Fire away
『秋の火災予防運動』の幟が旗めく歩道を、みんなで手を繋ぎながらゆっくり歩く。
消防署の駐車場には消防車が横付けされ、鮮やかなブルーとオレンジのユニフォームを着た署員達が長く伸ばしたホースを
巻き直したり清掃したりしていた。
物怖じしない子ども達は、今日も元気に声を張り上げる。
「こんにちはー」
「こんにちは」
「お散歩か、いい天気だね」
園児の散歩コースからは外れているが、時々こうして消防署の前を通る。
主に男の子が熱心に消防車を眺めだして、なかなかその場を離れられなくなるのが難点だ。
女の子達も、キラキラした瞳で興味深そうに署員達の動きを見つめている。
これはこれで、飽きることはない。
「こんなに小さくても、かっこいいとか思っちゃうんでしょうねえ」
「制服効果ってものでしょうか」
カヤとビビがのどかに笑っている後ろで、サンジは園児が飛び出したりしないかどうか注意しながらも、つい横目で消防署の
様子を盗み見た。
消防車の清掃には加わってないみたいだけど・・・

「お、散歩か」
いた!
裏口からヘルメットやら何やら担いだゾロが、嬉しそうに笑って出てきた。
「はい。今日はとっても気持ちがいいお天気なのでちょっと足を延ばしてみました」
ビビに軽く会釈をし、荷物を置いて歩道に歩み寄る。
「よしよし、みんな元気だな」
身体の大きなゾロがフェンス越しに手を伸ばして、園児の黄色い帽子を撫でる様子はなんとも微笑ましい。
子ども達もくすぐったそうに首を竦め、憧憬の眼差しで見上げた。
ゾロを身近に感じ、将来僕も消防士さんになる!と決意する子もいるかもしれない。
「ああやって見ると、なぜかブリーダーみたいに見えますね」
カヤが斜め方向の印象を口にし、そう言えばそうかもとサンジもつい吹き出しそうになった。
小さい子犬が、嬉しそうに群がって纏わりついてるみたいだ。
「それじゃあ皆さん、そろそろ行きましょうか」
ビビがそう声を掛けると、素直に振り向く子、聞こえないふりでそっぽを向いたままの子など様々だ。
声に出して抗議したりしないが、それでも離れ難くいつまでもフェンスにしがみついている子もいる。
「さあ、帰ったら美味しいおやつが待ってるよ」
サンジは自分こそが後ろ髪を魅かれつつ、一人一人に声を掛けて肩を抱き、背中を押して促した。
「おじゃましました」
「行ってらっしゃい」
カヤ達がほかの署員に挨拶を残している間、ゾロがサンジだけに聞こえる声で話しかける。
「あとでな」
「おう」

たったこれだけのやりとりなのに、恥ずかしくて顔から火を噴きそうになった。
なんとも居た堪れない思いで、粘る園児を抱き上げてその場からそそくさと立ち去る。
「あら、サンジ先生どうしたんですか?頬が赤いですよ」
ビビの他意なく鋭い観察眼に一瞬、キョドりつつ、誤魔化すように片手でゴシゴシと顔を擦った。
「きっと、いい天気だからですよ」
「そうですね」
「本当に、気持ちのよいお天気です」
女神のようなビビとカヤの笑顔に促され、天使のような園児達に囲まれて、サンジはすぐさま仕事モードに切り替えた。



今日は11月11日。
ゾロの誕生日だ。
身寄りがないゾロは、たとえ一人であっても自分の誕生日をお祝いしなさい、という師匠の教えを頑なに守り、去年は本当に
一人でお祝いしそうになっていた。
それに気付いて一緒にお祝いできたのは、幸いだったと重う。
もう二度と、あのような不憫な誕生日を迎えさせるまい。
サンジはなぜか使命に燃え、今年の誕生日は早くから約束を取り付けていた。
11日の夜は、俺が飯作るから食ってけよ。
そう取り決めた話の流れ上、今日はサンジの部屋に夕食ご招待という形になってしまった。
まあ、それはなんら問題ないと思うのだ。

