Apple Cheesetarte


そろそろ時間かと、サンジは日誌を書く手を止めて立ち上がった。
耳を澄ませば確かに、一定のリズムと軽い振動を伴った足音が近付いてくる。
平たく言えば、大人のスキップ音。
予想通り勢いよく扉が開かれ、雀斑面が顔を覗かせた。
「サンちゃ〜ん、今日のおやつはなあに?」
「今日はリンゴのチーズタルト」
「わあい、チーズ大好き」
「なんでも好きだよな」
サンジは苦笑して、温めたカップに紅茶を注いだ。
蒸らし時間も充分。
タイミングばっちり。

「いつもすまないねえ」
さっきまで子どもみたいだったエースが一転、年寄り臭い格好で頭を垂れた。
その仕種がまたおかしくて、サンジはエースのずうずうしさに怒るよりも微笑んでしまう。
―――愛敬があって憎めなくてガキ臭いのに、これでもやり手のオーナーなんだよなあ。

『ギャップって、クルよね』
先日のバレンタイン駆け込み教室で、女の子達が盛り上がっていた話題をふと思い出して。
そうかな、そうかもなと一人首を振りながらエースの前に冷やしたケーキ皿を置く。
「いっただっきま〜す」
どこまでも無邪気に手を合わせるエースを見ながら、サンジは換気扇の下に陣取って煙草に火を点けた。


「先週はありがとうね、チョコ」
「ん、あれは義理だから」
「はっきり言うねえ」
バレンタイン当日は土曜日だったから、サンジは仕事でずっとレストランにいた。
一応、店舗兼住宅の冷蔵庫の中にバレンタイン用のチョコが入れてはあったけど、まさかエースがわざわざやってくるとは思っていなかったのだ。
勿論客として、ルフィとナミを伴ってディナーの予約を入れてくれていたらしい。
3人でバレンタインメニューを堪能している間中、まるで催促するかのようにあからさまに目配せしてくるから、サンジは仕方なく会計の時にそっとチョコを手渡したのだ。
「でも綺麗で美味しかったよ、サンちゃんの愛がいっぱい詰まったタルト」
「愛は詰まってねえ、あくまで義理だから」
素っ気無く返すが、実際のところちょっと飾りに凝っていたりする。
チョコタルト自体は簡単なものだが、その上に色んな種類や形のチョコを飾り立てて、見た目豪華にしてみたのだ。
所詮、野郎の腹に収まると思うとやる気半減ではあったのだけれど。
つい、調子に乗ってゾロにも同じものを作ってしまったことは、なんとなく内緒な気分。

「ホワイトデーのお返しは楽しみにしててね」
「つか、マジバレンタインのチョコじゃねえし。あくまで義理だからお返しとか寒過ぎるんでいらない」
「はっきりしたサンちゃんも好きだーv」
冗談か本気なのか判別はつかないが、エースはしょっちゅうサンジに好きだと繰り返す。
あんまり自然に言ってくるからいつも聞き流してしまうのだけれど、本来「好き」という言葉はとっても大切なものなんじゃないだろうか。
だから、それを冗談でも男相手に軽々しく口に出すエースの癖は、あまり好ましくは思えない。
けれどエース本来の人好きのする性格故か、本気で腹も立たないから尚のこと、なんとなくサンジは複雑な気分になる。
「エースはほんとに、食いしん坊なんだなあ」
半笑いでそう呟けば、エースは一瞬きょとんとしてからすうと目を眇めた。
その表情の変化に一瞬どきりとして、目の前の煙を払った。
見間違いだったのか、フォークを咥えたエースはいつもと変わらぬガキ臭い表情でにんまりと笑っている。
「そうだよ、なんせうちは食いしん坊の家系でねえ」
弟のルフィが度を越した大食いだからさもありなんと、サンジもそれで納得する。
「取り敢えず、ホワイトデーの試食会が楽しみだね」
「うん。すげえ楽しみ」
自腹ではとても食べられないディナーをご馳走になるのだから、自然と気持ちも引き締まって、オーナーとして
のエースに尊敬の念さえ沸いてしまう。
いつも気さくなエースだけど、ほんとは凄い人なのだ。

「でも、試食会の方はあくまで俺に付き合ってもらうだけだから、お返しとは違うからね」
しょうもないことを真剣な面持ちで言ってくるから、サンジも真面目な顔付きで頷いた。
「おう、遠慮なくご馳走になるよ」
「よかった、んじゃお代わりv」
にっこり笑って空の皿を差し出すのに、サンジはやんわりと掌を見せた。
「それとこれとは話が別。残りは他の講師達の分」
「サンちゃんのケチ〜」
「オーナーだからって、特別扱いはできません」
ぶうと頬を膨らませるエースは本当に大人気ない。
だがまた表情を一転させて、くるりと振り返った。

