Cham blue -3-



天井の高い、開放的な居酒屋の一室を借り切って誕生パーティが行われた。
食べ物を目の前にして、待っていられない性分の船長を筆頭に、サンジへの祝いの言葉もおざなりにして宴会が始まる。
それほど遅れることなく、ゾロとナミも顔を見せた。

ナミがサンジのために(とサンジは思っている)少しドレスアップして現れてくれたのは嬉しいが、なんとなくその後ろにゾロが続くと無条件に不快になった。
先程の薄汚れた姿とは違い、いつものじじシャツ腹巻でない姿に着替え、髪などもさっぱりとしている。
ナミと共に宿に帰ってシャワーでも浴びたのかと思うと、何故かひどく落ち着かない気分になる。
考えたくはないが、ナミとの仲を邪推してしまいそうだ。
綺麗で聡明で可愛いナミには、とてもゾロみたいな野蛮人は釣り合わないのに――――

悶々と思い悩み、暗い気持ちに満たされて行くサンジの気も知らないで、ゾロは席に着くなり酒を飲み、どんどん皿を平らげていく。
その旺盛な食欲がいよいよ癇に障って、サンジは自分の皿にはろくに手をつけないで、横を向いて煙草を吹かし続けた。
「サンジ、食欲ないのか?」
気付いたチョッパーがそれとなく、他の仲間に聞こえない程度の声音で尋ねてくれる。
「いや、なんか胸が一杯でな・・・」
嘘ではない。
「そうか、それならいいけど。あのな、俺からの―――」
そう言いながら、帽子の中から小さな堤を取り出す。
「誕生日プレゼントだ。ハンドクリーム、俺が調合したんだ」
「お、こりゃ助かる。ありがとう」
サンジとチョッパーの小さなやりとりを聞き付けて、ウソップが手を上げる。
「おうっし、俺様からのビッグプレゼントはこれだぜ!ウソップ特製万能調理器!」
おおう、と酒が回った勢いで、大袈裟に場がどよめく。
「どんな野菜もこうして擦るだけでスライスお手の物!金具を替えれば厚さも自由自在、さらにおろしがねとセットで
 この価格!」
「売りつけてんじゃねーよ」
横から突っ込んだフランキーが、サンジの腰周りはあろうかと思える太い腕を突き出してもう片方の手で叩いた。
「俺様が腕によりを掛けて造った、ミニメリー号をさらに改良したぜ。小物類の収納に便利なインパネトレイにセンターロアポケット、カップホルダー、買い物フックまでつけて、どどーんとこのお値段!」
「売りつけてんじゃねーよ」
すかさずウソップが突っ込む。

「ふふ、器用な仲間が増えて、サンジ君大助かりね」
ナミはそう言うと立ち上がり、サンジの傍らに立った。
「私とロビンからよ、受け取って」
いつの間にかロビンも側に来て、二人の美女に挟まれる形で頬にキスされた。
「・・・っひゃ〜〜〜」
まさに天にも昇るといった風情で、見る間にサンジの目がハートに輝き、身体がクナクナに崩れ落ちる。
「んん、最高だーーーっ!今俺は確かに天国の花園を見たーーーっ」
「・・・死ぬな」
「相当死期が近いな」
男共の冷めた視線を物ともせず、一人くるくるその場で回る。
「ナミさんの柔らかな唇の感触、ロビンちゃんの芳しい香りーーーっ、いずれもこの世のものとは思えぬ極上の甘露!」
「安上がり直球で来たな」
「いっそ清々しいほどの無料奉仕だ」

「サンジー、俺も俺も、これから一週間つまみ食いしないぞう!」
口いっぱい頬張ってぶんぶん腕を振りアピールするルフィの横で、ゾロが手に箸を握ったまま「あ」と言った。