ゾロと親しく付き合うようになって、すでに何度かお互いの部屋は行き来している。
休日を合わせて一緒に出かけることも少なくない。
ぶっちゃけ、交際は順調だ。
そう、交際なのだ。
性別が二人とも男という最大の障壁は置いておいても、それ以外は特に問題なかった。
ゾロは天涯孤独の身で、世間体を鑑みて断りを入れなければならない家族はいない。
そもそも職業上も性格的にも、妻子を持つつもりはないという。
サンジはといえば、唯一の家族であるゼフはすでに何事か察しているらしく、いつからか生暖かい眼差しでゾロごと見守って
くれている感がある。
これはこれで居た堪れないが、そんな度量の大きさに甘えた状態だ。

そうして今夜、ゾロの誕生日を自分ちでお祝いする。
お祝いは、料理だけでいいのだろうか。

コトここにきて、サンジは一人でずっとグルグル考えていた。
こ、ここここここ恋人の誕生日と言うからには、手料理を振る舞うだけでなくこう・・・ちょっとしたプレゼントというかなにか、いるんだろうなあ。
ゾロはサラリーマンじゃないから、ネクタイとかはいらないだろうし。
財布とか、ハンカチとか靴下とか、所帯じみた方向に思考が傾き掛けるけど、ともかくなにかプレゼントしたいなと思う。
けど、なにより誕生日の夜とか言うのは、物理的プレゼントよりアレだ、ってか、ナニだ。


「――サンジ先生?」
「・・・あ!は、はい?!」
考えごとをしていたせいで、無駄に大きく素っ頓狂な声で返事してしまった。
話し掛けた方のたしぎが唖然として、それから笑い出す。
「すごく難しい顔をして日誌とにらめっこしてると思ったら・・・」
「あああ、すみません」
だめだ、今日はさっさと事務を終えて早帰りの日なのにこんなことでは。
「あの、急なお願いで申し訳ないんですけど、明日と明後日で早番代わっていただけないかと思って・・・」
顔の前で両手を合わせ、拝むように切り出したたしぎになにも考えず二つ返事で引き受ける。
「いいですよ、そんなのいくらでも・・・」
――――って、え?
早番ってのは、つまり早い時間に出勤して鍵を開け園児達をお出迎えする当番だ。
当然、家を出る時間が早まるし起床時間も早まる。
普段ならなんら問題ないんだけど。
だけどそれが、明日?

「・・・あ、なにかご都合が?」
一瞬の逡巡が表情に表れたか、たしぎが気遣わしげに言い添えた。
こう言う時の女性の勘の鋭さには、無条件で慄いてしまう。
「いや、なんでもないですなんにもないです。なんら問題はありません!」
必要以上に強く否定して、サンジはヘラリと笑った。

明日の朝、いつもより早い時間に起床かあ。
いや、無問題なんだよ実際。
ゾロの誕生祝は今夜のことなんだから。
別に、うっかり泊まって行ったとしても客じゃないんだから放っておいてもいいし。
朝ゆっくりできないとか朝ご飯食べる時間に一緒にいられないかもとか、そもそも起きれなかったりして・・・とか、心配すること
なんてなんにもないかもしれないじゃないか!
むしろ取り越し苦労って言うか、期待し過ぎっていうか、いやいや誰も期待なんかしてないですけど?
楽しみにしてなんかないし、どっちかってえと不安って言うか、ドキドキって言うか。
いや、嫌じゃない、決して嫌じゃないけどだからってOKカモーンって訳にはいかないだろうが、なんせなにもかも初めてなんだから!!
辺り憚らずウガーッと叫びそうになる衝動を危うく堪え、若干身体を引いて気味悪そうに眺めるたしぎに無駄に笑顔を振りまいた。





明らかに一日中挙動不審だったサンジは同僚の保育士達にからかわれながらも、なんとか業務を終えて帰路に着いた。
さてこれから、ゾロの誕生祝いの宴の準備である。
メニューは一週間前から決めてあるし、仕込みもすませた。
ケーキだってばっちりだ。

もちろん、不測の事態に備えて気構えもできている。
なにがあっても、がっかりしない。
24時間365日、いつでも出動できる体勢でいなきゃならないゾロだから、それに付き合うサンジだってそれなりの心づもりはしてあった。
約束を反故にされたりドタキャンされたり予定が立てられなかったり。
いいムードになったところで「はいそれまで!」といきなり仕事モードに切り替えなきゃならないことだってあるだろう。
そういう展開はあれこれ想定しているけれど、今のところそんな事態には一度も陥っていない。
実に順調だ。
だからこそ、いつか落とし穴があるんじゃないかと戦々恐々としている。
例えば今夜、ゾロの誕生日を祝って一緒に食事を楽しんで。
アルコールが入った時点でちょっといいムードになって、は、はははははははは初めてのアレコレをいざ、イタそうとする直前に
まさかの救急連絡とか!
あり得る!あり得るから、絶対ないとは言い切れないことだから、だから最初から期待なんてしないのだ。
いや、別に期待とかしてないんだけども――――

