Ataraxia -8-



ゆっくり寝すぎて眠れないから、とやや強硬に交替を申し出たにも関わらず、その日の不寝番だったナミは頑として譲らなかった。
「今夜はロビンと、色々語り合いたいのよ」
そう言って女二人、毛布と温かな飲み物を手に、楽しげに見張り台へと昇っていく。

出航初日だからと宴会は早めのお開きになったが、常より長く朝寝をしたせいか、はたまた意識がずっと眠っていたせいなのか、サンジは到底寝付けそうになかった。
仕方なく、後片付けを済ませた後ゆっくりと風呂に入り、何故かいつもより念入りに、隅々まで身体を洗ってつやピカで上がってきたりして。
今夜も海は凪いで、星が綺麗だ。
こんな日は夜行性の酒漬マリモがラウンジにでも生息していないかと足を運んでみたものの、もぬけの殻。
甲板にも倉庫にも人影はない。
もしやと思って男部屋を覗いたら、早々に寝床でいびきを掻いていた。
「この野郎」
腹立ち紛れにスリッパで額を叩き、寝惚けた頭をがしっと抱え、低く囁く。
「・・・なんだ」
そこまでされても、ゾロは寝惚け眼で腹なんぞ掻いていた。
「何とっとと寝てやがんだ。この万年寝太郎」
唇がつきそうなくらい顔を近づけ、眠る仲間を起こさないよう声を潜めた。
「聞きてえことがある、付き合え」
ゾロはじろりとねめつけるようにサンジを見たが、抗わず身を起こした。



二人で向かったのは倉庫だ。
まだ新しい船のせいか仄かに木の香りが漂って、知られざる快適空間になっている。
倉庫の木箱の隅に空間が設けられ、そこに敷かれた毛布はサンジが暇を見ては洗い干ししているのでいつでも清潔だ。
その毛布の上にサンジは胡座を掻いて座り、ゾロには木板の上に座らせた。
向かい合う状態で煙草に火をつけ、勿体ぶるようにゆっくりと一服する。
サンジがひと言発するまで、ゾロは腕組みをしたまま根気よく待った。

「・・・俺が、どこぞのレディに取り憑かれてたって話だが―――」
「・・・・・・」
「相槌くらい打てよ」
反応のないゾロに切れて、吸いさしの煙草をせっかちに揉み消す。
2本目を取り出し火をつけようとして、勿体ないと思ったのかそのまま箱に戻そうとした。
途中煙草がくにゃんと折れて曲がり、一人で癇癪を起こす。
「ああ畜生、やっぱりてめえが全部悪い」
「なんの話だ」
黙っていると話が拗れると理解したのか、ゾロは溜め息をつきながら口を挟んだ。
「だから、俺に意識がない間。俺は・・・お前に、その・・・なんか言ったか?」
「言った」
別に隠すつもりはないから、ゾロは堂々と胸を張って真実を告げる。
「俺のことを命賭けて愛していると、お前は言った」
その途端、サンジは勢いよく後ろに倒れ掛かった。
実際に、壁がなかったら後頭部を打って失神しそうな勢いだ。
そのまま気絶して、すべてなかったことにでもしたかったのだろうか。

サンジの動転振りを冷ややかに見詰めながら、ゾロは容赦なく言葉を続ける。
「てめえがあれに取り憑かれたのは、昨日やそこらの話じゃねえだろ。いつからかは知らねえが、お前初めからあれに操られてやがったな。だから俺と寝たんだ」
「ば、いきなり何言いやがんだ」
後頭部を擦りながらなんとか身を起こして毒づくも、口調に勢いがない。
「あれが成仏したんなら、てめえももう俺には用なしだろ」
きっぱりと言い切られ、サンジは背中に冷水でも浴びせられたかのように蒼褪めた。
ゾロは、すべてを見越していた。
一体いつから―――
「てめえ、いつから気付いてやがった」
聞くのは怖いが、聞かずにはいられない。
「最初からだ」
これまた即答され、再び後ろに引っくり返りそうになる。
「なんで?つかなんで、どこでどうバレたってんだ?」
サンジにしたら、誰にも言えないで一人で抱え込んだ大きな悩みだったのだ。
なのに、ゾロは最初から気付いていたという。
女性の霊に取り憑かれていたとか、実は生まれ変わりだとか、そんな荒唐無稽な話は事実であっても頭から信じないであろうゾロが、最初からわかっていたなどと・・・
「なんで?」
改めて問うも、ゾロは不機嫌そうに口を曲げてだんまりを決め込んだ。
どうやら言いたくないらしい。

