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夕立があるとの予報を受けていたので、雨が降る前にと総掛かりで作業を進めた。
ポツポツと滴が落ち出す頃には大方片付け、軽トラやバンに乗って現場を後にする。
俄かに空を覆った雲は稲光を連れて来て、道の途中からバケツをひっくり返したような激しい雨が降り出した。
示し合わせた訳でもないのに、他の車も揃って駅前へと走らせているようで笑える。
「和々」の駐車場に適当に突っ込んで、まだ雨脚が強い中を大股で走り抜け店に飛び込んだ。
「すごい、降って来たねえ」
雨が降る前にと客が帰ったらしく、店番のお松さんとすゑさんだけがカウンターの中で洗い物をしていた。
「もう今日はこれでお仕舞いと思ってたんだよ」
「これだけ降ると、もう無理でしょうね」
たしぎは曇った眼鏡をタオルで拭きながら中に入ってきた。
案の定、椅子に蹴躓いている。
「ああ、たしぎちゃんは動かないでそこに座ってて」
すゑさんがテキパキと皆にタオルを配り、その間にお松さんは人数分のコーヒーを淹れてくれた。
「参ったな、移動の間中降ってたな」
「作業の邪魔にならなくてよかったですよ」
濡れた髪をガシガシ乱暴に拭くスモーカー達の前に、コーヒーと残ったケーキを置きながらお松さんはのんびりと言った。
「一雨ごとに涼しさを連れて来てくれるみたいで、ありがたいじゃないの」
「まあ、そうですね」
軽く頭を下げて差し出されたコーヒーカップを受け取る。
カップの熱さが冷えた指先に心地よい程度に、気温は下がったようだ。
「一息つくなあ」
「生き返る〜」
ヘルメッポとコビーがぐなんと机に懐いている間に、たしぎはすゑさん達と世間話に興じていた。
どうやら話題はペットのことらしい。
「いつの間にか納屋に入り込んでて、春先に子猫生んじゃってたんですよ」
「あらあ、それで飼うことにしたの」
「飼うつもりはなかったんですが、寝床に毛布敷いたり食べ物を差し入れたりしたら居ついちゃって」
「それは飼ってるって言うんじゃないのか?」
どうやら今たしぎんちには(スモーカー宅か?)、猫が3匹いるらしい。
生まれた子猫4匹のうち2匹は貰われていったが、残りがそのまま親猫と暮らしている。
別に多少大所帯になったところで、田舎の家ではさほど影響がない。
「去勢だけ済ませておいた方がいいでしょうか」
「俺は止めとけつってんだけどな、こいつはそういうこと気にして」
「だってあちこちで子ども産んだら、迷惑じゃないですか」
生真面目なたしぎの前で、お松さんはゆっくりと首を振った。
「まあ、都会ならそういう心配もあるかもねえ。でも、ここいらならしばらくはいいんじゃないの。せめて、あんた達に
子どもができてからでも」
そう言われ、たしぎの顔が朱でも刷いたようにさっと赤らんだ。
「今時の人は計画とかあるだろうから、結婚したら次は子どもねって順番にならないだろうけど、人生そうそう計画通りに
行くもんじゃないしね。もしも、万が一でもこの先子宝に恵まれないことがあったら、あの時猫を手術しちゃったからかな・・・
と考えないこともないでしょう」
お松さんの柔らかな口調に、たしぎは頬を染めながら神妙そうに頷く。
「そうですね、今はまだ努力はしてないんですけど」
「努力、いるのか?」
「いるわよ」
「いりますよ」
たしぎとお松さんは、口を揃えて言った。
その迫力にスモーカーは軽く仰け反っている。
「夫婦ってのは相性だからね、うちみたいに跨いだらできるってのも結構困りもんだったけど」
すゑさんがそう言ってカラカラ笑い、コビーやヘルメッポは居心地悪そうに下を向いた。
女ってのは、つくづく強え。
「わかりました。しばらく自然に任せてみます」
「それがいいよ。別に猫の恨みやら祟りやらがあるって言ってんじゃない、問題はそれを気にする人間の気持ちの方さね」
