Cham blue -1-




曇ったガラス戸の向こうに鎮座する、その小さなものに何故気が付いたのかわからない。



往来を歩いていたゾロはふと足を止めて、薄暗い店内に目を凝らした。
骨董品屋だろう、古い物をそれらしく古びた店に置いてあるからどことなく陰気臭い。
ナミ辺りなら、こういうところに掘り出し物があるとでも言うだろうか。

なんとなく目をつけてじっと見つめたのは5秒かそこらだろうに、店の奥にちょんと座って何をするでもなくこちらを見ていた年老いた店主がにやっと笑った。
「お兄さん、若いのにお目が高いね。そいつは『ペウントラッド』だよ」
「ああ?」
店主が言った言葉の意味すらわからない。
「今から200年ほど前に沈んだ豪華客船『ペウントラッド』から引き上げられた食器さ。よくみてご覧」
別にあてもなく彷徨っていたので、ゾロはそのまま埃っぽい店の中に入った。
汚れたショーケースから、老人がやけに仰々しい手付きで取り出す。

一組のカップとソーサー。
それだけのものだ。
「難破船から引き上げられたと言うのに、疵一つ欠片一つないだろう?」
これまた年代物のランプの灯りに翳して、恭しい仕種で引っくり返して見せる。
「ペウントラッドの遺物は奇蹟の象徴として、主に海難除けのお守りとされておる。あんたも見たところ船乗りのようじゃし、どうかな?」
「船乗り」と称するには無理のあるゾロだが、ズバリ「海賊」と言い当てないところが商売上手だ。
「海難除け・・・ねえ」
ゾロが心惹かれたのはそういう謂れの方ではなかったのだが、それはそれで都合がいいような気もする。
―――あいつは、ああ見えて結構信心深いからな

神をまったく信じないと豪語するゾロを窘めたりはしないが、恐らくサンジは麦藁のクルーの中でも人一倍迷信などに敏感だ。
詳しいのならロビンやナミの方が上手だろうが、それを実行したり恐れたりするのと話が違う。
生まれついてからずっと海で暮らしていたせいか、元々船乗りにはそういう伝説的な習わしが付き物なのか、ゾロの目から見たら無意味で面倒臭いことを当たり前のようにやっているのを何度か目にした。
古い物を大切にしたり物が壊れるのを極端に嫌うのは、それすなわち船の運航に直接関わる大事に至ることとして、戒められてきたのはなんとなく理解できる。
だが口の中だけで呟く呪文や祈りみたいな類の効力はさっぱりわからない。
それでも、サンジ自身がそれを毎日続けているからこそメリー、そしてサニー号は無事航海を続けられ、クルー達は毎日新しい朝日が拝めると自負しているなら、それはそれでそういう思い込みも許せてしまう。
人の生き死にも幸も不幸も、神や運命など元から存在せず、人の与り知らぬところで適当に発生して終わる事象だとゾロは思っているが、だからと言って他人の「信じる心」を否定するつもりはない。
特にサンジのように、実際に遭難を体験した人間にとっては、人智を超えた災厄は神の所業と思わずにいられない心理もあるのだろう。

ゾロは目の前のカップ&ソーサーを眺め、ふむと腕を組んだ。
サニー号に乗ってから、あの巨大生簀のお蔭で食糧事情は格段に良くなった。
かくなる上は、海難除けのお守りも備え付けて、なんの憂いもなく航海を続けられたらいい。
ガラにもなく殊勝なことを考えて、ゾロの心の針は「買い」の方向に傾き始める。
元々、サンジの誕生日プレゼントを探しに町に出たのだ。
これも「縁」と言う奴だろう。

「それで、こいつは幾らくらいなんだ?」
「そうさのう、何せ幻のペウントラッドじゃ。数十万は下らんとこだが・・・」
「数十万?」
さすがに引く。
「わしは骨董屋の店主なんぞしておるが、これを商売と思ったことは一度もない」
主人は狭い店の中で、突然遠い目をしてみせた。
「様々な人、時間、場所とを経てこの店に集まったモノ達だ。それらはこの薄汚い小さな店で目立たないまま、ずっと真の持ち主を待ち続けておる。彼らが見定めるために」
「見定める?」
「そう、骨董店は買い求める場所ではなく、モノが持ち主を引き寄せるための場所」
顰め面しい顔をして、あれこれとゆっくりと指を指しながら身体の向きを変えていく。

