「はい、この決裁回しといてね。・・・あ、いや俺持ってくわ」
開発課課長、サンジは「ちょっと企画部に用事があるし〜」と独り言を呟いて席を立った。
そのまま真っ直ぐに企画部のフロアがある5階へと上がり、決裁を手渡した後5階の喫煙スペースに向かう。
偶然居合わせた同期と煙草を吹かしながら雑談し、ゆっくり煙草を吸い切って喫煙所から出る。
そのまま何食わぬ顔で自分の部署がある2階へと戻り、デスクに座った。

―――カチッ
「6分35秒」
正面に座る新入社員が、PC画面に視線を留めたままストップウォッチを止める。
「はあ?」
「課長が喫煙に要した時間は6分35秒です」
「待て待て待て待てロロノア」
「なんでしょうか?」
名前を呼ばれて、新入社員ロロノアは澄ました表情で振り返った。
「なにいきなり勝手なこと言ってくれてんだ、誰が喫煙って」
「行ってたでしょ、煙草」
「行っ・・・て・・・」
ない、とは言い切れない。
事実、吸ってきたから。
「企画部に決裁を持って行ったついでに、5階フロアで喫煙されてましたね。随分ゆっくりでしたから、お知り合いの方が
 いてお話になっていたとか」
「・・・ぐぬぬぬぬ」
「5階までの行き帰りの時間は引いてあります。それでも6分35秒は喫煙をされていました」
サンジは机の下でぐっと拳を握り締め、やや青褪めた表情で顔を上げた。
「・・・ロロノア、見てたのか」
「いいえ」
サンジの悲愴な顔付きとは対照的に、どこまで冷徹な無表情さでもってしれっと応える。
「課長の普段の動向と現在の様子、それに明らかな匂いを持って判断しただけです」
そう言って目力のある視線をサンジに投げた。
「どこか間違っていますか?」
「―――・・・」
俺は煙草など吸っていない!と大嘘を言える性格ならいいのだが、生憎サンジは生まれついてのバカ正直だった。
特に今回のようにぐうの音も出ないほど行動パターンを見透かされていては、どう抗弁しても無駄な足掻きにしか見えない。
サンジが沈黙している間に、ロロノアは自分の机の右上に常に置かれているリストに数字を記入した。
6分35秒。
「大体、何でお前が俺の喫煙時間を管理してんだよ」
「衛生委員だからです」
またしても正論で即答だ。
そう言われると、サンジはなにも言えなくなる。

サンジが勤める会社では、福利厚生の一環として社内に部署を跨いだ「衛生委員」なるものが設立されていた。
階級に関係なくランダムに選ばれた委員達は、任期を1年として各部署の安全・衛生に注意し、報告しなければならない。
開発課で唯一の喫煙者であるサンジ課長は、その時点で分が悪かった。


「そもそも、喫煙休憩と言うのは不公平です」
衛生委員の会合後に課内で報告を行った時、ロロノアは新入社員でありながらいきなり先制パンチを繰り出してきた。
「煙草を吸うために席を立つ時間は、本来労働時間に含まれません。煙草休憩と言うからには、休憩時間と見做されるべきです」
「喫煙中だって物事は考えてる。むしろ、煙草吸ってる時間の方が脳が活性化していいアイデアが浮かんだりするんだぞ」
「錯覚です」
初っ端からばっさりと切り捨てられた。
「それに、喫煙スペースでは他の部署の喫煙者とも一緒になって情報交換ができる」
「それならトイレでもカフェスペースでも同じことです。それに喫煙者はどんどん少なくなっているのですから、むしろ喫煙所で
 顔を合わせる対象者は限られてくると思われます。同じメンツで交わされる情報に有効なものが含まれるとは思いません」
バッサバッサと、むしろ小気味よいくらいの切り捨てっぷりだ。
サンジとロロノアの攻防は、喫煙しない他の職員達にとっては格好の見物だったようで、誰も口を挟まなければ課長のフォローも
してくれなかった。
それどころか、女子社員からはロロノアへの援護射撃まで入る。
「確かに、喫煙休憩があるならおやつ休憩も欲しいですよね」
「チョコタイムとか」
「そうそう」
「おやつは時々持ってきてるだろ〜」
情けない課長の声に、ああもちろんと笑顔で頷く。
「課長の差し入れはいつも美味しくいただいてますよう。だから私たちは課長の喫煙タイムにはなんの不満もありません」
「ええそうです、勿論です」
女子の支持は得られたとロロノアを振り返れば、こちらは仏頂面だ。
「私は甘いものを好みませんので」
「お前の嗜好なんぞ問題じゃない」
「課長の嗜好を問題にしているところです」
うう、甘いもので懐柔は無理か。
「とは言え、あまり杓子定規な問責で自体が打開されるとは思いませんので、また改めて衛生委員の私から提案させて
 いただきます」
お前は何様か!と問えば、きっと無表情で「衛生委員ですがなにか?」と問い返されそうだ。
その光景が容易に想像できて、サンジはその場では沈黙するしかなかった。
ロロノアが言うところの提案がどういうものかは知らずに。