人は思わぬ事態に直面した時、なぜそうなったのか理由を求めたがる。
自分ではどうにもならないことでも、もしかしたら時を遡れば回避できたんじゃないかとか、あの時のあれが悪かったん
じゃないかとか、あれこれ模索して後悔するばかりだ。
そんなことを考えてもせんないことだとわかっているのに。
何かに理由を求めなければ、納得しきれないのかもしれない。
どうしても原因も理由も掴めなければ、あとは因果応報か―――
「猫、いらない?」
いきなり水を向けられて、俺はケーキを口に運ぶ手を止めた。
「いや、うちは今飼うなら犬かなと言ってる」
「ああ、犬はいいですよね」
コビーが乗ってきた。
「うちも実家が犬飼ってたんですよ。可愛いですよ」
「けど毎日の散歩が億劫だろうが」
ヘルメッポの後ろで、すゑさんが「ああ」と声を上げた。
「こないだサンちゃんに犬飼ったら?って言ったのよ。サルが来るんでしょ」
「サルねえ」
「でも犬が繋がれてるのわかるから、届かない範囲まで近寄ってからかうとか言いますよ」
「引き綱を自由に動かせるように工夫したら・・・」
「ああそれ、前にうちでもやってたけど、犬の躾にはよくないのよねえ」
「つか、お客さんびっくりするでしょうよ」
勝手に盛り上がっている周囲を放って置いて、ケーキをもぐもぐと味わう。
やっぱり疲れた身体には甘いものが一番だ。
「飼うんなら、役場に連絡入れといたらどうだ。たまに掛かるだろう」
「そうだな」
時折通報を受けて、迷い犬や野良犬なんかを捕まえている。
その度貰い手がないか探しているらしいから、一度声を掛けておいてもいいかもしれない。
「欲しい犬種とか血統書付に拘るんなら、余計なお世話だがな」
「いや、多分そういうのはないと思う」
トイ・プードルがいいとか言わないだろうし。
「ただ、野良犬だと結構年食ってるだろ」
「再教育難しいですよね」
「できたら子犬の頃のがベストだよねえ」
「まだ飼うと決まったわけじゃねえぞ」
放っておくと勝手に話が進んでしまいそうで、やんわりと釘を刺した。
別に犬を飼うこと自体はいいが、サンジの性格ならきっととても可愛がって大事に育てるはずだ。
そんな犬にもしものことがあったらと思うと、想像するだけで寒気がして気が滅入る。
まだ飼いもしていない犬のことで気を揉むなんて、サンジのことを指摘していられない。
「欲しくなったら俺が言うから」
「わかったわかった」
「それじゃあ、今日はこれで解散しましょ。お松さん、店じまいね」
「はいはい、よく降るねえ」
駅前通りのアスファルトは、水のエスカレーターでもあるみたいに流れが段々を形作っている。
「この分だと、今夜は雨天練習場ですね」
「あ、そうだった忘れてた」
「集合時間に遅れたら、電話入れますよ」
スモーカーじゃないが、俺も忘れていた。
今夜は運動会の合同練習があるんだっけか。
雨が降った場合は、峠のトンネルの中で練習だ。
村人だけの雨天練習場。
滅多に車は通らないし、案外と快適だ。
それじゃお疲れ様でしたと、店を後にする。
まだ滝のように降り続く雨の中を、家で待っているだろうサンジの顔を思い描きながら車でかっ飛ばした。
雨のせいで、まだ夕刻だと言うのに外灯も乏しい農道は墨で塗り潰されたような真っ暗な景色だ。
その中にポツンと点る、家の灯り。
光の明るさだけでない温もりが、視覚か心を和ませてくれた。
「おかえり、風呂沸いてるぞ」
思い浮かべていた通りの笑顔が、フライ返しを持って振り返った。
食欲をそそるソースの匂いが台所に満ちている。
「なんだ焼きソバか?」
「屋台風焼きソバだ」
「いい匂いだなあ」
ぐーと鳴る腹を押さえながら、先に風呂に入る。
早く飯を食いたい一心でいつもより手早く身体を洗い、風呂に浸かるのもそこそこに上がれば、サンジは想定していたのか
「やっぱりな」と苦笑した。
「いつにも増して烏だ」
「綺麗だろ?」
