Birthday (チョッパー)


遠くから、鈴の鳴る音がする
―――気がして、チョッパーは顔を上げた。

目の前には満天の星。
きんと冷えた空気がその輝きを更にクリアに見せてくれる、降るような星空だ。
こんな寒い夜は見張りをするのも辛いけど、サニー号になってから実に快適で、見張台で寒い思いをすることもなくなった。
最初の頃、一人きりで空や海を眺めるのはちょっと怖いし心細いしで、正直嫌だったけれど、今では随分慣れた。
なにより、大切な仲間に危機が訪れないようにきちんと見張ることが一番大事だから、寂しいなんて言っていられない。


空耳かと思った鈴の音がちりんちりんと確実にその音を奏でて近付いてくる。
海とも空ともつかない黒い景色に湯気がふわんと立ち昇って、大好きなサンジの到来を告げてくれた。

「よ、お疲れさん」
咥え煙草で手にはバスケット、ちょっとおどけた仕種で顔を現したサンジを、チョッパーは肩に掛けていた毛布を跳ね除けて出迎えた。
「ありがとう」
「誕生日に見張り番だなんて、ご苦労だな」
バスケットを受け取って座るチョッパーの横にサンジも腰を下ろして、温かいミルクをカップに注いでやる。
「いいんだ、なんか俺興奮しちゃって眠れそうにないし寝るのも惜しい気がして。・・・だって眠ったら全部夢だったみたいな気がして勿体無いじゃないか」

楽しかった。
今日は本当に楽しかった。
みんなで誕生日のお祝いをしてくれて、プレゼントをいっぱい貰って、サンジのご馳走でお腹が
はちきれそうになった。
すごく凄く楽しかった。
たくさん笑って踊って歌った。
途中で、これが全部夢でもいいやと思ったくらい。

「まだ腹は減ってないか?」
ホットドッグの紙包みを開けようとして、サンジが手を止める。
「うん、もう少し後でいい。置いておいて」
見張り番は心細くて寂しいけれど、サンジの差し入れがあるから美味しくて暖かい。
チョッパーはサンジに寄り添うようにして、そっとバスケットの中を覗いた。
パンやサラダ、フルーツを入れたバスケットの取っ手に、小さなトナカイとサンタのマスコットがついている。
さっきから鳴る鈴の音は、トナカイの首についているものだ。
「これ、つけてるんだ」
「おう、前のクリスマス島でラッピングについてたの、取っておいたんだ。今夜に相応しいだろ?」
サンジはにかっと笑って、小さなマスコットを手に指し示す。
「それで、明日はクリスマス・パーティだよな。宴会立て続けでサンジは大変じゃないか」
宴で歌い踊る分には楽しいことばかりだけど、食事の準備を一手に引き受けているサンジには大変な
労働じゃないだろうか。
「俺の腕の見せ所って奴さ。作る方も楽しいんだぜ」
サンジはそう言って笑うけど、いつだって一生懸命作って食べさせて片付けるばかりだ。
みんなでサンジをもてなす側にまわったこともあるけど、何故だか居心地が悪そうだった。
心底人に尽くすのが好きなのか、楽ができない性分なのか。
それがサンジらしいところだといえばそれまでだけれど、チョッパーは医者として心配でならない。

「サンジ、たまにはのんびりしてもいいんだぞ」
「ああ、勿論みんなが知らないところでのんびりしてるよ」
ほんとだろうか。
ホットミルクの湯気に鼻を湿らせながら、チョッパーは首を傾げる。
「わがまま言ってもいいし」
「俺、すっげえ俺様だぜ」
確かに、女性相手以外にはね。
「甘えてもいいし」
「ナミさんやロビンちゃんには甘えたい〜」
そう言いながら、扱き使われてるんじゃないか。
「自分の気持ちを優先させたっていいんだから」
「いつだって、俺のハートはナミさんに一直線さ!」
掴みどころのないサンジの返事に、チョッパーはとうとう笑い出した。

笑いながら星を見上げる。
今夜辺り、あちこちの空にトナカイが引くサンタのソリが飛び交っているだろう。


「もしも・・・」
「ん?」
チョッパーの呟きに耳を傾けながら、サンジは新しい煙草に火を点ける。
「もしも、俺がヒトヒトの実を食べなかったら―――」
青い鼻した、異端のトナカイ。
仲間たちから除け者にされ、一人ぼっちで・・・いや、たった一匹で短い一生を終えていただろう。

「こうして、サンジの差し入れを食べる今夜もなかったよな」
真顔でそう言うチョッパーの、ピンク色の帽子をサンジは乱暴に撫でた。
「もしもって、言い出したら切りがねえぞ」

もしも、Dr.ヒルルクに出会ってなかったら
もしも、麦藁海賊団がドラムに立ち寄っていなかったら?
もしも、ナミが熱を出していなかったら?
もしも、ルフィが海に出ていなかったら?

