不自然な体勢で圧迫された腕は、戒めを解かれてもなかなか感覚が戻らなかった。
くたりと力の抜けた身体を、ルイジは後ろから縋るように抱え込んで、一心に手首の赤い跡を撫でている。
サンジの耳の後ろにうずめた顔は、泣き出しそうに歪んでいた。



―――泣きてえのは、こっちだぜ
まだ酔いが残って、頭がぽわぽわする。
ガキにいいようにされたのはあまりに癪だが、今更怒る気にもなれない。
痺れた左手でルイジの頭を押し退けて、うぜえと毒づいた。

ルイジは顔を上げないでサンジの手首を擦る手に力を込める。
ぴりぴりと痺れて熱さだけが伝わる。

「悪かった」
悔恨を滲ませた、素直な声。
この声で詫びを聞くたあ、天地がひっくり返りそうだ。
そんな思いが一瞬頭を過って、サンジは自分自身に吐き気がした。
どこまで引き摺れば気が済むのか。
最低なのは、俺の方だ。



ルイジが益々力を込めて、サンジの裸の肩を抱きしめる。
「あんたが好きだ」
心地よい響きは唇の動きと共に胸の奥まで伝わって、サンジを不快にさせる。
あれほど長く抱き合っていたのに、触れることすらなかった言葉に、たかが1月共にしただけで易々と辿り着く、
ルイジの若さに腹が立った。

「アイシテるんだ。離れたくねえ」
右手が自由なら、視界の端に映る髪を鷲掴んで、横面を張り飛ばしたい衝動に駆られた。
お前に何がわかるのかと。
それでも本当は、ルイジにそう言わせてしまっているのは、自分だとわかっていて―――――









頬に当たる硬い髪をくしゃくしゃと掻き混ぜて、サンジはあやすようにルイジの肩を叩いた。

「オールブルーって、知ってっか?」
知る筈はない。
賞金首の手配書すら滅多に出回らない辺鄙な島だ。
海賊王の話も、大剣豪の話も欠片も伝わってこなかった。

「グランドラインのどこかにあるという、4つの海が交じり合った海域だ。世界中の魚がそこに集まってるってえ
 コックにとっちゃ夢のような幻の海」
この海の名を、サンジはこの5年間一度も口にしていない。
昔、海の上で仲間と交わした言葉を最後に、長いこと封印してきた。
「その幻の海を、俺は探してた。人はそんなのおとぎ話だって笑うけど、俺は何処かにあると信じてた」
サンジの肩越しにルイジがもそりと顔を上げる。
「なら、探しゃいいじゃねえか」

「おとぎ話みたいでも、あるかもしれねえじゃねえか。だって、おとぎ話みたいな空の島はあったんだろ。雲の絨毯の上、
 歩いたんだろ」
サンジの胸がじわりと熱くなる。
荒唐無稽な冒険談をルイジはちゃんと聞いていた。
「おう、あったさ。羽の生えた天使もいた。雷を操る横暴な神は、俺らが倒したんだ」
遥かな海の果てで、彼らは今も冒険している。


「海に出よう。てめえ一人じゃ不自由だろうけど、俺も一緒に行く。俺が手伝えばコックとしてやっていけんだろ。
 あんたいい腕してるんだし。一緒に行って、そのオールブルーってのを見つけようぜ」
ルイジの睦言は限りなく甘美だ。
サンジはうっとりと目を閉じた。
二人なら、行けるかもしれない。

「オールブルーでいろんな魚捕ってよ。いろんな料理作ってやる。きっと美味いぞ」
サンジは調子に乗って歌うように言った。
ある筈のない未来。
「食わしてくれ。あんたの作ったもんは何でも美味い。きっと滅茶苦茶美味いだろう。料理作ったって喰う奴がいなけりゃ
 ダメだろ。俺に食わしてくれよ」
ルイジの言葉がただ素直に嬉しかった。
一時だけでも夢を見せてくれた。
もう、充分だ。