腕を鼻先まで持ち上げてクンクンと己の匂いを嗅ぎつつ、卓袱台の前に座った。
短パンの裾が少しザラついて、何気なく視線を下げた。
「あ、羽蟻」
「へ?」
卓袱台に料理を運ぶべくトレイを持ったサンジが、俺の視線につられるように下を見てぎゃっと声を上げた。
「なにこれ?虫?」
「羽蟻だ」
羽の生えた小さな蟻が電灯の下、ちょうど卓袱台の辺りに次々と舞い降りている。
いつの間にか畳の上も細かい羽蟻がウロウロ蠢いていた。
まだ料理は並べてなかったが、あっという間に羽蟻塗れになるところだ。
「キショい、なんで?窓どっか開いてたのか?」
「網戸の目より小さいから、どっからでも入ってくるぞ」
暢気に言う俺に、なんとかしろとトレイを持ったまま足をバタつかせている。
「掃除機で吸ったって次々来るからな。明日の朝になると全部死んでる」
「飯どうすんだよ!」
俺は天井を見上げながら、卓袱台を持ち上げた。
「羽蟻は飯とか興味ねえから、灯りの下に集まってくんだよ。卓袱台の位置を変えようぜ」
電灯の下を避けて、縁側のガラス戸の傍に移動する。
邪魔者がなくなった畳の上で、大量の羽蟻はクルクル踊るように飛びながらその場に留まった。
「飯に興味はねえのか」
「そうだ、安心しろ」
これで蝿みたいに料理にまとわりつかれちゃ迷惑だが、そんなことはないから羽蟻なんて可愛いものだ。
「虫、入ってねえかな」
サンジはトレイの上に乗せていた料理の中身も慎重に吟味して卓袱台に並べる。
背後で羽蟻はクルクルしているが、こっちに来る気配はないので落ち着いて食べれるだろう。
「んじゃいただきます」
「いただきます」
冷えたビールを持って来てくれたが、俺はいいと断った。
サンジも今日の夜間練習のことを失念しているらしい。
「今日は雨天練習場だろ」
「あ、そっか。運動会の練習だった」
たかが地区の運動会と侮るなかれ。
シモツキ村田畑地区の運動会は真剣勝負そのものなのだ。
西原・南口・北前・東戸の4区に分かれ、テーマカラーにキャッチフレーズまで掲げて大応援まで繰り広げられる。
ただ哀しいかな高齢化に歯止めが掛からず、一番元気な世代が50代後半以降となり、20代・30代が絶滅危惧種となった。
合同で開催される田畑小学校の全校生徒30名が唯一の10代(もしくは未満)世代だ。
「なんせ俺達、ホープだから」
「今年はお前が加わってるから、期待大らしいぜ」
自分達の居住区は西原だが、基本、研修生や新規就農した卒業生達は他の区に均等に配分される。
そうでないとズルいと、他の区が騒いだからだ。
俺は西原区だが、サンジは北前区担当。
北前区民の全幅の信頼と期待を背負い、華々しい運動会デヴューとなる。
「最後の人生リレーってので、お前と競えるな」
「一応20代で出動だろ」
「一応ってなんだよ」
ハフハフ焼きソバを食べながら、サンジはふふんと一人笑いを漏らした。
「どうした?」
「いやあ・・・」
きょろりと、青い片目が悪戯っぽく部屋の中を巡る。
「ちょっと場所を変えただけで、雰囲気変わるもんだなあと思って」
いつもは部屋の真ん中に位置する卓袱台が隅っこに移動して、そこに座って部屋全体を眺めるのが面白いのだと言う。
「真ん中は見たくねえけどな。黒くなってる」
わーサブイボーとか一人呻き、俯いてみないように気をつけながら食事を続行している。
確かに、電灯の真下は羽蟻の集団で黒々状態だ。
「昨日とか、こんなんなかったのに」
「たまーにあるぜ。一夜だけの羽蟻の大発生」
「不思議だなー」
サンジは、あっそうだと箸を動かす手を止めて、傍らに置いてあったダンボールの上のパソコンに手をやる。
「後でメールチェックしていいか?ウソップから返事来てるかもしれねえ」
「いいぜ」
焼きソバの後は白ご飯をお茶漬けにして、サラサラと掻き込んだ。
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