もしも
もしも
もしも、ゼフに助けられていなかったら―――

「俺もお前も、みんな一緒だ。もしも・・・だったら、今こうして一緒にいねえ」
チョッパーは手を上げて、背伸びする仕種を見せた。
「けど、その『もしも』はすごくたくさんある。いっぱいいっぱい、今までもそしてこれからも、いっぱい」
そう考えたら気が遠くなりそうだ。
幾つもの岐路、幾つもの選択。
幾つもの偶然の重なりがなかったら、今こうして過ごせてなどいない。
「・・・なんか、すげえ」
チョッパーはほうと深い息をついて、短い足を伸ばし床にへたり込んだ。
傍らに凭れたサンジの温もりが、心強い。

「こういうとき、人は神様とかそういうことを思うんだろうな。誰かに感謝したい、そんな気がする」
サンジは鼻から煙を吐きながら、穏やかに笑った。
「そうだな、神様でもいい。けど、俺ならお前を褒めてやる」
「え、俺?」
くるりと丸い目を上げたチョッパーに頷いて見せた。
「お前は、偶然とは言えヒトヒトの実を食った。それから、ちゃんと勉強して医者になった。辛いことや悲しいことがあったのに、それでも病気や怪我を治したいと、そう願って努力したから今のお前がいるんだ。そして、お前が医者だったから俺たちの仲間になった。そうだろ?」
順序だてて言うサンジの言葉一つ一つに、チョッパーは頷き返す。
「だから、今こうして俺たちの中までいるのは、全部お前が引き寄せた運命だ。神様でも偶然でもない、お前が作り上げた人生・・・いや、トナカイ生?」
サンジはちょっと額を押さえたが、まあいいやと首を振る。
「お前だけじゃなくて、ルフィもナミさんもそして俺も、たくさんのもしもを蹴り飛ばして今ここにいるんだ。だからみんな、すげえんだぞ。自分で選んで自分で生きてる。この先何があっても、俺は今この時を悔やんだりはしないだろう」
「俺だって!」
チョッパーは意気込んでそう言い、にかりと吹っ切れたような笑顔を見せた。
「俺だって、凄いんだ。だからこれからもっともっと勉強して、今の俺に負けない俺になる。来年の俺はもっと優秀な医者で、再来年の俺はもっとスーパーな医者で、皆だけじゃなくて世界中の人を治せる立派な医者になるんだ」
「そうだな」
「それからやっぱり、自分を褒めるよ。皆に出会えて、サンジに出会えてよくやった俺!」
サンジは煙草を指に挟んだまま、声を立てて笑った。
笑いながら、チョッパーの背中に毛布を掛け直してやる。

「ありがとう。サンジももう休んで。片付けは終わったの?」
「おう、もう終わったぜ。じゃあ気をつけてな」
「うん、ご馳走様。おやすみなさい」
大切なバスケットを抱えるように膝に乗せて、チョッパーは毛布に包まり外に視線を移した。
サンジも煙草を咥えたまま、身軽に見張台から降りる。

今夜は空気が透き通っているから、見張りをするのも楽だろう。
明日は午前中ゆっくり寝かせてあげて、午後からはクリスマス・パーティだ。

忙しくて賑やかで、息つく暇もないほどハプニングが訪れる航海の日々。
けれどサンジも、毎日が楽しくてならない。
たとえ命の危機があっても、痛みや苦しみが訪れても、この先どんな運命を辿ったとしても、この船に乗ったことを後悔する日は来ないだろう。




ラウンジの扉を開けると、温まった空気が頬を撫でて包み込んだ。
仲間たちは寝静まり、宴の余韻だけが漂うひっそりとした空間。
その中で、飲兵衛の剣士だけがまだちびちびちと杯を傾けている。

―――もしも、こうして出会わなければ。
世界一を目指す剣豪と、オールブルーを探す料理人。
本来交わるはずのない二人の道は、なぜか途中で惹かれ合い混じり合い一筋となった。
偶然なのか、運命なのか。

もしも
もしも、あの時―――


「どうした、妙な顔をして」
いくら飲んでも顔色一つ変えない男が、サンジの表情を見て眉を顰めた。
「・・・なんでもねえ」
柄にもなく心配しているのだと、そういうことがすぐに知れて、やけに気恥ずかしい。

サンジは煙草を咥えたまま仏頂面で近寄り、そのままゾロの隣に座った。
空のグラスを差し出せば、とくとくと心地よい音を立てて注いでくれる。
いつになく肩を寄せて、サンジもゾロの杯に酒を注ぎ足した。

「乾杯」
サンジはしっとりとゾロを見つめて杯を掲げた。
なにに?と問わず、ゾロも静かに杯を合わせる。





自分が選んだ道なのだ。
望んで築いた場所なのだ。
こうして出会えて心が通い、いつしか離れがたく、何よりも失くしたくない物を得た。

この世に生れ落ちたこと。
生き延びて生かされて、愛すべきものと出会えた悦び。
必然と選択。
揺ぎ無い幸福の指針。

それに気付くことこそを、人は奇跡と呼ぶのだろう。




END


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