「あれも、それも、この置物も敷物もスプーンもランプも痰壷も全部!己の主を見定めるためにここにいるのだよ。骨董店の主役はお客様でも店主の腕でも口でもない、ただここに黙って座り悠久の時をじっと待つモノたちすべて!」
芝居じみた声音でそう言い、振り返ってゾロをビシッと指差した。
「故に、あんたがこのカップを選んだかに見えてその実、カップがあんたを選んだんだ。私はその選択の手伝いをするために今ここにいる!」
店主の気迫にやや圧倒されながら、ゾロはそれで?と先を促した。
「失礼ながら、どう贔屓目に見てもこのペウントラッドを買い求めるに足る、資金を持ち合わせているとは到底見受けられない」
遠まわしな言い方だが、貧乏なことを看破された訳だ。
「見りゃわかるだろ」
開き直ってゾロも胸を張る。
「だがこのペウントラッドはあんたを選んだ。そうじゃ、わしにはわかる!」
だから一々声を張り上げるな。
「ゆーえーに、今回だけは特別に・・・一期一会じゃ、袖擦り合うも他生の縁じゃ!大負けに負けて10万ベリー!!どうじゃ!」
「・・・無理だ」
間髪いれず、即答した。
先ほど下船して自由行動に入ったとはいえ、元々この島での所持金は5万ベリーぽっきり。
これでログが溜まるまでの3日間、各自過ごせと厳しいお達しが出ている。

「・・・無理か?」
「ないものは出ねえ」
「なら諦めるんだな」
あっさりと引いて、店主はまた店の奥に腰掛けわざとらしく新聞を取り出した。
これで話は終わりだと、ゾロもさっさと立ち去ればいいものをなんとなくそのままショーケースの前に突っ立って「ペウントラッド」とやらを見詰めている。
お守りの威力とか陶器の値打ちとか、そんなものにてんで興味はない。

「お若いの」
店主は鼻の頭にちょんと掛けた丸眼鏡をずらして、目線だけ上げた。
「ペウントラッドの謂れを知らずして、何故そのカップに目をつけた?」
「・・・ああ?いやー」
若干言いよどみ、ぽりぽりと顎の下を掻く。
「色がな、気に入ったんだ」
「色?確かに、古びてはおるが色合いは美しい」
カップにもソーサーにも、薄い青が施されている。
そして縁取りはくすんだ金色。
作られた当初は鮮やかだっただろうが、多少古びた今の色はまた落ち着いてしっくりと来る。
何客も揃っていなくとも、たった一客だけで妙に存在感があって、ゾロの目を引いたのだ。

―――あいつの色みてえだ
光によって灰色のような薄い緑のような色を移す、青い瞳。
蜂蜜色の髪。
「この青はな、アクアマリーナの原石をすり潰して塗られておる」
「アクアマリーナ?」
「それも海難除けの宝石じゃよ。なんだ、ほんとに何も知らんのだな」
呆れた声にむっともせず、ゾロは素直に感心した。
ならば尚更、コックに似合いそうなカップだ。
買えないのは残念だが。

「そうか、色々教えてもらった。じーさんありがとう」
そう言ってきびすを返したら、店主がばさりと新聞を畳んだ。
「やれやれ、わしは構わんと思っとるのに、カップが泣きよる」
そう言ってゾロにゆっくりと近付く。
「お若いの、持ち合わせは幾らじゃ」
「5万」
考えなしに即答した。
「5万ベリーか、まあ仕方ない」
店主は渋面を作ったが、皺だらけの手を差し出す。
「それで手を売ってやろう。5万ベリーで売った」
「買った」
殆ど条件反射みたいに、ゾロも応えた。


「そのカップがいるのは3日後だから、悪いがそれまで預かっといてくれねえか」
こんな曰くつきのカップを持ち歩いて、陸で割ってしまったりしたらシャレにならない。
「お安い御用だ、また取りに来なさい」
代金だけ先に貰って、店主は鷹揚に頷く。
「また取りにって、この店わかるかな」
「小さな町じゃぞ。ここで骨董屋をしとるのはわしだけじゃ」
それなら誰かに聞けばわかると、ゾロは安心して店を出た。

―――さて、どうするか
これから3日間、一文無しで過ごさなければならない。




3日後はサンジの誕生日で、皆でパーティを兼ねて一緒に夕食を取ることになっている。
そして翌日の朝出発。
それまでは自由時間ということで、てんでバラバラになってしまった。
まあ、小さい町だっつってたから、その内誰かと会うだろう。
そん時借りようとのんきに構えて、ゾロはいつの間にか夕闇に染まった町中をぶらぶらと歩いた。
通りの店からは、美味そうな匂いが漂ってくる。
さすがに腹が鳴って、コックの飯が食いたいななどと脈略もなく思いついてしまった。
ら・・・
コックがいた。
目の前に。