「約束、してくれ。俺に食わしてくれるって」
約束の響きは重い。
サンジは静かに首を振った。
「ルイジ、海に絶対はねえように、気安くできる約束も、ねえんだよ」
サンジの胸を抱く腕が、きゅうと締まる。
「約束、してくれねえのか」
「ダメだ。」
サンジは真っ直ぐ前を見て、ルイジの顔を見ようともしない。
耳元で、嗚咽に似た吐息が聞こえる。
「・・・一緒に行きてえよ、俺は」
声が詰まる。
力を込めた指が、サンジの腕の引き攣れに痛いほど食い込む。


「―――ゾロって奴の、代わりでも良いから・・・」

ルイジの悲壮な呟きは、サンジの胸の奥底を深く抉った。




















今日も混雑する店に、ルミちゃんが手伝いに来てくれた。
何故かおたおたするマスターの隣で、くるくると働いている。
これからこの店は、二人で切り盛りするんだな、とサンジは微笑ましい思いで見つめていた。

漸く昼のピークが過ぎて人の波が引いた頃、マスターが手紙を持って来た。
「ルイジ宛だよ」
驚いて目を開いているルイジに、薄い封筒を手渡す。
「誰からだ」
視線を落として食い入るように見ている手元を一緒に覗き込んだ。
女性の名前。

「・・・おふくろだ」
いきなりくしゃくしゃと丸めてポケットに捻じ込もうとするのをサンジは慌てて止めた。
「ばか、今ここで読め」
「何でだよ。」
「いいから読め。てめえそのまま捨てる気じゃねえだろうな」
ルイジはサンジのいい付けを守って、ちゃんと居所は報せたらしい。
「どうせろくなことじゃねえよ」
「わかんねえだろうが。それともお前のお袋さんは、用もないのに手紙くれるほど、筆マメなのか。」
多分それはないだろう。

ルイジは観念したように、乱暴に封を破った。
サンジは腕を組んでルイジの言葉を待つ。
マスターとルミちゃんは、気にしながらも無関心を装って、さっきから同じ皿ばかり拭いている。

じっと手紙に目を通してから、ルイジが眉間に皺を寄せて顔を上げた。



「俺の、父親ってのに会ったらしい」
ほおとサンジの口から溜息が漏れた。
「偶然、逢ったんだとよ。俺のこと言ったらすげエ驚いて・・・」
そこで言葉を止めて、きりと唇を噛んだ。
「俺に会いに来るらしい」
怒っているような悔しそうな表情だ。
サンジはその顔を見て笑って祝福した。
「よかったじゃねえか」
「よかねえ!」
噛み付くように怒鳴る。
「今更、どんな顔して会えってんだ。俺ができたことも知らねえ癖に、今更父親面されたってたまんねえよ。
 どこの馬の骨ともわかんねえ奴によ!」
激昂するルイジを横目で見て、サンジは煙草に火をつけた。
ふうと吹き出して口の端で笑ってみせる。

「怖いんだろ」
「ああ?」
途端、ルイジの額に青筋が浮いた。
「てめえの父親ってのに、会うのが怖いんだろ。生まれる前から顔も知らなくて名前も素性もわからねえもんな。
 小せえ頃から、俺の親ってどんなかなって色々想像してたんだろ。それがいざ会うとなると、そりゃア怖いだろうよ。
 理想のおやじと違うかも知れねえし」
「うっせえ、そんなんじゃねえ」
図星なのか怒りからか、ルイジの顔は首まで赤い。
「そうじゃねえなら、ちゃんと会っとけ。例え相手がへたれジジイだろうが、ごついおっさんだろうが自分のルーツってのを
 この際ちゃんと確認しとけ。会うだけで、今更親子の絆持ち出されんのが嫌だってえなら、そう言ってやらあ、
 いいじゃねえか」
カウンターの中で、マスターもうんうんと頷いている。
「偶然再会してよ、勝手に自分のガキ産んだ娼婦を殴る奴はいるだろうが、わざわざ会いに来てくれる奴は、あんま
 いねえぜ」
言われて、ルイジはもう一度くしゃくしゃの手紙に目を落とした。
握りしめた指は白く浮いている。

