グミの実の熟れる頃
不揃いな活字の羅列に導かれて辿り着いたのは、古ぼけた一軒家だった。
生垣は伸び放題で門柱はひび割れ、飛び石の間にもびっしりと雑草が生い茂っている。
だが一軒家だ。
古びてはいるがしっかりとした木造一戸建て、しかも土地付き。
「ありがてえ・・・」
サンジは恩人が残してくれた思いも寄らぬプレゼントに、改めて胸を熱くした。




一人で住むには広すぎる家と庭だが、これから少しずつ手を加えて住み易くして行こう。
がたつく玄関を開けて埃の舞う廊下を歩き、締め切った雨戸を開けると、黴臭い空気が動いた。
縁側から僅かに広がる庭は荒れ放題だが、午後の日差しを受けて色付いた樹々が生き生きと揺れている。
風と共に枯れ草の匂いが押し寄せて、家の中なのに森にいるような錯覚を覚えた。
いい家だ―――
高い秋の青空に目を細めて暫く庭を眺めていたら、視界の隅に何かを捉えた。
赤や茶色の色彩の中で鮮やかな緑が動いて、思わず目を凝らす。
枯れた生垣の一角に隙間ができていて、そこからもみじのような小さな手が差し込まれている。
丸っこくてぷっくりとして、手の甲にえくぼができた幼子の手だ。

「おい、痛いぞ」
声を掛けながら駆け寄れば、手はぴくんと怯えたように引っ込んだが、代わりに上にあった緑が動いた。
緑色の下に丸くて大きな二つの瞳。
「なんだお前」
小さな子どもだ。
若草色の髪をして、手だけを隙間から精一杯伸ばそうとしている。
サンジは子どもが目指した先を見て、ああと納得した。

「これ目当てか。アキグミだな」
「あきぐみ?」
あどけない、子どもの声だ。
「そんなとっから覗いてないで、こっち来い」
生垣の隙間からこっち来いでもないかと思っていたら、子どもががさごそと小さな身体を器用に屈めて這い出てきた。
「危ねえぞ、棘がある」
サンジの心配を他所に、あちこち引っかき傷をつけながら子どもは平気な顔をして立ち上がった。
臆することなく、じっとサンジを見上げている。

「どこの子だ?」
サンジはしゃがんで子どもの目線に合わせた。
「ゾロ」
「ゾロ?お前の名前?」
サンジの目を見据えたままこくんと頷く。
勝気な瞳が子どもらしくなく、それでいていかにもガキ臭い。

「そうかゾロか。この辺に住んでるのか?」
「あっち」
指差す腕も傷だらけだ。
「そうか、近所の子か」
そう言ってサンジはぐりぐりとゾロの頭を撫でると、傍らを振り返った。
「お前の目当てはこれだな。食うか?」
サンジがもぎ取った枝には、小さな赤い実がたくさんついている。
「これはな、アキグミだ。秋にできるグミ。普通のより小せえけど、美味いぞ」
「うん」
ゾロは当然と言う風にグミを摘まんで口に頬張っている。
「お前、いつもここに食べに来てるんだろ」
「うん」
「俺がいて、吃驚したか」
「うん」
律儀に応えながらも、むぐむぐと小さな口元を動かしている。
「俺な、今日からここに住むんだ」
初めてのご近所への挨拶がこいつかと、可笑しく思いながらもサンジは真面目な顔で頭を下げた。
「サンジって言うんだ。よろしくな」
「おう」
口元を果汁で汚しながら、尊大に頷くゾロはなかなか可愛い。






長年使われていなかった廃屋にいきなり住み着いたことで、しばらくは周囲から用心されるかと心配していた
サンジだったが、思いの外すぐに馴染んだ。
駅から遠い郊外にありながらまるで下町のような雰囲気を持つこの地域は、サンジにも気軽に声を掛けて
近付いてきてくれる。
それにゾロがサンジの家にちょろちょろと出入りするお陰で、最初から警戒されることはなかった。
「サンジはコックなんだ」
「まあそう」
「美味いもの、いっぱい食わせてくれるぞ」
「いいわね」
「空き家だったお家もすっかり綺麗になったし、やっぱり人が住んでくれると安心だわね」
「まだ若いのにしっかりしてらして。それに・・・ねえ」
「ええ、いいわねえ。イケメンよね」
特に、ご近所の奥さん方には評判だ。



「ゾ〜ロ、また来てたのか」
レストランで働くサンジは、帰宅時間がまちまちだ。
だがゾロはいつでも勝手にサンジの庭に入って、ちょこまかと遊んでいる。
「もう日が暮れるぞ。寒いから早く家に帰れ」
ぐりぐりと頭を撫でてやると、汗でほんのりと湿っている。
この寒空に、一人で湯気でも立ててそうだ。
「子どもは風の子って、ほんとだな」
「サンジ、冷たい」
自分の額をひやりと冷やす、白い指先を両手で掴んだ。
「冷たー」
「冷たいだろ、冷えるぞ」
ゾロの手の温もりを奪いそうで、サンジは慌てて手を引っ込めようとした。
けれどゾロの力は子どもなりにも結構強く、サンジの指を掴んで話さない。
「いい、冷たいの気持ちいい」
「ガキだなー」
帰宅してまだストーブも点けてないので、サンジはゾロを小脇に抱えて暖を取った。
「早く帰らないと、お母さんが心配するぞ」
「ここにいるって、知ってるぞ」
「俺のいない時にもいるだろ。心配だ」
ゾロはサンジの膝の上に座って、じっと顔を見上げた。
初めて会った時からそうだ。
ゾロは真正面から人の顔を見て、目を逸らさない。
ガンつけなら負けないと、サンジも最初はむきになって見返していたが、その内馬鹿馬鹿しくなって自分から
逸らすようになった。

「何見てんだ」
「うん」
ゾロは何故だか嬉しそうににかりと笑った。
頬が赤く染まって、吐く息が白い。
「なんかキラキラしてるなサンジは」
「ああ、そうだな」
生まれつき稀有な金髪だ。
両親か片親どちらかが白人だったのだろうが、幼い頃に捨てられたサンジにはわからないことだ。
「髪もだし、目も透き通ってる」
「俺は、ゾロの目のが好きだぜ」
黒々として勝気で、生き生きと輝いている。
「俺はサンジのが好きだ。ずっと見ていたい」
子どもらしい真っ直ぐな、てらいのない言葉。
こんな風に好意を正面からぶつけられることなんて初めてで、子ども相手だとわかっていても照れてしまう。

「優しいな、ゾロは」
サンジは照れ隠しに乱暴にゾロを抱き寄せた。
「可愛いなあ。ゾロ、俺もゾロが大好きだぞ」
「おう」
さも当然だという風に、ゾロが応える。

愛され、可愛がられることをごく普通に受け入れられるゾロ。
こんな素朴で純粋なゾロに好かれて嬉しいと、素直に思える。
穢れを知らない真っ直ぐな瞳に見つめられても、たじろがない自分でいたいと思う。

「ゾロ、俺はこれからも頑張るぞ」
「おう」

恩人を亡くして目標を見失っても、サンジには大切なものが残されている。
知らぬ間に養子縁組を済ませ、残してくれていたこの家と。
ご近所の縁で知り合った小さな子ども。
どちらもかけがえのない、宝物だ。














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