June


ティッティントゥ ティオッタ
ティッティントゥ ティッティオ





異国の音楽を思わせる、リズミカルな響きが窓の外から聞こえてくる。
ここは梅雨島とも称される、多雨地帯の島だ。
年がら年中雨が降り続いて、湿気を孕んだ風が不快な生暖かさを伴って路地を吹き抜けていく。

雨ばかり降る島だから、街の人通りは少ない。
ログが溜まるまでの一晩、地下にショッピングモールを設けた高級ホテルと街中のアットホームな民宿、
そして裏通りに面した安宿にそれぞれ分宿となった。
当然のようにホテルにはナミとロビン、そして治安のよくない安宿にはゾロとサンジが泊まることと決まる。
そのことに特に不満はない。
雨露が凌げれば、床が軋もうと階段にキノコが生えていようと部屋が少々黴臭かろうと気にならない。
むしろ、シーツは清潔で快適と言えるくらいだ。

ただ、問題は―――


ティッティントゥ ティオッタ

誰が置いたのか、窓の外に並べられたドラム缶が雨の降り方に応じて様々なメロディを奏でてくれる。
その音に耳を傾けるとつい、部屋が静寂に包まれるのだ。


ティッティントゥ ティオッタ・・・

降る雨は、自ら音を立てない無機物を楽器に変える。
猥雑な騒音や怒鳴り声、嬌声なんかが通りを包むならまだしも、雑音として聞き流せるだろう。
だが雨音はどこまでも素朴で、透き通るように細く響く。
つい耳を澄ませて拾ってしまうような、かすかだけれど途切れのない一定のリズム。
それに耳を傾けると、言葉が消えるのだ。
いつもなら沈黙を意識させる間もなく繰り出せる弾丸トークがこれっぽちも出やしない。
声を発する暇さえないほどに、雨音は断続的に鳴り響く。


ティッティントゥ ティオッタ

サンジは新しい煙草を取り出そうとして、手を止めた。
手持ち無沙汰でつい吸う本数が増えてしまって、残りが少なくなっている。
足りなくなって街に買いに出るのも億劫だ。
今夜一晩くらいは持たせたい。

「・・・ちっ」
小さく舌打ちして、窓辺に寄せたイスの上で足を組み替えてひたすら外の景色を眺める行為に没頭した。
が、しかし―――間が持たない。

ゾロはといえば、さっきからベッドに寝そべって新聞を読んでいる。
夕食は部屋で取り、風呂にも入って後は眠るだけの体勢だ。
ゾロならベッドに入って5秒で眠りに就くはずなのに、今日は随分と宵っ張りだな。
そう考えて、薄く自嘲した。
そもそもゾロは夜行性だ。
よく寝るのは昼間だっけか。


食事をする合間ですら、つい外の音に気を取られて会話が途切れがちだったのに、とうとうすることもなくなって、いよいよ気まずい沈黙に包まれてしまった。
雨音は鳴っているのに、重いくらいに静寂が感じられる。
それに耐え切れず何か言おうと口を開けても、うまく言葉になってくれない。

沈黙を扱いかねているのは、多分ゾロも同じだ。
さっきから、同じ紙面ばかりを睨んで進んでいない。
ゾロだって、新聞の文字一文字もろくに追っちゃいないんだ。
意識はすべて、後ろの窓辺にいるサンジの動向に向けられている。
それが気配でわかるから、サンジは余計に動けない。

自分の一挙手一投足を、ゾロが待ち構えているようで。
迂闊に動くことなんてできやしない。




いつからこんな風になったんだろう。
すくなくともこの間までは、二人の間にこんな種類の緊張は存在しなかったはずだ。
敵対とは違う、険悪とも違う。
むしろどこかむず痒く、居た堪れないような、かと言ってこの場から去りたいとは思わないような、不思議な緊張感。
ゾロが動くのが先か、サンジが根を上げるのが先か。
ため息を吐くことすらできなくて、意識して呼吸を顰めてしまう。
鳴り響く雨音は、早まる鼓動を消し去るほどには強くない。