本日何度目かの脳内迷宮に陥ってグルグルしていたら、ピンポーンとチャイムが鳴った。
はっとして顔を上げれば、もう7時だ。
ゾロとの約束の時間。
「はい、はいはい・・・」
慌てて火を止め、周囲を確認してから玄関に向かう。
いくら浮かれているからって、ゾロ登場とともにクラッカー鳴らしたり電気暗くして留守を装ってからのサプライズとか、そっち方面は
なしの方向だ。

「いらっしゃい」
「こんばんは、お邪魔しま・・・あーいい匂いがする」
ゾロは開口一番そう言って、勝手知ったるという風にドアに鍵をかけチェーンをしてから上がってきた。
なんとなく、ゾロに退路を断たれたようでドキドキする。
いや、退路ってなんだよ。

「お、美味そう」
「まだ準備の最中だからな、座って待ってろ」
テーブルにあらかじめ並べられた料理を目にして、ゾロはガキみたいに嬉しそうな笑顔を見せた。
それだけで、サンジまで胸いっぱいになってしまう。
ゾロの顔を見て声を聴いただけで身体も心もあったかくなるような気がするのは、なぜだろう。

「今日、仕事だったのか?」
「おう、非番なんだが日勤が入った」
「ってことは、明日は24時間勤務?」
「いや、明日は週休日で明後日24時間勤務だ」
「ふ、ふーん・・・」
ってことは、ゾロは明日は一日ゆっくりしてられるのかー・・・
そう考えて、無駄にドギマギしてしまう。
そうか、ゾロは明日、ゆっくりできるんだ。
やっぱり自分も、明日休み貰えばよかったかなー・・・
いや、二人で揃って休んでどうすんだよ。
ってか、なに考えてんだよ俺。

「おい」
「はぅ?!あ、なに?」
「なんか手伝うか、冷蔵庫から出すか」
じっと待っているのも手持ち無沙汰なのだろう。
両手をポケットに突っ込んで所在なさげに突っ立っている。
大の男が二人キッチンに立つと、なんだか狭く感じられた。
「あー、んじゃ冷蔵庫から適当に出してくれ。ビールとか冷酒とか、好きなもん出して」
「ラッキー」
「あ、ケーキはまだだぞ。後でな」
「おお、相変わらずすげえの入ってんな」
今年、ゾロのために作ったケーキは洋酒をたっぷり効かせた食べきりサイズのモンブランケーキだ。
甘いものは苦手でチョコも好きじゃないなんて、我儘なゾロのためにそれなりに工夫した。
「よし、んじゃこれとこれ運んで。こっちも」
準備をしている間、頭の中はゾロで一杯だった。
余計なこともいろいろ考えて、時に袋小路に入り込んでスパークしそうなこともあった。
けれど、実際にゾロが目の前にいればウダウダ考えている暇なんてなくなる。
一人でいる時よりずっとずっと、いろんなことが捗る気もする。

「明日が休みなら、遠慮なく飲めるな」
「いつも遠慮なんかしてねえけどな」
「自分で言ってどうするよ」
この酒漬マリモ・・・と毒づいて振り返れば、驚くほど近い場所にゾロが立っていた。
背中から寄り添うようにぶつかって、お互いに動きを止める。
ゾロが、いつになく真剣な面持ちでじっと見つめてきた。
「・・・酔っぱらうかも、しんねえ」
「は?ザルのてめえが?」
なに言ってんの、と笑い飛ばそうとして失敗した。
喉が絡んで、かすれた声が出る。
「酔いが回ったら、泊まってっていいか」

――――き
きた。
きたきたきたきたキタコレ。

サンジはゴクンと唾を飲み込んでから、軽く咳払いをした。
「・・・お、おう」
その返事に、ゾロは満足そうに頷いて両手に持てるだけビール缶やら冷酒の瓶やらを抱えた。
「ようし、今日は思い切り酔うぞ!」
泊まってく気、満々かよ。
そう考えるとおかしくなって、背を向けたままひっそりと笑う。
もしかしたら、あれこれと色々考えてグルグルしてたのは俺だけじゃなかったのかもしれねえな。








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