「や、だってずるいじゃねえか。てめえ気付いてて黙ってやがって、俺がどんだけ悩んでたか・・・」
「そりゃ悩むだろうよ。好きでもねえ男を慕う気持ちに、無理矢理させられてたんだからな」
同調する風を装いながらも、ゾロの言葉の端々に棘がある。
サンジはむっとしながらも、この期に及んでなぜゾロがここまで不機嫌なのかわからなかった。
怒るべきも口惜しがるべきも嘆くべきも全部自分の方のはずなのに、なんでゾロが怒ってるんだ?
「てめえとしても不本意だったろ。だがこれでもう、てめえが俺と寝る理由はなくなったじゃねえか。
よかったな」
よかったなって、なんでそんな他人事みたいに―――
呆然とするサンジを残して、ゾロはいきなり立ち上がった。
「これで話は仕舞いだ」
「ちょっと待てよ」
いきかけるゾロの足にタックルをかまし、全力で止めた。
サンジの機敏な動きにゾロの方が驚いて、そのまま二人して床に倒れこむ。
「てめえ、一方的に話切りやがってなんのつもりだ」
「てめえこそなんなんだ、まだ俺に用があるってのか」
サンジはゾロの太股を抱えたまま、よじよじと登るように身体を密着させる。
「てめえ、人の気持ちを置き去りにして勝手に決着つけんじゃねえよ」
「気持ちだあ?」
ゾロは眉を顰め、わざと語尾を上げてせせら笑った。
「生来の女好きがなに言ってやがる。女に取り憑かれてたからおかしな行動取ったんだって、そう解釈してやってるのに、わざわざ自分から蒸し返しやがって。それともてめえ、男が好きなのか」
「んなもん、好きな訳ねえだろ!」
サンジは本気で激昂した。
「ならそれ以上俺に触んな。男なら誰でもいいってならわかるが、そうじゃねえなら俺に近付く意味はねえだろ」
「うっせえ、さっきから意味とか理由とか、なに戯言ほざいてんだ。大体、俺の気持ちをなんでてめえが勝手に決めるんだよ。誰がてめえを好きじゃねえなんて言った?」
「だが、俺を好きだと言ったのはあの女だ」
「そうかもしれねえけど、だからって俺が好きじゃねえとは限らねえじゃないか!」
「んなもん、てめえのことだから女の気持ちに流されてただけだろ。信用できるか」
「し、信用だとぉ」
サンジは声を引っくり返して目を剥いた。
成行きとは言え、あれだけ何度も何度も身体を重ねた癖に今更、信用ならないとは何事か。
「てめえ、この期に及んで俺のことが信用ならねえたあ、どういう意味だ」
「大方、男にやられる癖がついたってとこだろ。好きでもねえくせに」
「だからなんで、お前が俺の気持ちを決めつけんだよ!」
サンジはうがーと喚いて、ゾロの上に馬乗りになったまま襟元を掴んで揺さ振った。
「いくらレディが取り憑いてたって、好きでもねえ野郎にあんなとんでもねえことしかも何度もさせるかボケ、俺を舐めんじゃねえよ」
「あの女がいなくなった今、てめえは耐えられんのかよ」
「耐えるもクソもねえってんだ、四の五の言ってねえで試してみやがれ」
ゾロはサンジに締め上げられたまま、すうと両目を眇めた。
「後で、泣き入れたって知らねえぞ」
「誰がっ」
頬を紅潮させて文句を続けようとしたサンジの後頭部を、片手で鷲掴みにして勢いよく引き寄せる。
そのまま唇に噛み付けば、サンジも応戦するかのように吸い付いてきた。


抱き合うと言うより掴み合う形で、お互いの舌を貪り合う水音だけが静かな倉庫の中に響く。
その合間にも、ゾロの手はサンジの薄い背中からベルトの隙間を潜り、柔らかな双丘を強い力で揉みしだいてさらにその奥へと大胆に指を這わせた。
サンジはびくりと背を撓らせるも口付けを止めず、ゾロの行為を肯定するかのように自分もシャツの下に手を入れてゾロの背中を掻き抱いた。
言葉なんかで弁明しなくても、身体のすべてがゾロを欲しがっている。
これは王女の名残ではなく、純粋に自分だけの欲望。

ゾロはサンジの口端から唇をずらし、顎から首胸元へと舌を這わした。
いつのまにか乱れた襟元はボタンが外れ、白い肌にすでに薄赤く染まった突起が浮かんでいる。
たっぷりと唾液を含ませた口に含み舌で転がせば、サンジはちいさく喘いで仰け反った。
目がとろんと潤み、半開きの唇が濡れて光る。
こうなるともうサンジは殆ど意識を手放したかのように、従順にゾロの愛撫に身を任せ素直に喘ぎ善がり声を上げる。
そうして奥深くにゾロを収め絶頂を迎える間際、いきなり奈落の底へと叩き落すのだ。
ゾロではないものの名を呼んで。