「おう、迷子まりも!なんだ、町中で迷子か?」
大きな袋を提げて、タバコ片手に路地に立っている。
「なんだその荷物は」
「へっへ〜市場を下見したら乾燥ハーブを分けて貰えたんだぜ。まだ調合する前だからって安くよ。だもんで、これから宿帰ってオリジナルスパイス作るんだぜ」
ものすごく自慢げに言ってくる。
安く買えたことが嬉しいのか自分で作れるのが嬉しいのかよくわからないが、屈託なく笑う顔がガキ臭くていい。
いいっとかって・・・
急に自覚して、ゾロは口をへの字に曲げて顎の下をぽりぽり掻いた。
「あんだその面、馬鹿にしてんのか?」
「別に」
「あーなんだその言い方、むかつく!」
このところコックを見ると、闇雲に「可愛いな」とか思ってしまって、そのことに気付くと自分でも愕然とするのだ。
野郎相手になんだこの感情は。
確かに麦藁メンバーに入ってからこっち、船旅の疲れとか鬱憤とか欲求不満とかが溜まって、うっかりコックに手を出したのは自分だったが、クソ変態ホモ野郎と罵りながらもあっさり身体を許したサンジもサンジだった。
以来、ずっとずるずる関係を続けているのに、普段の生活ではそんな関係などおくびにも出さないでむしろ険悪な雰囲気さえ漂わせていがみ合う仲間を演じながら、コトに至るときはやけに初々しくも可愛らしい反応を返すから、すっかり手放しがたくなってしまった。
なんなんだこいつは。
町を歩いてりゃチンピラ並みのガラの悪さなのに、俺と二人だけになるとなんでそんなに照れたり恥ずかしがったりするんだよ。
畜生、可愛いじゃねえか。
まあこのギャップもいいんだが。

なんてことを、当のサンジを目の前にしてたっぷり30秒くらい回想してしまう。
「こら寝ぼけマリモ。立って寝るな」
がんと脛を蹴られた。
またぼうっとしてしまったらしい。
痛さに顔顰めるゾロの前で、サンジはふいと横を向いた。
タバコを口に挟んだままぼそぼそと呟く。
「てめえ・・・宿決まってんのか?」
「決まってねえ」
即答だ。
決めるどころか、金がない。
「んじゃ、俺の宿・・・来っか?」
背けた頬の横についている、耳が何やら赤く見える。
夕陽に染まっているのだろうか。
ゾロは一瞬助かったと思ったが、すぐに考えを改めた。
「いや、お前とは泊まらない」
「・・・あ?」
意表をついた顔をして、サンジが振り返った。
「この町でお前と一緒には過ごさない。邪魔したな」
それだけ言って、ゾロはその場から早足で立ち去った。
背後でサンジが何か喚いている気がしたが、意に介さず真っ直ぐに歩く。

危なかったぜ。
一緒に泊まるとなると、当然宿代は折半だ。
そうしたら一文無しであることがバレてしまう。
なんで一文無しなのかと問われたら、プレゼントを買ったことが知られてしまうかもしれない。
それはまずい。
誕生日プレゼントは、誕生日当日にこっそり渡すものだとチョッパーが言っていた。
当人には知らせず、びっくりさせるものなのだと。
ならば、それまでコックには近寄らないほうが懸命だ。
隠し事が得意でないことは充分自覚しているので、ゾロはともかく町から離れようとそう思った。




「畜生、なんだってんだ!」
サンジは怒っていた。
往来で「むきーっ」とか叫びたいほどに怒っていた。
お前とは泊まらないだと?一緒に過ごさないだと?生意気な!
どうせ何もするあてもないだろうから、飯時くらい付き合ってやろうと思ったのに。
ついでに宿代も折半したら、その分出費が浮いて小遣いが増えるのに。
キッチン付きの宿を見付けたから、飯だって作ってやれたのに。
久しぶりの陸だから、ゆっくりできたのに・・・
「クソっ」
八つ当たり的に煙草を路上に投げ捨てて、足で踏みつけた。
万年迷子の漂流マリモめ、どこだって好きなトコ彷徨ってればいい。
どうせ小さな島の狭い町だ、どこかで行き当たるに違いない。
その時何か言って来ても、返事なんかしてやるもんか!
やや稚拙過ぎる悪態を胸でついて、サンジは宿に向かって歩き出した。








「腹が減った・・・」
くう、と遠慮もなく腹が鳴る。
海賊暮らしが長くなってから実に規則正しい生活が続き、腹時計がやけに正確になってしまった。
毎度毎食、きちんと食事やらおやつやらが出るからだ。
そんなぜい沢な暮らしにすっかり身体が馴染んでしまって、いきなり訪れる餓えに敏感になってしまっている。
「こういうことじゃいかん、これも鍛錬だ」
常に逆境に耐え得る強靭な肉体と精神であれ。
単に空腹を紛らわす為だけに、ゾロはあてもないままざくざくと、夕闇に包まれた森の奥深くへと突き進んで行った。


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