Birthday (サンジ)


その時が来たら、ナミはあの白い頬に不意打ちみたいに軽く唇を押し付けてみようと決めていた。
そのために、ちょっと濃い目のリップだって用意してある。
無論その後、5万ベリーの請求書を渡すことは忘れていない。

その時が来たら、チョッパーはどれだけ眠くてもちゃんと起きていて、一番にプレゼントを渡そうと決めていた。
チョッパーが大好きな、あの大きくて白くてとてもいい匂いのする、軽やかに動く長い指。
冬島に近付くとどうしたって荒れてしまうから、サンジの身体にも優しくて食べ物を扱っても大丈夫な、薬草と漢方を練りこんだ特製ハンドクリームを贈るのだ。

その時が来たら、ウソップはトーンダイヤルに録音しておいた盛大なファンファーレとともに、手品みたいに鮮やかな手付きで手渡そうと決めていた。
カモメ通販を参考に、独自に改良したキッチン便利グッズ。
徐々に増えていくクルーの食を一気に引き受けてくれるサンジの手間を、少しでも解消させるお助けツールはきっと気に入ってもらえるだろう。

その時が来たら、ロビンはナミの動きに合わせて素早くサンジの反対側に回り込もうと決めていた。
一緒に可愛くほっぺにチュっしましょvと提案してくれたけれど、折角だからちゃんとキスも贈りたい。
その時は、さすがに煙草を咥えてはいないでしょうから。
もしも煙草が邪魔だったら、抜き取ってしまえばいい。
手は幾らでもあるんですもの。

その時が来たら、フランキーはギターの伴奏とともに、ミニメリー改造バージョンのお披露目をしようと決めていた。
買い出し専用車として保冷庫と分類棚をつけて、折りたたみカートを配置したスペシャル仕様だ。
きっとあの眉をグルグル回して悦びを表してくれるに違いない

その時が来たら、というかその時が来るまで、ルフィはぐるぐる巻きにされて格納庫に閉じ込められることだろう。
これは「その時」に限らず宴前にはお馴染みの事だから、ルフィだってその程度は心得ている。

その時が来たら、ゾロは―――


ゾロは何も考えていないし、多分気付いてもいない。













だがしかし。
皆が胸ときめかせ、ワクワクどきどき待っていた「その時」―――
サニー号は戦場と化していた。



嵐と同業者の襲来により、決死の攻防は一晩かかった。
特殊な渦の発生する海域で地の利を生かした襲撃は半端なものでなく、なんとか返り討ちに遭わせたものの手加減できないまま敵は海の藻屑と消え、お宝をせしめることはできなかった。


「・・・口惜しい・・・」
全身ずぶ濡れになって甲板にへたり込みながら、ナミは肩で息をしている。
メリー号の頃は、敵方に乗り込まれたことは何度かあった。
だがサニー号では初めてだ。
大砲も完備され、外見から舐められることもない大型船になったとは言え、警備が手薄だったことは否めない。
海域の特殊性を知識として持っていなかった自分が歯痒くて、グランドラインの恐ろしさを改めて思い知らされた。
島に立ち寄ることが冒険だなんて、とんでもない。
この海を渡ることこそ、最大の危険を伴う冒険なんだ。
そんな初歩的なことを、ずっと忘れてしまっていた。

「あ〜ひでえ目に遭った・・・」
「腹減った〜〜」
「チョッパー、動けそうなら全員の傷、順番に診てあげてくれる?」
「ナミさんとロビンちゃんを先にしろ。ウソップとフランキーは船の点検してくれ」
「残りの皆は、とりあえず掃除よ」

皆へとへとだったが、ナミとサンジにはっぱをかけられて動き出した破損箇所の修理、血で汚れた甲板の洗い流し、武器の修繕と後始末。
忙しく立ち回っている内に、キッチンからいい匂いが漂ってくる。
「お疲れ、目処がついたら飯にしよう」
サンジが、いつもと変わりない笑顔を見せてラウンジから顔を出した。
なんとなく全員が、ほっと息を吐く。

どんな修羅場を迎えようとも、阿鼻叫喚の坩堝であったとしても、その後に暖かな食事が待っていると思えば気持ちが和らぎ元気が出てくる。
サンジの存在は偉大だ。
いついかなる時でも自分の職務を全うすることで、日常を支えてくれているのだと思う。

「ありがとう、もう少し片付けたら行くね」
ナミは努めて明るい声でそう応え、デッキブラシを擦る手を強めた。


本当ならこの場所は、椅子やテーブルが並べられて飾りつけされるはずの場所だったのに。
冷蔵庫の中には、夜のパーティのために下拵えされた材料がたくさん詰め込まれていたはずだ。
前の島で買っておいた切花も、色とりどりの果実も、特大のスポンジケーキも、きっと傾いた戸棚の中でぐちゃぐちゃになってしまっている。

何より、あれほど待ち望んでいた時が。
3月2日が、もう終わってしまう―――


「折角、楽しみにしていたのにね」
ぽつんと呟いたナミの言葉に、ロビンは手を止めて小さく首を傾けた。

とってもとっても楽しみだった。
パーティのご馳走はサンジ君が準備するものだったけれど、それ以外はみんなで一緒にするはずだった。
プレゼントを渡す順番まで決めて、日付が変わる頃に一番におめでとうを言う役目だって決まっていたのに。
ロビンと二人で精一杯おしゃれして、サンジを骨の髄までメロメロにしてあげるつもりだったのに。
1年に1度しかないこの日なのに、なんだってよりにもよって海賊なんかが襲ってきたりしたんだろ。