木箱の隅に隠されたローションを取り出し、ゾロは性急にサンジの内部を指で弄った。
乳首に噛み付き脇腹を舐めれば快楽を覚えた身体はたやすく蕩けて、ゾロの首に縋ることすら忘れた腕が床に投げ出される。
ゾロの指が舌が、触れる箇所すべてが発火したように熱い疼きを伴って否応なしにサンジを高みへと誘っていく。
例えその行為が陵辱でも暴力でも、相手がゾロだというだけですべてを許してしまうのだろう。
そんな自分自身を認めたくなくて恐ろしくさえ思えて、すべてを王女のせいにしていたのかもしれない。
けれど彼女がいない今、それでもなお胸を占めるのは狂おしいほどの恋情と享楽。
まだ解しきれない後孔に押し付けられるゾロの昂ぶりさえ、求められる喜びに転じてサンジを一層歓喜へと導いた。

「・・・あっ、あ・・・」
想うだけで見つめるだけで、満足できる恋もあっただろうか。
いつか時を経て、昇華できるほどの長く激しい気持ちだけの恋でも、ひと時の安らぎと確かな絆を築くことができたのだろうか。
それでも、多分この手を知ってしまったなら、もう二度と手放したくなくなるに違いない。
この熱もこの激しさも痛みさえもすべてが―――
失うもののない心の平穏など、クソくらえだ。
足掻いてもがいて、みっともないほどに己を曝け出して愛しい者を求め続ける果てに、孤独が待っていようとも。

「ゾロっ・・・」
サンジはゾロの腕に爪を立てて、薄く目を開けその姿を仰ぎ見た。
膝裏に手を当てて足を押し広げ、黙々と腰を進めるゾロは、何故か酷く冷たい目でサンジを見下ろしている。
欲情の欠片もない、まるで観察でもするかのような冷徹な視線。
それに気付いてさえ、サンジの中の興奮が冷めることはなかった。
例えゾロが、お情けでサンジを抱いているつもりだとしても、ただの性欲の捌け口としか思っていなかったとしても、その手に触れられる悦びに替えられるほどの屈辱ではない。
そのことに自分で納得したら、サンジの奥が勝手にきゅうと熱く締まった。
ゾロが片目を顰めて、腰を微妙に震わせながらふんと気合でも入れるかのように鼻から息を吐く。
その様子を眺めてサンジはくくっと笑いを漏らし、背を撓らせてゾロの首へと腕を回した。
「・・・ゾロ」
砲身を身に収めたまま、自ら腰を深めて固い下腹部に己を擦り付ける。
「ゾロ・・・すき―――」
ぴきっと音がするくらい、ゾロの額に青筋が立った。
見開かれた瞳は黒目が収縮してより際立った三白眼となり、小鼻が膨らんで俄かに鼻息が荒くなる。
「こんの野郎・・・」
ギリギリと、歯軋りさえ聞こえそうで。
「もう、勘弁ならねえっ」
なにをどう勘弁していたつもりなのか。
勝手にキレたゾロは、サンジの腰を抱えると身体全体を振り回す勢いで揺さぶりだした。

「あ、やっ・・・ああっ」
激しい挿迭に突き上げられながら、サンジは必死の体でゾロにしがみ付いた。
毛布がずり上がり、ピストンの衝撃で詰まれた木箱が崩れ落ちそうなほど傾く。
それにも構わず、ゾロはサンジの足首を持って乱暴に引き上げてはガツガツ己を打ち込んだ。
「やだっ、やあ・・・あ―――」
白い肌に、そこだけ淫らに色付いた乳首を摘み、凹んだ腹を撫でて、いきり勃った花芯にも手を添える。
だらだらと蜜を溢れさせながら揺れるそれはゾロの手の中で脈打ち、内部に納めた熱は更に奥へと誘うように収縮した。
「ゾロ、もう・・・も」
がくがくと揺さぶられ、生理的な涙が滲む瞳は、視線が合わなくなっていた。
この期に及んで、ゾロは挑むようにサンジを見つめながら、丸い後頭部に手を添えて顔を上げさせる。
下半身の激しさとはあまりに違いすぎる、優しいキス。
啄ばむように口付けて、そっと舌を這わせ、また唇を重ね、ゾロはサンジを抱き締めたまま一層深く
その中へと身を沈めた。
「―――ゾロぉ・・・」
きゅっと目を閉じた拍子に、涙がぽろりと目尻から零れ落ちる。
白いこめかみにすうと流れ落ちる雫を目で追いながら、ゾロは初めての幸福な絶頂を迎えた。









