコの鳴き声が、遠ざかっていく。






end




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