「・・・いつ来るんだ。」
「明日、この店の住所に来るらしい」
そうかと呟いて、サンジは店の片づけを再開した。











ルイジを配達に出させてマスターとルミちゃんでお茶をする。
マスターの煎れてくれたコーヒーの芳しい香りを嗅ぎながら、サンジは目をしばたかせた。
「ごめんマスター。ウェディングケーキ、作れそうにねえや」

へにょりと、マスターの太い眉が情けなく下がる。
「丁度いい頃合いだと思うんだ。俺はここ、出て行くよ」
ルミちゃんが、どうして?と鈴の鳴るような声で尋ねる。
「ルイジは多分、ファザコンじゃねえかと思うんだ。どこの誰ともわからねえ父親のことをずっと引きずってたと思う。
 明日実際に会えるんなら、あいつん中で踏ん切りがつくだろうし、わざわざ会いに来てくれるような人だ。きっと
 ルイジのことを悪いようにはしねえ」
うんうんとマスターが哀しげに頷いた。

「ここを出て、どうするつもりだい」
「海に、出ようと思う」
サンジは照れたようにちょっと笑った。
「潮の匂いのしねえとこに、よく5年も居たもんだって自分で思う。やっぱ俺は海が好きだ。どこかの船に潜り込んで
 グランドラインにもっかい出てみてエ」
広い広い海原の未知の彼方へ。

「死ぬときは、海がいい。足手まといだって放り出されたって構わねえ」
へへっと笑って煙草の火を揉み消した。

「ルイジ君にはなんて言うの」
マスターはちらちらと表を気にしながら声を潜めた。
「何も言わねえつもりだ。あいつは聞き分けのねえガキだからな。だから、マスターには迷惑掛けることになると思う」
深く、頭を下げたサンジの肩を軽く叩いて、マスターはルミちゃんと手を握り合った。
「後のことはぼく達に任せて。君がいなくなるのは哀しいけど、もう一度旅立つのなら、笑って見送らせて欲しい」
サンジはもう一度二人に深々と頭を下げて、綺麗に笑った。








カリカリとペンを走らせる。
不自然に傾いだ、几帳面な文字。
いつからか定番となったメニューのレシピを書き留めていく。
背後でのそりと起き上がる気配がして、ルイジの声がした。

「まだ寝ねーの」
「なんだ、眠れねーのか」
振り向かないで答える。
「冷蔵庫の横の紙袋に酒入ってから。飲んでもいいぞ」

間を置いて、ごそごそと紙袋を漁る音がした。

「なあルイジ」
「んー?」
「もしもお前の父親が、想像を絶する鼻クソおやじでも、蹴るなよ」
ぶっと軽く噴き出した。
「何だよそれ」
「物事は先に悪い方へ考えとくもんだ。期待してるようなイかしたオヤジじゃないと、がっかりだろ」
とくとくと酒を注ぐ音が響き、アホかと呟く声がする。
「あんたも居てくれんだろ」
「ばーか、感動の再会を邪魔なんかしねーよ。俺は朝から買い出しに行ってくっからな」
パラリとノートをめくる。
これで大方書き終えた筈だ。
机のライトを消して立ち上がった。
ルイジはグラスを置いて、サンジへと手を伸ばす。

「緊張してんの?」
軽く問うとむっとした声で、んなことあるかと低く言う。
「あんたのこと、なんて紹介しようか考えてんだ」
―――はあ?
ルイジの意外な答えに目を見開いて、それから急におかしくなって笑い出した。
「な、なに言ってやがんだ・・・しょ、紹介って・・・」
苦しげに身を捩る。
「お、お世話してますってか・・・くひひ」
「てめえ、笑いすぎだ!」
真っ赤な顔でルイジが後ろから抱え込む。

「いや、悪りい悪りい。なんか最初と違って、えれえ真面目だなーと・・・」
目尻に涙まで浮かべて肩を震わせている。
「なんでそこまでウケんだよ」
口を尖らすルイジの表情は普段よりずっと幼くて、サンジはその固い髪をぐしゃぐしゃとかき回した。