「あ、流れ星―――」
「この世のすべての金を私のものに、この世のすべての金を私のものに、この世の・・・」
「惜しい、消えちゃったわ」
ロビンの声に、ナミはきっと目を見開いた。
「いやねえロビン、現実的なことを言わないでよ。例え消えてもきっと流れ星の効力は残ってるんだから」
「ごめんなさい」
どっちが現実的だかわからないが、ロビンは素直に謝った。
「でもまあ、不寝番してたら星の数ほど流れ星が見られるから、次にチャンス狙おうっと」
「タフネスね」
ふふふと微笑んで、ロビンはポットから熱いコーヒーを注ぐ。

「ところでさあ、ゾロにあのこと教えてあげたの?」
「え?」
なんのこと?と素で問い返そうとして、ロビンはああと思い当たった。
「ノイシウのこと?」
「そう」
猫の目のように快活な瞳を悪戯っぽく煌かせて、ナミが微笑みを浮かべる。
「もしも、もしもよ。サンジ君が本気でゾロのことを好きなら、ある程度の誤解は解いて置いた方が彼の
ためじゃない」
「誤解・・・そうね」
神妙に頷き、ロビンは視線を空へと上げた。
「そこまで深くは考えていなかったけれど、ゾロには教えてあげたわ」
「そう、それならよかったわ」
温かな湯気に顔を埋め、ナミは一口コーヒーを啜った。
「でもどうやって?」
ふと湧いた疑問に、ロビンは真面目に応える。
「実物を見せた方が話が早いかと思って、土産物で売っていたノイシウのポストカードを1枚買っていたの。それを見せて」
「なるほど」
なんだこれはと、胡散臭そうに受け取るゾロの顔が目に浮かぶようだ。
「黒髪に白い肌、赤い頬を持つ典型的な一昔前の男前だったものね」
「ええ、ほんとに」
思い出して、二人してくくくと笑いを噛み殺した。
どこをどう取ればゾロと似ているとなるのか、そこにあったのはゾロとは似ても似付かぬ濃い顔立ちの男だった。
「で、反応はどうだった?」
「なんでこれと俺を見間違うんだと、かなりご立腹の様子だったわ」
思い出したのか、ロビンは明るい声で応えた。
「恋する乙女のフィルターなんてそんなものよ、許してあげてねと言ったのだけれど」
「恋する・・・」
ぷぷぷと耐え切れず、ナミは口元を抑えひとしきり肩を震わせた。
「・・・や、サンジフィルターでしょ」
「ぷ」
ロビンも横を向いて控え目に噴き出す。
サンジが恋をした相手だったからこそ、デルドレは見誤ったのだ。
結局はそういうこと。

「まあこれが、なにかのきっかけにでもなればいいけど」
「あらいいの?風紀が乱れても」
「目の前でいちゃつかれちゃ迷惑だけど、船を壊さない程度に仲良くなってくれれば別に構わないわよ」
ナミの鷹揚な気構えに、ロビンは深く頷いた。
「デルドレは、そこそこ似てたのにね」
「ああ、そのことなんだけど・・・」
小首を傾げてナミを見やる。
「あの、ウソップが描いた彼女の肖像はどこへ行ったのかしら?」
「え、ラウンジにあったのサンジ君が外したんじゃないの?」
きょとんと顔を見合わせる。
「彼も知らないって、ウソップにもフランキーにも聞いたのよ。上陸する前に、誰も手に触れてないらしいのだけれど」
「・・・でも、街から帰ってきたときにはもうなかったわよ」
「ピンで留めただけだから、風で飛ばされてしまったのかしら・・・」
二人してうーんと首を捻り、しばし沈黙する。
「ちなみに、ゾロに見せたノイシウのポストカードは?」
「彼ったら、腹立ち紛れかそのまま海に投げ捨ててしまったの」
「まあ酷い」
波間に揺れながら、赤ら顔の剣士はやがて海へと没したのだろうか。
先に飛ばされた可憐な肖像画の後を追って。

「それじゃ、今は海の底で二人幸せに絡み合っているに一票!」
「あら、ロマンティック過ぎるわよ」
「いいのよ、対のものはやがて一つに。惹かれ合う魂の絆は永久に。安息の地で眠る夢くらい見たっていいわ」
「そうね、夢見るくらいいいかもね」






愛の奇跡の余韻に浸る乙女達は
いま現実に、倉庫の隅で幸せに絡み合っている二人のことなど知る由もない。






END(2009.3.24)


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