考えれば考えるほど、なんだか哀しくなってきた。
自分たちも海賊なんだから、とても人のことは言えたことじゃないのだけれど。
折角の今日のこの日が、台無しになってしまったことがなんとも口惜しい。

「ほんとになあ・・・」
肩から背中まで真っ白な包帯でぐるぐる巻きにされたウソップが、同調するように溜め息をついた。
「いっつも世話になってるから、今日のこの日くらいあいつを王様にしたかったんだよな」
ウソップ手製の王冠は、紙製とは思えないほど精緻な切り絵が施された一品だった。
それが今では、波を被ってふやけた紙屑だ。

「俺も、ちゃんとお礼が言いたかった」
チョッパーはぐずぐずと青い鼻を啜る。
プレゼントを手渡したなら、サンジはちょっと膝を屈めて目線を合わせて、あの大好きな白い手で帽子と撫でてくれただろう。

「いっつも粗暴で素っ気ねえ兄ちゃんだからなあ。こんな機会でもなきゃ、改めて伝えることはできんだろうよ」
慰めるフランキーの横で、ルフィが「腹減った〜」と再びデッキに寝転がる。

「飯食いたいんなら、ちゃっちゃとやって終わらせろ。もたくさしてっとあいつが怒鳴り込んでくるぞ」
ゾロは転がったルフィをさらにデッキブラシで突つき、ゴロゴロと邪険にあしらった。

なんともいえない無力感に項垂れたナミの傍らで、ロビンがぽつりと呟く。
「でも、命日にならなくてよかったじゃない?」
「「「ロビン!」」」
相変わらずのブラックな呟きに、ほぼ全員が突っ込んだ。
「だって、可能性としてはある訳だし・・・」
至極真面目な顔付きが、ふわりと微笑みに変わる。

「ねえ、また来年があるじゃない」
「・・・そう?」
今度はナミの方が悪戯っぽく返した。
「それって矛盾してない?」
「いいえちっとも」
澄まして答えたロビンは、膝を立てて座ったまま軽く背筋を伸ばした。
「来年もちゃんとあるの。そして再来年も、その次も・・・ずっとずっと、3月2日はやってくるのよ」
「運がよければな」
フランキーの茶々に、チョッパーが頭突きをする。

「そうね、また来年があるわよね」
ナミはさっぱりとした表情で立ち上がった。
来年こそ目一杯おしゃれして、サンジを骨抜きにしてやろう。

「来年があるよな」
ウソップも、来年は更にグレードアップした便利グッズでサンジをあっと言わせてやろうと決めた。

「来年まで待つまでもねえか」
フランキーは太い腕を組んで考えた。
当面の課題は、どんな揺れでも傾かない収納棚の改良だ。

「来年も再来年も、この先ずーっと俺は一番に“おめでとう”を言うぞ」
チョッパーは鼻息荒く誓っている。

「おおい、飯だぞーって」
痺れを切らしたのか、サンジが咥え煙草でラウンジから飛び出てくる。
ほぼ条件反射でチョッパーが叫んだ。
「サンジ、おめでとう!」
「・・・あ?」
大きく開けた口からぽろんと零れた煙草を、胸から生えた手が素早く受け止める。

「おめでとう、サンジ君」
「誕生日、おめでとう」
「おめでとうさん!」
「めでてえな」
次々に掛けられる祝福の声にサンジはしばし固まっていたが、ロビンの手から差し出された煙草を咥え直して、にかっと笑った。
「ありがとう」
「しししっサンジおめでとう!そして腹減った!」
胸を張ってどーんと宣言するルフィに、「だから早くしろっつってんだろ」と怒鳴り返す。

「野郎ども、とにかく飯だ。手え洗ってとっとときやがれ!」
豪快に叫んでからナミとロビンに向かっては目をハートにして身体をくねらせた。
「もうすぐ日付が変わるから、このままお雛様パーティに入ろうようv ピンクのケーキを用意したよ♪」
潰れてしまったイチゴをフル活用して、急場しのぎでデザートを作り変えた。
サンジの手は、まさしく魔法の手だ。

「うっしゃあ、パーティだ!」
「宴だ〜〜〜〜〜!!」
戦闘の疲労をモノともせず、当初の予定とは1日遅れての大宴会が開かれた。
また来年も再来年も、仲間の生誕の日を迎え祝うことこそが、最大の幸運であり喜びだと皆が気付いたから。
そうであり続けるために、強く生き抜いていくために―――
想い出なんか、クソくらえだ。



ラウンジに駆け込んだルフィを先頭にして、どんちゃん騒ぎが始まった。
主役になりそこねたサンジは、皆が部屋に入るのを壁に凭れて一服しながら見守っている。
一人、船縁に凭れて海を眺めていたゾロが、最後に歩き出した。
サンジの横を通り過ぎる刹那、ほんの少し歩みを緩めた。

「     」


らしくない。
まったくらしくない台詞が、ゾロの口から囁かれる。
小さく低く、けれどちゃんとサンジの耳に届くように。

サンジは、そのあまりの朴とつさについ笑みが零れて、それから歪んだ口元を隠すように手にした煙草を深く吸った。
ゾロはもう、ラウンジの中に入ってしまって見えない。
誰も見ていないから、もう少し一服していこう。
さっきの台詞を何度だって頭の中で反芻して、味わって噛み締めて、やっぱり記憶に留めて置きたいと思う。

明日をも知れないのは、祝われる当人だけじゃない。
そのことを一番よく知っているから、だからこそゾロは不似合いな言葉でもサンジにきちんと伝えてくれた。
それだけで充分だ。



「想い出なんか、クソくらえだっての」

声に出して呟き空を仰げば、雲の切れ間から満天の星が瞬いて見えた。
日付を越えてようやく、空も晴れたようだ。



END


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