「なんて言う、つもりだったんだ」
聞いてもせん無いことを聞いてみる。
「もし俺が居たらよ」
サンジを腕に抱えたまま、ルイジは顔を上げて視線を逸らした。
「大事な人だって、言いてえ」
肩に廻された腕から、体温が上がるのが分かる。
「俺にとって初めての、大事な人だって言いてえ」
「・・・そりゃあだめだ。思い切り誤解を招くぞ」
ルイジの熱が伝染して己の耳まで赤くなるのを悟られないように、サンジは茶化した言葉で返す。
「降って湧いたように現れた息子が男に世話になってるってな、衝撃の事実をいきなり親に
 つきつけんじゃね―よ」
絡みつく腕を邪険に振り払おうとして、失敗した。
息が苦しくなるほど強く抱きしめられる。
「俺にとってって、だけだ。あんたが遊びのつもりだろうが誰かの身代わりだろーが、俺には
 関係ねえ。俺の大事な人は、あんただけだ」
サンジは恋の伝導師などと称しながら、こんなストレートな求愛にまるきり慣れていない。
過去の経験から見ても、大概相手は年上の手馴れた女性かあの無口な唐変木だ。
なりふり構わぬルイジの体当たり的なアプローチには調子を崩されっぱなしになる。

なんつー真っ直ぐ且つダイレクトな告白なんだ。
尻こそばゆいっつーか、なんかどきどきするよな。
けして悪い心地ではない。
だからこそ、いつまでもこいつの側に居てはいけないのだ。
あくまで遊びと割り切って、大人のポーズを崩さないで立ち去るのが、一番いい。
ルイジの為にも。
自分自身のためにも。

「ガキんちょは、素直だなあ」
頬が赤いのを酒のせいにして、サンジは自分から口付けた。
ルイジは子ども扱いされても気分を害した風でなく、慣れた手つきで痩躯を抱えてベッドへと運ぶ。
このガキを甘やかしてんのか、俺が甘やかされてんのか・・・
ちらりとそんな思いが頭を掠めたが、直ぐに何もわからなくなった。











夜明け前に、ひとしきり雨が降ったらしい。
窓を開けると、湿った土の匂いがした。
こいつと初めて会ったのも、雨の夜だったと柄にもなく感慨に耽る。
どんよりと暗い空に煙を吹きかけて、雲の流れを目で追った。

ルイジは目を覚まさない。
昨夜酒に混ぜた薬が、良く効いているようだ。
ゆっくりと一服してから、煙草を灰皿に揉み消して窓を閉めた。
身一つで来たから旅立ちに荷物はない。
いつも出かけにキッチンを片付けているから閑散としていても不自然ではない。

空っぽのクローゼットからぽつんと残った服を取り出す。
この街では一度も袖を通さなかった黒いスーツ。
5年ぶりの着心地は、悪くない。
小さなバッグを一つ担いで、サンジは扉を開けた。



静かな寝息を背中に聞いて、最後にサンジは振り返る。
何かを横抱きに抱えた格好のまま眠る安らかな寝顔。


「あばよルイジ。てめえの――――
   ゾロに似てねえとこが、好きだったぜ」

別れの言葉は、まだ薄暗い部屋に消えた。










町はしっとりと靄に包まれ、常とは違う顔を見せている。
通い慣れた道を通り店の扉を開けると、いつもの笑顔でマスターが迎えてくれた。
昨夜のレシピを渡して礼を言う。
事後を託して握手を交わし、別れを告げた。

分厚い雲の隙間から、朝日が顔を覗かせる。
通りにはいつものように市を立てる人々があちこちから集まって来た。
「おはようカール、早いねえ」
「今日はどこまで買い出しだい?」
顔馴染みになった人たちから次々と声を掛けられ、サンジはその度立ち止まって会話を交わした。
けして短くはない、5年という歳月。
カールとして生きてきたこの町を離れるのは正直寂しい気持ちもするが、サンジの歩みに迷いはない。