「なんなんだ、離せ馬鹿野郎」
「うるせえ、とっとと来い!」
町中を縺れるように怒鳴り合いながら歩く。

居酒屋で食事していたらゾロが突然立ち上がり、サンジの首根っこを掴んでどこかに連れ出そうとしたのだ。
訳のわからない強引さにサンジは当然腹を立て、その場で乱闘になった。
結果、ナミに二人揃って追い出され、主役のいない宴はまだ居酒屋で続けられている。
「ったく、なんでてめえとこんな町中ふらつかなきゃなんねえんだよっ」
「しょうがねえだろ、今日が終わったらどうすんだ!」
ゾロは血相を変えて片手でサンジを拘束し引き摺ったまま、だかだか往来を大股で歩き回る。
が、どこかに突き当たれば横に曲がるの繰り返しで、さっきから同じ道を巡ってばかりいるのが明白で、埒が明かない。
いい加減ゾロの足やら腹やらに蹴りを入れるのも飽きてきて、サンジは仕方なく自分の腕を掴むゾロの手をポンポンと叩いた。
「わかったからちと落ち着け。てめえが行こうとしてんのはどこなんだ?」
促されてゾロもようやく足を止める。
「・・・骨董屋だ」
「それなら一本筋が違うだろうが!早く言え!」
小さな町だ。
サンジも無論、この町にどんな店があるか粗方把握している。



すっかり夜も更け、木戸の下ろされた骨董屋の前で、ゾロは遠慮なくガンガンと戸を叩いた。
「おいおいおい、迷惑だろうが」
裏通りの商店街は軒並み店を閉じている。
そんな静かな所に目付きの悪い男がこんな荒々しい雰囲気で怒鳴り込んでいいものか。
慌てて止めに入るサンジの背後で、建付けの悪い戸がギシギシ悲鳴を上げながら開かれた。
「なんじゃ、騒がしい・・・」
顔を見せたのはしょぼくれた老人だ。
この店の前を通りかかると、よく奥の方で座って新聞を広げていたから、サンジも一方的に見知っている。

「じーさん、遅くなった」
「ああ、あんたか。もう今日は来んのかと思っとったわ」
老人は目を細めると、一旦店に引っ込んだ。
すぐに小さな手提げ袋を掲げて戻ってくる。
「ほれ、預かりもんじゃ」
ゾロはそれを受け取ると、少し驚いたような顔をして老人に視線を移した。
「あんたみたいなのが欲しがるとは、思わんかったからな」
「・・・ありがてえ」
ゾロはぺこりと頭を下げて、「行くぞ」とサンジに声を掛ける。
「あんだよえらそうに・・・」
追い掛けるサンジの後ろで、また戸がギシギシと軋みながら閉まった。

「どこ行く気だよ」
数歩歩いて立ち止まり、ゾロは黙って手にした紙袋を突き出す。
「・・・なんだってんだ」
横柄さにムカつきながらも、紙袋を覗いて表情を変える。
薄暗い街灯の下でそっと中身を取り出せば、皺の入った紙に包まれリボンの掛けられた四角い箱。
お世辞にも上手と言えないラッピングだが、一目でプレゼントだとわかった。

「俺に、か?」
「・・・他にいるか」
憎まれ口も照れ隠しだ。
サンジはその場にしゃがんで紐を解いた。
中身は古い新聞紙で包まれている。
「・・・え―――」
あまりの意外さに一瞬言葉を失い、そっと箱から取り出す。
古ぼけたティーカップとソーサー。
裏返してバックスタンプを確認し、また驚きの声を上げる。
「まさか、ペウントラッド?」
「・・・知ってんのか」
その言葉を聞いて、ゾロも驚き半分、安堵半分だ。
もし、これの値打ちがわからなければ、ただの薄汚れたカップでしかない。
それをわざわざ誕生日プレゼントに選んだ神経を疑われそうだし、いらぬ邪推を招くこともほんの少し危惧していた。
だが、サンジは一目見てその価値がわかった。
やはり自分の見る目に間違いはなかったと、一人悦に入る。

サンジはしげしげとそれに見入り、顔を上げないまま呟いた。
「ペウントラッドだぜ。お前、わかってんのか」
「正直、よくわからん」
「船のお守りだ」
「それは聞いた」
「・・・綺麗な、色だな」
「俺もそう思った」
そう思ったから買ったのだ。
海難除け云々は後から付いてきたオマケのようなものだが、結果オーライだろう。
「でもまさか、てめえがこんな・・・」
似合わないとかガラでもないとか、思われているのだろう。
ゾロ自身、自分でもそう思う。
「お前に、これをやりたかった」
祈願やマジナイなど、所詮気休めだ。
けれど、それを肯定する行為が信頼や安心に繋がるなら、別にあってもいいと思う。
「こういうのは、価値のわかるもんが持っててナンボだろ」

