果てなく続く白い水平線に、ぽかりと島影が映った。
予定通りの位置にあると、半ばほっとしながら胸を張って、ナミがクルーに指示を与える。

着岸の手順にはまだ慣れず、右往左往する皆の中でサンジも慌しく船内を駆け回る。
久しぶりの陸で、しかも初めての見知らぬ島だ。
自然に心浮き立つ期待と僅かな不安とが交差して、気分が高揚してくる。

そんなサンジが時折吹く強い風に煽られないように、ゾロは常に風下に立ってそれとなく注意を配る。
聡いウソップはそんなゾロの動向にもすぐに気付いてしまって、一人苦笑を漏らすのだ。
狭い船の中で、微妙に距離を測りながらの共同生活。
ぎこちないながらも、なんとか仲間として暮らしていけるまでに二人の関係は回復して見える。








「はい皆並んで。お小遣い渡すわね」
上陸の指示から島での注意喚起まで、一体誰が船長なのかと疑わずにはいられない堂々たるナミの
指示っぷりに気圧されつつ、男達は順序良く列を作った。
「サンジ君は買い出しもお願いしたいから、その分別に財布を渡すわね」
責任重大とばかりに、サンジは神妙な面持ちで両手で財布を受け取る。
「街に行くのが初めてだからな、今日は俺が一緒にいるよ。市場の下見とか、するだろ?」
「ったく、子どもじゃねえんだぜ。まあ、俺のが付き合ってやらア」
表面では大口叩いてみるが、実際のところ街の中を歩いて買い物など、とても一人でできる自信はない。
ウソップの申し出は素直にありがたかった。
「ログが溜まるのは三日後だから、最終日にまとめて買うといい。そん時は俺は船番だけど、ゾロがいるから」
サンジの顔が露骨に強張る。
「長旅用の食糧の備蓄を買うんだ。ゾロに荷物持ちして貰う方が効率的だろうが」
「俺も手伝うからさ、最終日に市場で待ち合わせよう」
チョッパーも可愛らしい声でフォローしてくれる。
サンジは顔に出た不快感をなんとか引っ込めて、代わりに笑顔を見せた。



「あ〜、久しぶりの陸だが・・・なんか足元がフラフラする気がするな」
「陸酔いってやつかな」
「よかったよな、サンジも俺も酔わない体質で」
「でも、こないだの嵐はマジきつかったぜ」
昔馴染みのよしみで、ウソップとは会話が弾む。
和やかに話しながら歩く二人の後を、ゾロが黙々とついてくる格好だ。
女性陣はさっさと別行動に移ってしまい、ルフィは勿論すでに消息不明。
チョッパーは船番で、自然こういう形になった。
「ここいらは気候も温暖で、島民の気質も穏やかなんだってよ」
初めての見知らぬ街がそんな雰囲気でよかったな、と言外に匂わせるウソップの気遣いを煩わしくは
感じなかった。
何より、目に映るものすべてが珍しくて心惹かれるものばかりだ。
「おい、あの軒先に吊るしてあるものなんだと思う?」
「うお、すんげーとこまで部屋が続いてんだな、絶妙のバランスだ」
「なあなあ、あの屋根の先っぽになんかついてるぞ」
「この街のレディはみんな小柄でスタイルがいいなあv」
子どものように目を輝かせ、くるくると表情を変えて踊るように街中を歩く。

海を越えてきたとはいえ、クロコダイルの名が知れ渡った地域から遠く離れたとは言いがたい。
ウソップはサンジと同じように珍しがって、観光客のような素振りをした。
少し離れたところからついて歩くゾロは、油断なく周囲に目を光らせている。
「堕天花」の噂は潮が引くようにあっと言う間に廃れていったが、まだよからぬコトをたくらむ残党がいない
とも限らない。
用心に越したことはないのだ。

サンジは、GM号で旅に出ると決めたときから、ずっと黒のスーツを身に着けている。
クロコダイルの元で過ごした頃は、白い衣類だけを身に着けていた。
これが黒一色となると輝く金髪もまた違った印象を見せて、一度直接会ったことのある人間でも、恐らく
今のサンジと堕天花が同一人物と俄かには気付かないだろう。
なにより、顔つきがまったく違う。
儚げにさえ見えた、寂しげな微笑みを湛えた当時のサンジの面影はどこにもなく、咥えた煙草がどうして
落ちないのかそちらの方が不思議なくらい大口を開けてはしゃぐ横顔は、そんな翳を微塵も感じさせない。
高らかに笑いすぐに怒り、ナミやロビンに振り回されて、ルフィを怒鳴りつけては結局甘やかすサンジを
見ていると、つい安堵してしまう自分にゾロは気付いていた。

