小さな恋のメロディ


今日は朝から、なぜか船内がやけに慌ただしい。
バタバタと忙しげに動き回るクルーを眺めながら、ブルックは朝の紅茶を楽しんだ後、さり気なく小さな船医に何事かと尋ねた。

「ああ、今日3月2日はサンジの誕生日なんだ。だからみんなでお祝いするんだよ」
「なるほど、それはおめでたい」
麦藁海賊団に入って以来、ほとんど月毎にある仲間達の誕生日には盛大な宴会を催すことを知ったので、ブルックは感慨深く頷いた。
「毎日美味しい食事を作ってくださるサンジさんのお誕生日ですから、皆さん気合が入っているのですね」
「そうだよ。そうでなくても去年はトラブル続きで結局お祝いできなかったんだ。その分みんな張り切っちゃってさ」
そういうチョッパーも、朝から割烹着姿でサンジを手伝う気満々だ。
「幸い今年は小さな島の入り江に接岸できたし、このまま夜は宴会してゆっくり休んで、明日島に上陸する段取りができてるから平和な一日になりそうだ」
そう言って、エッエと楽しそうに笑う。
「でも私、何もプレゼントを用意しておりませんが・・・」
「サンジには、ナミからまとめてお小遣いをあげるから物はいらないんだ。ただ、みんな自分ができることを今日するつもりでいるみたい。じゃ、俺も出動しなきゃ」
ブルックにそう言い終わると、チョッパーは弾むようにラウンジを飛び出し、甲板へと出て行った。

「サンジー、洗濯俺が干すよーっ」
元気な足音を聞き届けて、ブルックは一人頷きながらまた紅茶を啜った。
「ほほう、結構な日和ですねえ」
窓の外にはサンジを祝福するに相応しい、澄み切った青空が広がっている。





パーティは夜が本番と言うことで、朝も昼もいつも通りサンジが食卓の準備をしている。
とは言え夜の宴会も結局サンジが料理を作るのだからあまり代わり映えしないというものだが、そこはそれ。
仲間達の心意気が滲み出ている分、主役のサンジはいつもより忙しいにも関わらず楽しそうだ。
ナミとロビンはタイムサービスと称して、時間を区切ってはサンジを囲み、頬を突いたり他愛無いことを耳元で囁いたりして、いちゃいちゃ気分を満喫させてやっている。
かと思えばフランキーとウソップに呼び出され、ラウンジや水周りの補修・修繕の指導に時間を費やし、合間におやつを作るのもチョッパーがちょこまかと活躍して手助けに余念がない。
「みんな気遣ってくれなくていいんだよ。つか、俺的にはいちゃいちゃタイムだけで充分だから〜」
などと言いながらも、サンジの頬は緩みっぱなしだ。
ブルックにできることと言ったらやはり音楽しかないから、夜のパーティで精一杯のお祝いをしようと心に決めている。
それにしても、解せないのは彼の人のこと。

船長ルフィが特段サンジに対して何かをしないのは、裏を返せば「腹減った」と手足を巻きつけたりサンジの留守中に冷蔵庫を荒らしたりしないこととも言えるので、充分お祝いに貢献していると言える。
だがしかし。
肝心のあの人が、表立って何も行動しないのは一体どういうことだろうか。



50年のブランクがあるとは言え、ブルックはもう充分に人生経験を積んだ年寄りだ。
故に、人間関係とか他人の心の機微だとか、人よりも多少は聡く感じることができると自負している。
そんなブルックが初対面の時から「おや?」と思ったのは、雰囲気からして微妙な関係性にあった二人のこと。
勘繰りすぎかとも思いつつ行動を共にするうちに、表面上は反目し合っていることに気付き、けれど心の内では互いに惹かれ合っている事も見えてしまった。
熾烈な戦いとあまりに辛く遣る瀬無い出来事を経て、もしかしたら芽生え始めた気持ちが途切れてしまうかと老婆心ながらも心配した淡い恋の目覚めは、やがて無事に実を結んだようだ。
いつからかは定かではないが、二人の落ち着き具合からそれと知れて、我がことのように嬉しい気持ちになったもので―――

仲間みんなで盛大に祝うのも勿論大切だけれど、愛し合う二人をそっとしておいてあげるのもまた、思いやりと言うもの。
その点、どうやらこの船の仲間達は彼らの間柄を正確に把握しているとはいえないのかも知れない。
ブルックとて直裁に確かめたことはないが、薄々気付いていそうなのがフランキーとロビンの二人ほどかと思われた。
ただこの二人、何事も見守るのみで積極的関与を好む性質ではないようで、結果、他の仲間達のお祭り騒ぎがメインとなってしまうようだ。
「まだまだ青いということでしょうか」
できるなら、不器用な若い恋人達に甘い夜を過ごさせてやりたいものだと、ブルックは一人紅茶を啜りながら遠い目をして(実際には空洞だけど)溜め息をついた。