――――あんとき、パワハラだって言われようとも強行に言い包めとけばよかったんだよなあ。
後悔しても後の祭りだ。
ロロノアが言うところの妥協案を受け入れてしまってから、サンジにとって至福の喫煙タイムは悪夢へのカウントダウンと
変わってしまった。
なんとか、あの手この手で喫煙休憩時間を誤魔化そうとするのにいつもうまく行かない。
いっそ禁煙すればいいのだが、それはそれでなんか負けたような気がして嫌だ。

ロロノアの几帳面な文字で、その日も6行ほど数字が記入されていた。
「トータル、18分46秒ですね」
「午後の一服が響いたな〜」
「フロアが違うからバレないと思ったんでしょう」
就業時間を過ぎて人も疎らな開発課で、ロロノアが先に席を立つ。
「休憩に入らせてもらいます」
いつもの場所で・・・と小さく囁かれ、サンジはデスクに肘を着いたまま何もない空間に視線を泳がせていた。
それから3分ほど時間を空けて、自分も席を立つ。

課長だけが喫煙休憩を取ってずるいと、一人だけ駄々を捏ねたのはロロノアだった。
他の社員はみな、サンジの喫煙に対して鷹揚だからなんら問題はない。
だからロロノア一人をなんとか宥めれば済む話だと思っていた。
まさかこんな方法で宥めることになるなんて、思いもよらず。




喫煙スペースを通り抜け、非常階段手前の印刷室の扉を開ける。
終業時間内は使用許可がいるが、いまの時間は滅多に使用されないからフリーだ。
畳2畳分程度の狭いスペースに入り、中から施錠する。
「いいか、18分だぞ」
「18分46秒です」
ロロノアは冷静にそう言うと、サンジの腕を掴んで引き寄せスーツのボタンを外した。
そのままカッターシャツの上から平たい胸に顔を埋める。
「・・・ばっ、待て、服の上からはダメだ!」
「なんでですか」
「な、んか嫌なんだよっ」
「生のがいいんすか」
「そういうんじゃねえ、・・・ばかっ」
そう言い合っている間にも、ロロノアの口はシャツ越しにサンジの胸元に吸い付いて、じゅっと吸われた。
思わず「ひゃっ」と叫びかけた声を抑え、サンジはシュレッダーに手を着いて踏ん張る。
撓らせた背をロロノアの手がゆっくりと撫で、脇腹を抱いた。
そうしながら口を大きく開き、布越しに乳輪ごと食むように柔らかく甘噛みをする。
「・・・や、だって」
シャツが唾液で濡れるし、染みになるじゃないか。
それに、布が擦れてなんかやばい・・・

サンジの声にならない抗議を受けて、ロロノアはようやく口を開いた。
仕方なさそうにネクタイを緩め、胸元のボタンを外す。
シャツを肌蹴て、口角を緩めた。
「もう、勃ってますよ」
「うるせえっ」
ロロノアの視線を受けて、肌がぶるりと粟立った。
至近距離でまじまじと眺めるのは止めて欲しい。
先ほどの一吸いだけで、全身の血が乳首に集中したかのように熱くてむず痒いのだ。

ロロノアは舌を伸ばして、先端でちろりと乳首を舐めた。
そのまま口には含まず、舌先で舐め転がす。
「・・・そ、れ、止めろっ・・・て」
「もうコリコリですね」
「言うな、ばか」
片方の乳首をまるで優しくあやされるように舌で転がされながら、もう片方はシャツの下から滑り込んだ指で荒々しく
抓んで来る。
触れ方が左右でまったく違っていて、その感覚にも翻弄された。
こうして一旦ロロノアに乳首を明け渡してしまうと、サンジはもうどうしようもなくなってしまう。

「あ・・・やだ、やだって・・・」
いやだやめろばかりを繰り返すから、サンジが上げる抵抗の声などロロノアには通じない。
ただ思うがままに舐めしゃぶられ、噛まれて抓まれて引っ張って押し潰される。
くすぐったかったり痛かったり冷たかったり熱かったりするのに、その度サンジは漏れそうな嬌声を押し殺して魘された
ように制止の言葉だけを呟いた。
「―――そ、こ・・・やっ」
「美味そうな、色っすね」
前より大きくなってますよ。
そう囁かれて、まるで見せ付けるように胸にくごと引き上げて吸い付くから目のやり場に困る。
自分の乳首に吸い付きながら、挑発的な目で見上げるロロノアの顔など恥ずかしくて見ていられない。
だからぎゅっと目を閉じて壁に身体を預け、なんとかくずおれないように踏ん張っているのにロロノアはそんなサンジの
努力も介さずに好き勝手弄くってくる。
乳首だけを。

