花 火

二人きりなるのは案外簡単なんだって、気付いたのは最近のこと。

甲板であっても船尾であっても、奴はいつだって皆とは少し離れた場所にいる。
意識的に距離を置いているのか、姿が見えないことだって不自然じゃない。
だから俺がそこに行けば、たやすく二人きりのシチュエーションになれるってことだ。
今夜のように、寄港した島の隣で花火大会が行われるなんて絶好のロケーションの時でさえ、あいつは一人
見張り台で酒を飲んでいる。

パパーンと景気良い破裂音がこだまして、甲板から歓声が聞こえてきた。
海上のベストポジションから見上げる花火は見事だろう。
仲間たちのはしゃぐ声を耳にしながら、俺は甲板に出る気にはなれなかった。
だからといって、見張り台に向かう気にもなれない。
宙ぶらりんな気持ちを持て余して、別に今書かなくてもいいようなレシピノートなんかを広げている。





ゾロが、皆と距離を取り始めたのはいつからだっただろう。
仲間になった当初は、そんな雰囲気などなかったはずだ。
幼い海賊団の年長組として、いつの間にかお目付け役が板について来たのだろうか。
守らなければならない仲間が増えたことで、庇護欲が湧いて来たのか。

あの日、ルフィの身代わりに首を差し出したゾロを見て、目を疑った。
例え天地がひっくり返ろうとも、ゾロだけはそんな真似をしないだろうと思い込んでいたのに。

ゾロは、己の野望だけを目指してひたすらに生きる男だと思っていた。
脇目もふらず、ただ強さだけを目指して真っ直ぐに進む直情馬鹿。
間違っても剣の道以外で命を捨てる行為を起こすなんて、思わなかった。


俺はたいして進まない筆を置いて、小さくため息をついた。
―――ああ、俺は幻滅したんだな
決して長生きできるタイプじゃないとはわかっていた。
けれど、自分の夢以外のことで命を捨てるとは思ってなかった。
いくらルフィのためとは言え、てめえの命を張って自分が助かったからってルフィがそれを許すとでも
思ってたのだろうか。

そう思ってから、いや違うなと一人首を振った。
助けるとか許すとか、そういう理屈で動いたんじゃないだろう。
ただあの時は、あれ以外方法がなかった。
だからゾロが動いた。
それだけのこと。

だが確かにあの時、ゾロは己の野望を捨てた。
夢を見捨てた。
ルフィの命乞いのためだけにすべてを捧げた。

剣の道を究めるために命を削るのは仕方がない。
失われたなら、それまでの男だったって事。
この台詞は耳にタコができるくらい聞かされている。
納得もする。
けれど、あれは違う。
剣の道じゃない、大剣豪への夢のためじゃない。
麦藁海賊団の存亡を賭けた、ルフィの命を守るためのすべてだった。

理屈ではわかっていても、どうしても割り切れない自分がいる。
翻って省みれば、後先考えずに飛び出したのは俺も同じだ。
確かに頭で考えるより身体が先に動いていた。
けれど自分の行動には、ちゃんと意味があると思う。

ただ、ゾロの夢をそこで終わらせたくなかった。
俺の夢は、オールブルーを見つけること。
これは別に俺じゃなくても叶う夢だ。
オールブルーがあればいい。
その存在自体が俺の夢で。

だけどゾロは違う。
ゾロが世界一の大剣豪になることこそが、あいつの夢だ。
その夢のためにひた走ることは、この先もできないんだろうか。
幾つもの敵を迎えて、その度命を危うくして身を曝して、あいつは守る者を抱えたまま夢を目指すと言うのだろうか。



パパーン・・・
一際大きな爆音が、耳を掠めた。
俺は肘を着いて両手で顔を覆う。
今は、花火なんて見たくない。

ただ一瞬だけ、パッと華やかに輝いて散るだけの、後に何も残さない、想い出さえいつかは薄れる瞬きだけの存在なんて
見ていてちっとも楽しくなんてない。
闇夜に咲いて散るだけの、大輪の花だなんて。