「宴だ〜!」
夜を待たずして、ルフィの叫びと共にサンジのバースディパーティが始まった。
入り江から夕陽を眺めながら甲板に並べられた料理に舌鼓を打ち、大いに飲み食べ歌って踊る。
ブルックもここぞとばかりに、バイオリンを駆使して賑やかなメロディを奏で宴を大いに盛り上げた。
「サンジ君おめでとー!」
「おめでとうサンジ君」
「ありがとう、俺は世界一のシアワセ者だーっ」
ロビンとナミに両頬からキスされて、赤いキスマークも誇らしげにサンジは両手万歳ではしゃぎまくった。
「来月、私にも同じものをお願いしますヨホホ〜」
「わあいブルックおめでとう」
「まだ早いって!」
いい感じに酔っ払ったナミがしなだれかかって、うひょ〜と鼻息も荒くなる(鼻ないんですけど)ブルックは、一層張り切ってバイオリンを奏でた。



いつしか日は暮れ、墨を流したような闇が静かに水面を包みこんだ。
煌々と輝く月と星の瞬きが全てを祝福してくれているようで、甲板に飾られたランプの灯りがやさしく風に揺らいでいる。

いい夜だ。
この上なく明るく楽しく、幸せな夜だ。
こんな日を、再び迎える歓びをブルックは心静かに噛み締めた。
よき仲間達に巡り会え、よき恋人達を見守ることができる。
なんと恵まれた日々だろう。




月が中空に浮かぶ頃、宴はお開きとなった。
分担して手早く片付けを済ませ、それぞれが早めに休むよう部屋へと戻る。
いつも最後に休むサンジのために、お開きは早くしようとナミが提案したのだ。

ブルックは片付けをするサンジの背中を眺めながら、ちびりちびりと名残惜しげに杯を舐めていた(舌はないんですけど)。
女性陣は部屋に引き上げ、酔い潰れたウソップやチョッパー、それにフィギュアヘッドの上で眠り込んだルフィもフランキーが男部屋に放り込んだ。
今夜の不寝番はゾロで、サンジはこれから風呂に入ると部屋に帰って休むだろう。
「・・・惜しいですねえ」
「なにが?」
ブルックの独り言に反応して、サンジが咥え煙草のまま振り返った。
「いえいえなんでもございません。私もこれにて失礼します、おやすみなさい」
「おやすみ」
などと言いつつ、年寄りは存外往生際が悪い。

部屋には戻らず船縁に凭れ、一人バイオリンを奏でた。
いつしか月も雲に隠れ、しっとりとした闇が夜空を包み込んでいる。
いい夜だ。
静かで健やかな、美しい夜だ。



うっとりと演奏に没頭していると、いつの間に時間が立ってしまったのかサンジが髪をタオルで拭いながら風呂から出て来るのに気付いた。
おやおやおや〜と思いつつ、その行く先を目で追う。
タイミングを計ったように、見張り台からゾロが降りてきた。
行き会うように立ち止まり、何事かぽつりぽつりと言葉を交わしている。
―――むむむ、なんとももどかしい・・・
そのまま肩など抱いて、それとなく二人で見張り台へと上がればよいものを。

どちらも空を見上げたり海を眺めたり、どうにも視線を合わせないで、それでいてなにやら立ち去りがたくゆっくりと意味のない足踏みをしたりしている。
ブルックは業を煮やし、ひょいとバイオリンを構えた。
―――愛の歌・アムール


時折雲の影から差す月光に紛れるように、しとやかにその曲が流れ始める。
ゾロとサンジはふと会話を止めて、その曲に耳を澄ました。
寝付けないブルックが、どこかで静かに奏でているのだろう。
二人黙ったまましばし曲に耳を傾け、ゾロがサンジに何事か呟いた。
サンジは横を向いたまま、背を向ける。
そのまま立ち去ると思いきや、ゾロの方がさっさと見張り台に昇ってしまった。
ブルックはヤキモキしながらも、根気よく愛の歌を奏で続ける。

サンジは煙草を一本吸い終わると夜の海に吸殻を投げ入れ、まるで体操でもするかのように身体を右と左に捻らせて周囲を窺い、それから見張り台へと昇って行った。

全てを見届けた後、ブルックは満足したように頷いて、曲の流れを途切らせることなく次の歌へと変えていく。
皆が眠る部屋へと向けて。
恋人達に静かな夜を、仲間達へは安らかな眠りを。
―――眠り歌・フラン



ブルックの密かな心遣いが功を奏したのか、その夜はみんな幸せな夢を見たそうだ。




END


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