ルイジが俺の背中を押してくれたようなもんだな。

もう一度海に出て、オールブルーを探そう。
この広いグランドラインで再びルフィたちに出会うことは奇跡に近い。
だがあの麦わらに拘らず、自分の夢だけを求めて旅立つなら何も恐れるものなどない。
海で死ねるなら、本望だ。



緩やかな坂を下って町を抜ける。
懐かしい風が、誘うようにサンジの頬を撫でた。
潮の匂いを嗅いで、自然足が早足になる。
港を見下ろす高台から視界が開けた。
果てなく広がる濃紺の海の上を白いカモメが舞っている。
朝日を受けてきらきらと輝き、大波に打ち寄せられた貝殻のように、大小様々な船が停泊しているのが見えた。






眩しさに目を細めたサンジの目に、見間違いようのない、懐かしい羊頭が飛び込んできた。








まさか、そんな―――
知らず、足取りが速くなる。
下り坂を転がるように、サンジは駆け出していた。

街中へ入ると建物の陰に隠れて海も見えない。
それでも、ひたすら一点に向かって走り続けた。
道を渡り、路地を横切る。
活気のある市場を抜けて、波止場に出た。

青い空と海が溶け合って、白い雲が筋になって流れ行く景色の前に、懐かしい羊頭。
その頭頂に座る影が、かすかに揺らいだ。
見る見るうちに大きくなる姿は直ぐに目前まで迫り、変らぬ意志の強い瞳がサンジを捉える。


「サンジ!!」
びよんと伸びた人外の腕が、強引に痩躯を攫う。

「サンジだ、サンジだ!」
思い出の中よりずっと背が伸びて、肩幅も広い。
でも相変わらずお日様の匂いのする腕に掴まれて、あっという間に甲板に引き上げられた。






「みんなっ!サンジだ―――!!」






「サンジ君!」
懐かしい声が響いた。
長いオレンジの髪をなびかせて、ナミが駆け寄る。
変わらない伸びやかな手足。
大きな瞳が潤んだと思ったら、強烈なビンタがサンジを見舞った。
「この馬鹿!無事なら無事と何で報せないのよ!」
「ああ〜ナミさん、相変わらず素敵だ〜v」
ハートを飛ばしながら甲板にひっくり返る。

「サンジ、サンジかおい!!」
長っ鼻が滂沱の涙を流しながら抱きついてきた。
「うわあ足あるなあ、生きてんだなあおい!畜生、生きてやがったのかこのヤロー・・・」
「生きてちゃ悪りいか。」
「うっせえ馬鹿野郎!!」
ガキみたいにわあわあ泣きながら、力の限り抱きしめられた。
手先が器用な細い男だったが、随分逞しくなりやがったもんだ。

何事かと様子を見に来るのは知らない顔。
仲間も増えたんだな。
どかどかと床が響いて、でかいチョッパーが船内から現れた。


「サンジ・・・」
声が違う。
大人に、なったんだ。
何度もけつまずいて転びそうになりながら、でかい図体でサンジの前に飛び込んだ。
跪いて、それでも見下ろす目からボロボロと涙がこぼれる。
青い鼻からも鼻水が垂れて、情けない表情はあの頃のままだ。
「サンジ・・・俺・・・俺―――」
ぐずりとすすり上げて、そこから先が声にならない。
「チョッパー、悪かった」
こいつにだけは、きちんと謝りたかった。
どんなに胸を痛めていただろう。
誰かに負い目を負わせることを一番恐れていたはずなのに。
「俺ぁ生きてる。無事だった。すまねえ、チョッパー」
チョッパーはサンジの膝に突っ伏して声を上げて泣いた。
「つれえ思いさせて、悪かった」
毛だらけのでかい背中を抱えて、サンジは宥めるように撫で擦る。
ひょこりと背中から手が生えて、同じようにロビンの手も優しく動いた。