サンジが不意に顔を上げた。
困ったような怒ったような、なんだか変な顔をしている。
「・・・なんだよ」
何か文句を言われそうだ。
「これ、高かっただろ」
「別に」
「もしかして、金がねえのか?」
「まあな」
「だから、町にいなかったのか?」
ゾロはぼりぼりと頭を掻いて、明後日の方向を見た。
「ともかく、なんか食いもん探して森の方にいったんだがな」
「迷って帰れなくなったのか」
「・・・そんなとこだ」

髪や背中に木の葉をいっぱいつけて、泥だらけになって帰って来た姿を思い出す。
やつれて見えたのは腹が減っていたからだ。
一番にナミを頼ったのも、借金が目的だからだ。
「バカ野郎」
サンジは小さく呟くと、きびすを返して早足で歩き出した。
「おい、待てよ」
「うっせえ、早くきやがれ」
紙袋を両手で抱えて、後ろを振り向かずに怒鳴る。
「どこ行くんだ?」
「俺が泊まってる宿だ、馬鹿」
くるりと振り向く、サンジの顔は夜目にも赤い。
「宿入って、二人きりでゆっくり・・・礼を言わせろ、バカ」
ぷいと顔を背けて、殆ど駆け足で走り去ろうとする。
ゾロはにやにやと表情を緩めながら、見失うまいとその後を追った。










一度熱を溶け合わせると、途端に態度が緩くなり、可愛くなるのはサンジの癖だ。
これを性癖と言うのだろうか。
ゾロはそんなことを考えながら、今は腕の中でくったりと弛緩しているキンキラ頭を撫でている。
久しぶりにサンジの声を聞いてその肌に触れたから、異常に興奮してしまった。
途中から自制が効かなかったと思う。
別にプレゼントを渡したらお礼にコック自身をいただいてしまおうとか、そういう下心があった訳ではない。
だが、何故かつんけんしていたコックの態度が急激に軟化したのを見ると、プレゼントは効果的だっただろう。

―――誕生日ってのは、いいもんだ
なにを贈ろうかと考えているときも結構楽しかった。
喜ぶ顔が見られたのは嬉しいし、やけに素直に啼いてくれたのもまた予想外の喜びだ。
今だってゾロの胸に頬を摺り寄せるようにして、じっと目を閉じている。
眠ってしまったのかと頬を撫でたら、つられるように瞼が開いた。
暗い照明の下で、灰色に映る瞳が眇められる。

「まさか、てめえからモノが貰えるたあ思わなかった」
「そうだな。俺も誰かにこんなもんやったのは初めてだ」
案外面白かったと、素直に笑う。
「また、なんかやる」
「いらねえよ、どうせろくなことにならねえ」

本当は不安に押し潰されそうになっていたのだ。
最初から身体だけの関係だと割り切ったつもりでいて、全然そうじゃなかった。
そんな自分を認めるのはあまりに惨めで癪だったけれど、サンジが知らぬところでゾロは馬鹿みたいに一生懸命になったり頑張ったりしてたのかと思うと、少しぐらい思い上がってもいいんじゃないかと現金なことを考える。

「モノはもういらねえから、てめえをくれ」
言葉をちゃんと・・・と続けるつもりだったのに、早合点したゾロはそのままサンジの言うことも聞かないで第2ラウンドに突入してしまった。












「のんびりとした、いい町だったわね」
「本当。久しぶりにのどかに過ごせたわ」
ナミとロビンは青々とした芝生の広がる甲板で、デッキチェアに寝そべって遠ざかる島を眺めている。
ルフィたちは空になった生簀をまた賑やかにしようと魚釣りに精を出し、ゾロは後甲板で黙々と鍛錬に励む。
サニー号の日常の中にあって、サンジは新しいキッチンの戸棚の奥をごそごそと整頓していた。

飛び上がるほど嬉しかった思いがけないプレゼントは、できるなら有効に使用したいが、やはり壊れると勿体ない。
調味料を納めた棚の奥に置いておけば、時々目に触れて嬉しい気分になれるだろう。


幻の陶器ペウントラッド。
バラティエにいた時、常連だった大富豪に一度だけ本物を見せて貰ったことがある。
バックスタンプの特徴も彩色の仕方も中々に似せてある、良くできたニセモノだ。
第一、本物のペウントラッドだったら、とてもじゃないが貧乏剣士の小遣い程度で買えるはずがない。
自らの首を差し出せば、お釣りは来るかもしれないが。



「けどこれは、俺だけのお守りだ」

鈍く煌めく青にそっと祝福のキスを落として、サンジは静かに扉を閉めた。



END



back