「どうして…」
漸く絞り出した声は、震えていた。
淡々と語るゾロの口調にあまりにそぐわぬ、凄惨な過去。
父を母をその手にかけさせ故郷を焼いた男たちに、なぜ着いていったのかと、詰るでなく問いたかった。
「俺は朱に魅入られたのだ。」
穏やかに微笑みながら言葉を綴るゾロの表情に翳はない。
そのことが一層不可解でサンジは戸惑った。
「もはや助からぬと、苦しむ父上を楽にして差し上げたいと、自分自身に言い訳しながら刀を振り下ろした
 俺は確かに興奮していた。肉を貫く手応えに、噴き出す血潮に気が昂ぶった。このままでは母も死ぬと、
 それならばいっそこの手でと、やはりまた言い訳をしながら母上も斬った。たまらない気持ちだった。」
その時、血に塗れた手であったように、ゾロは今浅黒い掌を開いてじっと見ている。
「肉を斬り骨を断ち、血を迸らせて絶命する息吹が堪らなかった。それを己が与えたかと思うと余計興奮した。
 確かにあの時、俺は外れたのだ。」
人の道を。
剣の道を。
「友を失い、親を失い、家も村も失って、それでも俺の前に道はあった。朱に染まった修羅の道こそ、
 己の進むべき道しるべに思えた。」








ああ―――
遅すぎた絶望がサンジを支配した。

恐らくは本能で恐れていたことが、現実になっていた。
はるか昔に、もうすでに終わったこととして。

「なんで…そいつらは、なんのために…」
「なに、当時謀反を企てていた藩主の裏組織だ。腕の確かな子供を集めて暗殺要員を養成していた。
 俺もそこに編成され、それからはある意味修行の日々だったな。」
ゾロの声音はあくまで軽い。
わざとではなく、無意識にも過去に悲壮感を抱いてないということは、この男はまだどこか狂ったまま
なのだろうか。

サンジは頭を振ってゾロの腕に手を添えた。
暖かい、血の通ったぬくもりがある。
この男は自分が知っているゾロだ。
あの日、お日様よりも強く優しく笑ってくれた、高潔な武士の子だ。


「どうして、どうしてゾロだったんだ。道場で目をつけられたのか?ゾロは、誰よりも強かったから?」
だがあんな田舎の道場をわざわざ偵察に来るとは思えない。
ならばなぜ、いやその前に。
どうして自分の身売りにあの武士が関わったのか…

「ゾロ、まさか…」
あの日、自分を襲った男たちは見かけない武士だった。
それを打ち据えたのは子供のゾロで…
まさか、まさか―――




「ゾロ…」

蒼褪めて唇を震わせるサンジの頬に、ゾロはそっと手を添えた。
無言で首を振る。
だがサンジにはそれが肯定に見えた。

「ゾロ、俺のせいか?俺があの時…襲われたから…」
あの男たちは山越えの途中だった。
サンジと出会わなければあるいは、何事もなく通り過ぎて行っただけだろうに。

「ゾロ、俺の…」
「違う、結局は俺が撰んだ道だ。」
「ゾロっ…」
耐え切れず、サンジは畳に手をついた。
ゾロの、奥底に潜む魔性に気付いていながら、それが目覚めぬようにと祈り身を引いたつもりだった。
まさか自分がその元凶になっていただなんて―――

「サンジ、てめえのせいじゃねえ。」
かくりと項垂れた白い首筋を庇うようにゾロの腕が回された。
肩を抱いて胸に引き寄せる。
慰めるつもりの優しさが余計に辛くて、サンジは手でゾロの胸元を突っぱねた。
「畜生、俺…なにも知らなくて…」
「知らないでいい。お前に関係のないことだったんだ。それにもう、すべて終わった。」
サンジの掌の下で、ごつごつとした太刀筋が呼吸とともに押し付けられる。
サンジは震える指で傷跡をなぞり、顔を上げた。
金の睫毛に縁取られた双眸が蒼く滲んでいる。

「ゾロ…この傷は…」
「俺が暗殺者として実戦に出る前に、組織は崩された。」
隠密により計画は暴かれ、藩は取り潰しとなった。
あの武士と共に追っ手から逃れたゾロは、峠を越える道すがらその男とも対峙した。
まさに命を懸けた死闘だったが、最後に勝ったのはゾロだった。

「見てのとおり深手を負ったが、こうして俺は生きている。結局は生きた者の勝ちだ。」
自らの傷を撫で、薄く笑うゾロの顔は満ち足りた獣のようだ。
ゾロにとって痛みの記憶すら苦しみにはなりえないのだろう。




ぽつりと、白い手の甲に落ちた雫を、サンジは信じられない思いで見つめた。
間違いでなければ、これは自分の瞳から流れ落ちた涙だ。
村を出てより、涙など流したことがなかったのに。
今ここで止め処もなく溢れ出す涙は、自分のためのものではないのに…

「泣くな。」
困ったようにゾロが呟く。
「泣いてない。」
怒ったようにサンジは呟く。

それでもサンジの視界はぼやけて鼻の奥がつんと痛んだ。
傷を覆うように刻まれた紅蓮の彫物。
それらにゾロが蝕まれてしまうようで無意識に腕に爪を立てた。

「これは、俺への戒めだ。」
ゾロは襟から片手を差し入れると諸肌を脱いだ。
肩にも背にも、まさに燃え盛る炎のごとき朱が刻み付けられている。
「父を母を焼いた炎。そして俺を目覚めさせた消えない血潮。すべてを自分自身に刻み込んだ。
 決して忘れないように。俺の罪も業も全部。」
それならば、その咎を背負うのは本来自分であるべきだ。
そう思って、そう言おうと開いた唇は、そっと塞がれた。

思いもかけない行為に動きを止める。
軟らかく重ねられた唇はすぐに離され、ゾロはサンジを伺うように顔を傾けた。
「泣くな、泣かないでくれ。」
泣いてなどいないと、言い返す声が震える。
ほたりほたりと白い頤から滴り落ちる雫に、サンジ自身がなす術もなくただゾロの袂を握り締めるしかできなかった。

「お前の思い出だけが、唯一の俺のまともな記憶なんだ。」
ゾロの言葉に顔を上げる。
困ったように笑う、浅黒い顔が滲んでぼやけた。
「人斬りの修業ばかり繰り返し、裏切りや謀略しかなかった暮らしで、それでも空を見上げればお前と同じ
 青が見えた。金の輝きが見えた。それを思う度、俺はほんの少しの間、人として立ち返ることができたんだ。」
その面影が唯一の幸福な記憶として。
そう穏やかに語るゾロの髪を、サンジは手を伸ばして撫でた。
頭を抱えるように胸元に引き寄せる。
ゾロは素直に頭を垂れてサンジの腰を抱き返した。
サンジは溢れる涙を拭うこともせず、ただゾロを抱き締めた。





道を外れ、闇に生きるとしても―――
いつか、その胸に花が咲くように。
凍てついた大地を溶かし、芽生えを誘う雨のように。
いつか、花が咲くように。



泣きやまぬサンジに抱かれて、ゾロはそっと慈雨の下で目を閉じた。
















蘖1に続く

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