「サンジ、腹減った!」
つい昨日のことのように、ルフィが飯をねだる。
サンジは顔を上げて、精悍さを増した船長の顔を見つめた。

「ルフィ、俺はもう昔みてえに、手早く大量に見た目のいい飯は作れねえ」
サンジの声に、チョッパーが泣き声を抑えて顔を上げた。
「・・・それでも、俺をもう一度ここのコックに使ってくれねえか」
「当たり前だ!」
間髪入れずにルフィが応える。
「美味い飯、食わしてくれんだろ」
にかりと笑う、その目は期待に満ちていて・・・
「ああ、クソ美味え飯、食わせてやるよ」
やったあと、歓声が上がった。






とてとてと、場違いな足音が響いてサンジの目の前に小さな子供達がしゃがみこむ。
「コックさん?」
「さん?」
「おやつくれる?」
「れる?」
まだ舌ったらずな喋り。
くりくりとした黒い瞳と鳶色の瞳。
栗色の髪と赤毛。
この微妙なミックスは・・・
「こ、これは・・・もしかして・・・」
「ああ、私とルフィの子よ。宝は3つで夢が2つ」
ナミがさらっと紹介した。
「実際、この子達を生んでる間3年ほど私たちも旅をしていないの。ワンピースはまだ見つかっていないわ」
子供?
ルフィとナミさんの・・・
ナミさんの―――
子供・・・

「素晴らしいナミさん!二人も生んでその体形なんて!!!」
ちょっと違う方向へ感動してからくるりとルフィを振り返った。
「このクソゴム!人が失踪している間にナミさんに子供生ませるたあふてえゴムだ!っていうかてめえみたいな
 ムードもへったくれもねえガキがどうやって・・・っつーか羨ましいぜ畜生!!!」
にししと笑うルフィの首根っこを捕まえてがくがく揺らしながらちょっとした錯乱状態に陥っているサンジを見て、
ウソップがおうと手を打った。


「そうそう、ゾロだ」
ぴくりとサンジの耳が反応する。
ゾロを忘れていたわけではない。
それどころか大いに気になっていたが、どうにも聞くのが躊躇われていた。
何故この場にいないのか。
もしかして大剣豪になったのか。
船降りたってこたあ、ねえだろうな。

「マリモは・・・どうしたよ」
自然と眉間に皺が寄る。
妙な顔つきにならないように気を遣うと、しかめっ面になるらしい。
「ゾロはミホークを倒して世界一の剣豪になったわよ」
ナミさんは腕を組んで、誇るように言った。


そうか。
サンジの肩からすとんと力が抜ける。

「そうか・・・へへ、なりやがったか。」


―――生きてんだな
大剣豪になりやがったのか。
夢が叶ったんだな、畜生・・・
見たかったなあ。
その場に、立ち会えなかったなあ。


「今は用事で船を下りてるだけよ。その・・・」
ちらりとナミが視線を落とす。
隣でロビンが困ったような笑みを浮かべた。
二人の才女は時がたっても美しいままだ。
ナミの様子を不審に思いながらも、サンジはぼんやりとそんなことを考えていた。




「聞いて驚けサンジ!ゾロには子供がいたんだ!」
屈託ない、ウソップの声。

「ゾロ本人も知らなかったらしいが、まだ村にいた頃にできた子だってよ。こないだその相手と偶然会ったらしい。
 運命って怖いよなあ」
「ウソップよしなさいよ。久しぶりなのに」
ナミが珍しく焦った声で嗜める。
「なんでだよ。これからまた一緒に旅するんなら知らないと不自然じゃねえないか。そりゃ・・・ゾロとサンジは
 何かと張り合って喧嘩ばかりしてたけど、こればっかりはしょうがねえ事実だしよ。ゾロに子供がいたって
 悔しくねえよなあ、サンジ」


子供?

ゾロに?

子供―――



「ほら、サンジ君驚いてるじゃない」


ゾロの子供って・・・

いくつ?