パサリと、ゾロが新聞を畳む音がした。
それに助けられるように、サンジがゆっくりとイスから立ち上がる。
「よく降る雨だよな」
今更のようにそう言えば、ゾロも横を向いたまま「ああ」と応えた。
「さすが梅雨島だ。梅雨ってのは季節の合間にあるから風情があるんであって、年がら年中これじゃ、嫌になるだろう」
洗濯物も乾かないし、部屋は湿気るし。
キノコは生えるし気分は滅入るし、部屋の中に閉じ込められるし。
「そうだな」
やけに素直なゾロの受け答えがかえって不気味で、サンジは首を竦めた。
気分転換に喧嘩の一つも吹っかけたいが、腐りかけて相当危うい床板がその行為を押し留めている。

「ったく、旅の途中の俺らはいいけど、この島に住んでる人らは一体何して過ごしてんだろうなあ」
パサリと、もう一度新聞を開く音がした。
「この街は特に、出生率が飛びぬけて高いらしいな。どこの家も子沢山だ」
「―――・・・」
墓穴!

サンジは立ったまま窓の外に視線を向けて、仕方なく煙草を取り出した。
背中にぴりぴりとゾロの視線を感じる。
なんかのスイッチ押しちゃいましたかね。
つか俺、地雷踏んだ?
本来、男同士なんだから卑猥な下ネタもありだろうに。
この言い知れぬ緊張感はなんなんだ。
この後何を言い繕ったって、シャレにも冗談にもなりゃしねえよきっと。

咥えた煙草に火も点けないで、サンジはフィルターを噛みながら降りしきる雨に目を凝らした。
いっそこの雨の中にでも飛び出して、どっか別の宿に駆け込んだ方が気分的にはましだろうか。
けれど本音ではそんなことしたくない。
ゾロとここまで二人きりの空間なんて、まず船ではありえないのだ。
そのことが素直に嬉しい。
つか、嬉しいってなんだよ。

思考がグルグルしだしたのに気を取られて、サンジは背後にゾロが立っていることに気付くのが遅れた。
脇からすっと手が伸びて、サンジが佇む窓の桟にゾロの手が掛かる。
「雨ってのは、見てて飽きないな」
いきなり耳元から声が響いて、その場で硬直してしまった。
殆ど背中に覆い被さるように、ゾロが身を寄せている。
その視線は雨に煙る窓の外へと向けられているのに、頬に掛かる息が近い。


ティッティントゥ ティオッタ
どくどくどくどく・・・

雨音より激しく心臓が鳴っている。
自分の耳から直接、ゾロの耳へと届きそうな恐れを感じて、サンジは身体を強張らせながらおずおずと横を向いた。
白いシャツの袖から伸びた二の腕は、筋肉が盛り上がり筋が浮き立って見えた。
ただ手を掛けているだけではない、ゾロもまた緊張して無駄に力が入っているのが見て取れる。
ちょっとほっとして、それからなんだか馬鹿馬鹿しくなって、サンジは咥えていた煙草をポケットにしまった。
その動きさえ、ゾロが意識しているのがわかる。
背中越しにも高い体温が感じられて、言葉よりもずっと雄弁にゾロの存在を主張しているようだ。


「・・・することねえし、寝るか」
自然な台詞だ。
なんせ退屈なのだからして、寝るに限るだろう。
「すること、ねえか?」
あえてそこで突っ込むかこの野郎。
横目で睨みつけたら、思ったより近くに顔があった。
いつもの通り表情の読めない、むしろ不機嫌そうな仏頂面だが、ほんの少し目もとの辺りが赤い。
今日はそんなに、酒を飲んでいないはずだ。
サンジも飲んでいないから、頬が赤くなっているのは誤魔化しようがないのだけれど。

何か言おうと口を開きかけて、不意にドアの外に気配を感じた。
お互いに動きを止めて耳を澄ませる。

高いヒールの足音が二つ。
軽いノック。
微かに漂う、安物の香水。

「お暇なら、私たちと一緒に飲まない?」
女の声だ。
雨に閉じ込められて、出歩けない客のために部屋を回る花売りたち。

情けないと思うが、サンジは一瞬逡巡してゾロの顔を見た。
ゾロはその視線を受け止める前に、ドアに向かって返事をする。

「悪いな、間に合ってる」

何か言おうとして開いたサンジの唇を、ゾロはさらうように己の唇で塞いだ。
ヒールの音は、来たときと同じ足取りで遠ざかっていく。



ティッティントゥ ティッティオ

ためらいも言い訳も包み隠してしまうように、雨は降り続いていた。



END


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