事情があったとはいえ、自らが手折り傷付けたサンジだ。
一時は死をもって失うことを覚悟したその存在が、今自分の傍で楽しげに暮らしてくれていることが
信じがたいほどに嬉しい。
あの、深い冷気に閉ざされた冬の国でのサンジよりも、クロコダイルの庇護の元で飼われていたサンジ
よりも、ずっとずっと生き生きと輝いている。
そのことに安堵する自分の心根がいかに卑しいか、ゾロには充分わかっていた。
すべての元凶は自分にあり、結果的に良い方向に落ち着いたとしてもそれは自分の手柄ではない。
そしてそれ以上に―――
ゾロはこの笑顔を再び失う可能性があるかもしれないのに、まだサンジを求める気持ちが消せないでいる。
その細いながらも強靭な身体を両手で抱き締め、蒼い瞳に真っ直ぐに見つめられて、自分だけに
向けられる笑顔を手に入れたいと思ってしまう。

すべてを知ってしまったのに。
サンジは、真剣に人を愛することも裏切られることも、失うことも知ってしまったのに。
それでも尚、再び自分を受け入れて欲しいと、もう一度手に入れたいと願う欲が抑えきれない。
己の業の深さを嫌悪しつつも、そうして求める気持ちがあることに、やはり安堵している自分もいるのだ。
サンジが幸せになったからもう責任は果たしたと、そんな風に割り切れる己ではなかったと。
そう自覚すること自体、サンジの気持ちなどおかまいなしなのだと、堂々巡りの思いに駆られて一人苦笑する。
魅入られたサンジには気の毒だが、どう考えても結果的に俺は奴を手に入れる。
心も身体も、すべて。
例えサンジが、二度と心からの“笑顔”を失うことになるとしても。
ゾロの胸の中で仄かに息づく昏い熱情は、ずっとくすぶり続けている。









拠点とする宿と市場の位置を確認し、食事をするために店に入った。
午後から崩れた天候のせいで夕方だと言うのにすでに薄暗く、街灯があちこちで灯りはじめている。

「この店のお勧め料理とかある?あ、それじゃそのコースで」
ウェイトレスに必要以上の愛想を振りまきながら、サンジはウソップとゾロの分も適当に注文して
メニューを返した。
「あと、俺には強い酒を。お前らは?」
「俺はビール、サンジは?」
「俺もビール」
注文を済ませてしまうと、またサンジはきょろきょろと珍しそうに首を巡らす。
「明日は早起きして朝市覗いてみてえ」
「おう、なら俺を起こしてくれ。ゾロは・・・寝てていいぞ」
「ありがてえ」
「俺は武器屋とかも覗きたい。夕方は船に帰るからな」
「ああ、付き合ってもらうのは朝市だけでいいよ。後は自由行動にしようぜ」

傍から見れば、仲の良い仲間同士が和やかに食事をして見えるだろう。
けれどこの3人には一定の法則がある。
サンジとゾロの間に常にウソップが位置し、会話のすべてはウソップを経由して成り立っている。
サンジがゾロとGM号に乗り込んで以来、船の中の生活もすべてこの法則がまかり通っていた。
ゾロとサンジが直接会話を交わすことも、顔を見合わせることもない。
ゾロはサンジを見ているけれど、サンジは決して視線を合わせようとしないのだ。
それは“逃げ”ではなく“拒否”だと、ゾロもウソップも了解している。
それを許して、自然と協力する形になっていった。

―――俺も大概、サンジに甘いよな
ウソップは昔馴染みで、サンジの殆どの生い立ちを知っている。
サンジ贔屓になるのは仕方のないことだが、かと言ってゾロのことを以前のように憎む気持ちにはもうなれなかった。
サンジを手放すことになった経緯も知ったし、奪い返した時の葛藤も知っている。
そして今のゾロの真摯な気持ちも。
共に戦い暮らすようになって、見かけほど無愛想でもなく、案外気さくで大らかな本質を持っている
こともわかった。
その気になれば女に不自由はしないだろうが、ゾロ本人が遊びや興味本位でなく、真剣にサンジだけを
見つめ想っていることに、偽りはないとわかっている。
男同士と言うネックはあるが、ここまでひたむきなゾロの気持ちを思えば、サンジがそれを受け入れる
気になればそれはそれで祝福すべき事柄だなんて、随分考え方も成長した。
そう、あくまでサンジの気持ちを優先して。
少なくとも、今のようにゾロを避けてばかりいる生活は、サンジにとってもかなりのストレスとなるだろう。
ゾロを憎み、嫌いなら嫌いでさっさと引導を渡した方が、これからの旅を思えばお互いのためだとも思う。
だがゾロは恐らく諦めないし、サンジはサンジで無言の拒絶しか反応を示さない。
この島への上陸で、一度二人きりで話を詰めさせるのは良い機会ではないかと思う。
ウソップとていつまでもサンジを庇っていられないし、そもそも庇われるのはサンジも不本意だ。
思いつめてゾロがサンジに実力行使に出たとして、それを乗り越えるだけの強さも、もうサンジは身に
つけているはずだ。

運ばれてきた料理に舌鼓を打ちながら、サンジは陽気に笑い話し酒を飲んだ。
初めての街で浮かれただけでないはしゃぎっぷりに、ウソップの思惑をも了承しているのだろうと踏んで、
三人三様の想いを抱えたまま夜は更けていった。








祈りではなく