まだ村にいた頃って、いつ・・・


「筆下ろしで大当たりってのはすげ―よな。そんなうまい話があるかと皆も疑ったんだが、母親が言うには
 見ればわかるって一言だってよ」


見れば、わかる

ゾロの子供

そんな、まさか・・・


「この島にいるって言われてすっ飛んで会いに来たわけだ。どんなガキなのか俺らもちょっと楽しみなんだよなあ」


この島に

ゾロそっくりの

娼婦の子



「コックさん、大丈夫?」
サンジの尋常でない様子にロビンが手を添えた。
指の先は氷のように冷たくなって、細い頤が震えている。








「あ、あれゾロだ!」
ルフィの声が響く。
「おんなじようなのがもう一人いるぞ。すげー背格好とか一緒だぞ!うはは歩き方までそっくりだあ」
どれどれとその場にいた殆どの者が一斉に注目する。
「うわ、ほんとにそっくりだ!」
「あんなでけえ息子か?」
「髪の色は緑じゃないぞ!」


ゾロの息子――――

嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ―――――









「ゾロ!!」

ルフィの声が木霊する。



「サンジが、帰ってきた!!!」





一瞬の間




「お、猛ダッシュだ」
「すげーゾロ走ってぞ」
「うはは走る走る全速力だはえー」
男達が船縁を叩いてげらげらと笑い出した。
「ゾロー、サンジだぞー!!」
「すげー必死こいてる・・・」


ゾロが、走ってる?
なんで・・・
俺が、いるから?
ゾロが―――
必死で―――?




「おし来た、はええ!」

だんと、甲板が壊れそうなほどの勢いで何かが飛び込んで船が揺れた。
俯いたサンジの目の前に、黒い影が落ちる。
顔を上げる暇もなく、横っ面に衝撃を受けた。
弾かれて崩れた身体をロビンのいくつかの手が辛うじて抱える。
「と・・・なにすんの、ゾロ!!」
「航海士さん、人のことは言えないはずよ」
ロビンの胸に支えられながらサンジはようやく顔を上げた。


太陽を背に受けて、大きく肩で息をするゾロがいた。
額からも汗が流れている。
そんなに必死に走ったのか。
呆然と見上げるサンジに腕を伸ばして、ぐいと胸倉を掴み上げた。

「てめ・・・何しやが―――」
「この、クソコック!」
真正面から睨みつけてゾロが吠えた。

「てめえ、生きてんなら生きてるって、言いやがれっ」
射殺しそうな視線はそのままに、表情が奇妙に歪んだ。
ちったあ年をとったのかな。
俺も、てめえも。
「このバカやろ・・・っ!」
もう一度殴られるかと思った。
覚悟して歯を食いしばったのに、予想に反してふわりと体が包まれる。
そのまま力の限り抱きしめられた。

肺が圧迫されて、骨がみしりと悲鳴をあげた。
「生きてやがったんなら、早く言え!!」
ゾロの汗の匂いがする。
押し付けられた胸からどこどこ響く鼓動はゾロのモノで、多分それに負けないくらい自分も脈打っているに違いない。
「いて・・・ぞ、クソ腹巻・・・」
サンジはゾロの腰に手をあてた。
古ぼけて染みのついたそれは、変らずそこにあった。
腹巻をぎゅうと握り締めて苦しさに息を吐いた。


俺のこと、覚えてたかよ。
ちったあ心配してくれてたんかな。
俺の名前聞いて、必死に走ってくる程度に・・・


じわりと、胸に熱いものが広がる。
ゾロの熱と一緒にいろんな思いが流れ込んでくるようで、心が震えた。
想っていたのは、俺だけじゃねえのかもしれない。
言葉はないのに、触れ合っているだけでゾロに満たされる。
ゾロの手が首の後ろに廻って、抱きしめられたときと同じように唐突に身体が離れた。



それでも肩を抱いたまま、ゾロが振り返る。

仲間達のざわめきと、新しい足音。
サンジの背中が、ぴくりと揺れる。






「あんた、サンジってんだ」





聞き慣れた、ゾロと同じ声。


すうと、サンジの体温が下がった。




俺の顔はひどく青褪めていないだろうか。
肩は、震えてはいないか。




「ハジメマシテ」




視線を上げた先

ゾロと同じ顔をした男は

冷たい目で



  笑った――――




                           END







−3−