「ところで、最近ゾロに会ってねえの?」
「・・・ああ?」
またしても1トーン低い声で、サンジは下顎を突き出し聞き返した。
眉間に皺が寄り、目が据わっている。
「・・・サンちゃん・・・怖い」
薮蛇だったかな〜と後ろ頭を掻きながら、エースはへこへこと首を下げた。
「もし会ってたら、フラワーアレンジメントの講師の話してくれたかと思ったんだけど、そういう雰囲気じゃなかったのかね?」
「・・・別に・・・」
すっかり忘れていた。
ゾロとは会ってないことはないけど、会ったときに失念していたからどちらにしろエースには申し訳ないような・・・まあどうでもいいような。

「ゾロとは土曜日、店を閉めてからちょこっと顔を合わせただけだ」
「なに?」
一瞬エースが真顔で目を瞠った。
「土曜日、店閉めてから会ったの?」
勢い込んで尋ねるから、サンジの方がやや仰け反る。
「おう、飲み会の帰りだとか言って閉店間際に来るから、てっきりチョコ貰いに来たのかと思って恵んでやったら、これなんだ?と来たもんだ」
サンジはそのときのことを思い出したか、むすっと口をへの字に曲げた。
「・・・なんですと?」
今度はエースが眉間の皺を深くして聞き直す。
「なにサンちゃん、ゾロにチョコあげたの?」
「ああ、だってゾロがパリ土産で俺にチョコのタブレットくれたから、そのお返しにと思って・・・」
「パリ土産だとお?」
エースの声がどんどん低くなるが、サンジはそれに気付かない。
「俺からチョコ貰いにノコノコやってきたのかと思ってさ。仕方ねえなと準備してたの出して来たら、あの野郎『これなんだ?』っていいながら箱を顔の横で振りやがったんだ。あの、あのチョコタルトを!」
「ええええええ」
これにはエースもショックを受けた。
あのチョコタルトは、それは綺麗に飾りつけられていたのだ。
そのチョコタルトを、サンジが作ってくれたチョコタルトを、丹精込めたチョコタルトを―――
「・・・振ったのか・・・」
絶望のあまり、乾いた声が出てしまった。
サンジは髪を乱暴に掻き上げて、くああと小さく呻く。
「ちょっぴりな・・・泣きそうになったぜ」
俺のが泣きそうだと、エースも少し涙ぐむ。
「ひでえなあ、あんまりだ」
「だろ?だろう?そんで俺が大声出したら怪げんそうな顔しやがって。今日が何の日だと思ってやがんだと怒ってもピンと来てねえみてえでよう」
「マジかよ」
「そうだろ、マジなんだよ。んで、チョコだって言ったら今度は『なんでくれるんだ?』と来たもんだ」
「うぬぬぬぬ」
さすがのエースも二の句が告げない。
むしろ、ゾロの天然っぷりに感心しそうなくらいだ。
「んで怒る俺を放っといて、ありがたく貰ってやるって言いながらさっさと帰りやがったんだあの野郎!何しにきたんだ畜生。ぜーったい、飲み足りないからうちに寄ったに違いねえ」
「そうだろうなあ」
エースは残った紅茶をサンジのために注ぎながら、大いに同情した。
「よりによって、あんなタルトが入った箱を無造作に振られたらたまらんだろ」
「くそう、きっとめちゃくちゃになってるに違いねえよ。別に、綺麗な状態で渡したかったわけじゃねえけど、作ったもんの気持ちとしてはあんまりだろ?」
「わかる。凄くよくわかる。俺でも腹が立つからな」
気休めではなく、エースも本気で腹が立っていた。
あのタルトをゾロが知らなかったとは言え雑に扱ったことも。
そもそもサンジがゾロにチョコレートを渡していたことも。
遡れば、サンジにパリ土産を渡していたことも。

「うし、まあゾロの講師の件は保留でいいよ」
「って、諦めてねえのかよっ」
「それとこれとは話が別」
エース自身時間を割いて、講師の依頼の件も含めてゾロにきっちり説教してやろうと心に決めた。
それからちゃんと、釘も打っておかないとね。
「んじゃご馳走様。気を落とさないでな、ほんとにあれは芸術的に美しくかつ美味かった」
「・・・ありがとう、エース」
サンジはちょっぴり切ない笑顔を見せた。
この調子では、ゾロはもらうだけもらって礼の一つも言ってないのだろう。

―――でもまあ、サンちゃんには気の毒だけど・・・
ゾロのあの横柄さと無神経さでは、根本的にサンジと合わないだろう。
それでも安心はできまいと、やや気を引き締めてエースは教室を後にした。


end


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