「おい」
ドアが開くと同時に声が掛けられた。
わかっていて俺は顔を上げず、俯いたまま煙草を咥える。
「お前、外に出ねえのか。みんな甲板にいるぞ」
「俺あ忙しいんだ、てめえこそ花火酒なんてしゃれ込むんじゃねえぞ」
軽く吹かしてペンを持ち直すのに、横からさっと煙草を抜き取られた。
「なにすんだ」
下から睨み上げれば、ゾロは何故だか驚いたように僅かに目を瞠った。
「どうした」
「どうもしねえ。煙草返せ」
無理やり奪おうと伸ばした手を邪険に払い除けて、ゾロは勝手に口端に咥えて吹かした。
「妙な面しやがって、花火好きだろ」
「勝手に決めるな。嫌いだ」
「嫌いなのか」
さも意外そうに眉を上げて、ゾロは机に凭れて腕を組んだ。
いつもより態度が馴れ馴れしい。

「まさか、音が怖えとか・・・」
「誰がだ、しかも何言ってくれてんだコラ、おろすぞ」
「花火が嫌いたあ珍しいな。なら無理強いはしねえよ」
言いながら、勝手に机に手を着いて一服している。
なんなんだ一体。
「お前はとっとと見に行けよ。つか出てけ、邪魔だ」
「お前、線香花火知ってっか?」
「はあ?」
いきなり何を言い出すんだ。
「つか、センコー花火?」
「ああ、線香も知らねえんだろうなあ」
馬鹿にするというより哀れむようにそう呟いて、どこか遠い眼差しで紫煙をくゆらせている。

「あのなあ、こんくらいの小さい花火でな。手に持って火ぃ点けるとパチパチって小さく火花が出るんだ。そんだけ」
「そんだけ?」
「おう、パチパチ花火が散るだけ。それでしばらくパチパチしててな、火を点けた真ん中辺りは小さい火の玉に
 なってんだ。火花が出なくなってもその火の玉はそのまま暫く残っててな・・・そうだな、イメージとしてはでかい
 真っ赤な夕日が海に落ちる前に揺らめいてるだろ、あんな感じで」
「・・・はあ」
一体何を語り出してんだ。
「んでその火の玉がある内は、消すに消せなくてじーっと待ってんだよな。短いんだか長いんだかよくわからんが
 もうそろそろ消えるんじゃねえのかと思ってると、いきなりぽとんと落ちる」
「何が」
「火の玉が」
火の玉が?
「小せえ火の玉がぽとんと落ちて、それで終いだ。その落ちるタイミングがわからねえし、じーっと待ってるのが
 辛気臭いやら面倒臭いやら・・・」
「それが花火か」
「おうよ、線香花火」
大体なんだよセンコーって。
狐に抓まれたみたいな顔をしている俺の前で、ゾロは短くなった煙草を灰皿に押し潰した。

「けどまあ、俺はその線香花火が結構好きだったな」
「辛気臭えのに?」
「ああ、そういうしぶといとこが気に入ってた」
そうか、しぶといのか。
そういや、こいつは結構しぶといよな。

「ってことで、表に行こうぜ」
何が「ってこと」なんだか。
よくわからないが、なんとなく俺の気持ちは浮上していた。
―――なんで?

戸惑ってる俺に構わず、ゾロはさっさと戸口に向かって扉を開ける。
目を射すような光が瞬いて、ゾロの横顔を一瞬だけ明るく照らした。
一拍遅れて、バーンと腹の底まで響かせる轟音が響き渡る。
扉を開けたまま動かないゾロに、俺は舌打ちして重い腰を上げた。

「ったく、てめえこそ一人で花火見物できねえのかよ」
新しい煙草を咥えて、しょうがねえから出てってやるよのポーズでゆっくりと歩み寄った。
すれ違いざま、ゾロが耳元で囁くように声を落とす。
「どっかで線香花火見つけたら、てめえにも見せてやる」
「そりゃどうも」

そんなけったいな花火、ほんとに存在するのかよ。
でもまあ広いグランドラインだから、どっかに売ってかもしれねえな。







甲板に出れば爽やかな夜風が頬を撫でて心地よい。
花火の輝きがナミさんとロビンちゃんの見事な曲線を浮き上がらせてくれていて、素晴らしい目の保養だ。

「たーまやー」
ウソップの珍妙な掛け声と同時にひゅるるるる〜と小さな火の玉が尾を引いて天空へと伸びて行き

一際大きな花が夜空に咲いた。









   END