「・・・ふぁっ、あ・・・」
ロロノアの口が離れると、唾液で濡れた肌がひやりと冷える。
不意にその上からシャツが被せられた。
もう終了時刻かと目を開けたら、ロロノはまたシャツの上から噛み付いてくる。
「・・・だ、から、服の上は、やだって!」
「そうですか?ここは嫌がってないようですが」
シャツ越しにもくっきりと浮き上がった乳首を指で確かめるようになぞられ、ビビクンと腰が震える。
ロロノアは片方だけを重点的に歯や舌で弄んだ。
もう片方はシャツの下で放置されたままだ。
「・・・も、・・・も・・・」
「なんですか?」
問い返す声に笑いが含まれていて、ムカついた。
「・・・そっち、ばっかり!」
「なにがですか」
ロロノアがシャツを握ったまま顔を上げた。
その動きで布が擦れて、ほったかされたままの乳首がじんと痺れる。
「〜〜〜〜〜〜う〜〜〜〜」
「なんですか?はっきり言わないとわかりません」
そう言いながら、弄くっている側の乳首を指でぐりぐりと押してくる。
サンジは根負けして、睨み付けながら短く叫んだ。
「こっち・・・もっ」
「はい?」
「こっちも弄れっ、ばかっ」
震える手で自らシャツを肌蹴ると、ロロノアはにやりと笑んでそちら側にも唇を付けた。
「そんなに、これが好きですか?」
「・・・だ、れが・・・」
「自分から、ねだるほど」
「違・・・」
「違う?」
ロロノアの熱い舌が、ねっとりと肌に絡み付いてくる。
痛いほどの強さで摘ままれ捏ねられても、背筋を駆け上るのは快感ばかりだ。
サンジは夢中になって背を反らし、自ら胸をロロノアの口に押し付けた。
そうしながら、無意識に腰を突き出していた。
ほとんど同じ身長だから、身体を重ねれば同じ部分が触れ合う。
すでに熱く硬くなった箇所が、自分と同じくらいの硬度と熱を持つロロノアの部分に擦れて頭の中が真白になる。

「・・・おっと」
すっと、ロロノアの口が離れた。
手も指も、なんの名残も見せずにあっさりと遠のいていく。
代わりに肩を抱かれ、しゃんと体勢を立て直すように姿勢を正された。
壁に凭れかかりすっかり力が抜けたサンジのシャツを、ロロノアはボタンの一つ一つまで丁寧に留めていく。
引き出されていたシャツの裾もズボンの中に仕舞われ、ネクタイを直されてスーツの皺も伸ばされた。
確認するようにポンポンと軽く両肘を叩いてから、ロロノアは一歩下がって「うん」と満足げに一人で頷く。

「きっかり、18分46秒です。お疲れ様でした」
「――――・・・」
サンジは気が抜けたように突っ立っていた。
なんかこう、なにもかもが治まりつかない状態なのに自分から行動できない。
というか迂闊に動くと、なんかヤバイ。
なんだってこんなことになったのだろう。


課長だけが喫煙休憩を取るなんてずるいと詰ったあと、ロロノアは交換条件を出してきた。
曰く、サンジが煙草を吸っていた時間分だけ、自分は課長の乳首を吸いたいと。
最初に聞いた時、サンジはなにか聞き間違えたかと思った。
その後何度か聞き直しても同じ答えが返ってきたけれど、それでも理解できなかった。

なんでまた、煙草休憩の代わりが乳首休憩なの?
なんで俺のなの?
なんで男の乳首なの?

頭がついていかないまま、それで妥協しますと堂々とかつ爽やかに押し切られ、それからロロノアの乳首休憩は常態化した。
毎日毎日、会社がある日は就業後にまとめて乳首休憩が取らされる。
サンジの脳内には疑問符がいっぱい溢れたまま、消えることがなかった。
こうして何度も乳首を吸われているのに、なぜなのかの答えが一向に出てこない。
そうしている内にいつの間にか身体の方が吸われることに慣れてしまって、今では乳首休憩を前にしただけで硬く張り詰め、
何もしていないのにジンジンと疼くくらいだ。
それにしたって、あまりに不条理な―――

一人放ったらかされる形になって、ロロノアはさっさと印刷室から出ようとする。
その後ろ姿に「待て」と決死の思いで声を掛けた。
「なんですか?」
振り返るロロノアは、一分の隙もない。
今まさに仕事の途中ですと言わんばかりのさり気なさで、傲慢なほどの堂々とした立ち姿だ。
「お前がち・・・休憩とるのは百歩譲るとして、俺にとってこの時間ってなんだよ。やっぱおかしくね?」
「課長は管理職手当てもらってるでしょ」
ロロノアは小憎らしいほど整った顔に、薄く笑みを浮かべた。
「サービス残業ですよ」
じゃ、お疲れ様です。
そう言い残し、ささっと外に出てしまう。

パタンと閉じられた扉を見つめながら、サンジはその場でずるずるとしゃがみこんだ。
火照った身体の熱を冷ますのに、もう少し時間が要りそうだ。



End







Cigarette break