翌朝早くから、コビーが迎えに来た。
昨夜も遅かったのに一切の疲れを見せず元気なものだ。
「聞き込みはどうだ?」
「はい、現場の堀川通り辺りではさっぱりですね」
時刻が夜分だったことと、若い娘の悲鳴や物音などが一切なかったことで、周辺に住む者も口を揃えて
気が付かなかったと言っている。
「さすが人斬りと云うべきか、驚いて声を出す暇もなかったってことですかね」
「或いは、親しい知り合いだったともいえるかもしれんな」
逢引の最中に突然斬られたら、やはり声を出す暇もなかっただろう。
「しかし、おコニの周辺を改めて調べ直してみましたが、浮いた噂はとんとないんですよ」
評判通り気立てが良く、身持ちの固い娘だったらしい。
「若い男と親しげに立ち話をしていたという証言もあったんですが、相手は人斬りではなさそうで」
「それはどんな男だ」
「一見強面で遊び人風だったらしいですが、おコニに向けた顔つきが優しくて二人並んでみている分には
感じがよかったと言ってます」
「もう少し聞き込んで、その男の素性も洗い出せ」
「はい」
とは言え、生半な武士でもあの刀傷は残せまいと思えば、やはり下手人は人斬りとしか決着がつかない。
「人斬りの方はどうだ」
「はい、あちこちの長屋なんかに聞き込みに出てるんですが、どうにも足取りがさっぱり掴めません。
まさに神出鬼没ってやつですね」
感心するコビーを、コーザは剣のある目つきでじろりと睨む。
「しかし、人を斬って商売になるような男だろう。依頼人の線は見当たらないのか」
「はい、それこそ依頼のために人斬りの伝を辿る者が入るはずなんですが、どうにもこちらの方が口が
堅くて・・・口利き屋もそこに出入りしていた者も、てこでも動かないくらい空っとぼけてます。人斬りに
恩義を感じてるんですかね」
「人殺しに恩義を感じてどうするんだ」
コーザは吐き捨てるように言い、渋面を作った。
「逆に考えると、人殺しを生業にしている様な者が、たとえ痴情の縺れでもたかが小娘を斬り殺したり
するものか」
「そこが、腑に落ちないとこですね」
番屋に着くと、手下の者がコビーに報告してきた。
「おコニですが、近々祝言の予定があったようです」
「なに?誰か婿に貰うのか」
「それが、廻船問屋江煉屋の後妻の口だったそうですよ」
「江煉屋か・・・」
コーザは眉を顰めた。
大店だが黒い噂が絶えず、南町同心のスモーカーが密かに調べていたはずだ。
「おコニほどの器量なら玉の輿も夢じゃないでしょうが、想い人が他にいたんなら話は別ですね」
生真面目な顔で、コビーが振り返った。
「空島屋は、主人のパガヤの人が良すぎて店はあまりうまくいって無かったって話です。おコニも苦労
してたんでしょう」
「そのおコニですが、昨日の内に番屋から直接寺に行って、もう埋葬したって話ですよ」
ヘルメッポが口を挟み、コビーは目を丸くした。
「もう葬式を済ませたんですか?」
「別に仏さんが傷む季節でもねえのに、えらく急いだもんだな」
それもまた腑に落ちぬと、コーザは懐手を組んで考え込んだ。
どうも、最初から何かが違っているような、ちぐはぐな感じがする。
「どちらにしろ、あの刀傷を見る限り人斬り以外下手人はいないのだろうから、人斬りを探すより他
あるまい」
そう口に出しながらも、心のどこかではそれが意味の無いことのように感じていた。
本当に、下手人は人斬りだろうか。
「人斬りのことは、もう瓦版屋が張り切って喧伝してますぜ。人斬りが堀川小町を斬ったってえ悪評が
立って、よく思わねえ輩が増えるたあ思うんですが」
「堅気の娘を斬り捨てるなんざ、男の風上にもおけねえな」
「それなら、その内人斬りについてもうちょっと詳しいことを話し出す者も増えるかも知れませんね」
コーザはしばらく黙って考えていたが、ふんとつまらなそうに息を吐いた。
「仕方ない、もう一度吉原に行ってみるか」
そう呟いたので、コビーの方が仰天して目を丸くする。
「三治太夫に会うんですかい?」
「人斬りの情報は、そこしかないだろう。太夫もゾロの名を認めていたのだから、しらを切り通せる
ものでもない」
「しかし、相手は大見世の太夫ですからね。下手に脅しても野暮天呼ばわりで出入り禁止になるんじゃあ」
「こちらは遊びに出かけてるんじゃない、仕事だ」
コーザに一喝されて、ヘルメッポはうへえと首を竦めた。
コーザとて、もう一度あの飾り物のような妖かしもどきと話をするのは気が進まなかった。
なにより、あの何を言っているのかわからないまだるっこしい話し方からして虫唾が走る。
しかし、人斬りが娘を斬ったと聞いたとき一瞬だけ、人形のような面が素の表情を見せたのだ。
太夫なりに、なにか思い当たるものがあるのかもしれない。
昼の内に吉原を訪ね、またエースの伝を頼りに座敷に上がった。
まだ客を取っておらず、思い思いに過ごしている遊女達を横目で見ながら茶屋を通り過ぎる。
「花魁、コーザ様がお越しでありんす」
途中から新造が案内し、すぐに奥へと引っ込んだ。
明るい部屋の中で見ても、三治太夫は相変わらず陶器のような滑らかな白い肌をして、ゆったりと煙管を
吹かしている。
昼日中だというのにそこはかとなく隠微な空気を纏っていて、やはりこういった類の人間は苦手だと
思わざるを得ない。
「おやコーザの旦那、またどうされんした?」
夕べ見たより鮮やかな色を放つ蒼い瞳が、婀娜っぽく流される。
コーザは鼻白みながら、素っ気無い仕種で太夫の前に座った。
「またお前と話がしたいと思って来ただけだ。悪いか」
太夫はふふふと、袂で口元を覆い妖しく笑う。
「嬉しいことを言ってくださんすねえ。それなら、花代をいただかないと」
「お調べだ。遊びではない」
ムキになって言い返すコーザに尚笑い声を立てて、太夫はすうと煙管を吸った。
「あちきを調べても、何も出てきいしませんよ」
「だが、何もせんよりはましだ。人斬りを捕らえねば死んだ娘が浮かばれぬ」
また太夫の顔がほんの少し強張った。
もしかしたら、根は優しい娘(?)なのかもしれない。
「その、無くなった娘さんと人斬りとは何か縁があったんでありんすか?」
なんでもない風を装いながら、それでいて緊張を隠せない声音で太夫が聞いてきた。
「調べている時点では、特に接点は見つからない。人斬り自体が霞のようなもので掴めんのだがな、
娘の方は親思いで気立ての良い一人娘だった。身持ちも固い」
太夫の金色の柳眉が痛ましげに顰められた。
よく見れば、端の方が面白い形に渦巻いている。
つい繁々とそこに見入っていたら、太夫が思いつめたように顔を上げた。
「人斬りが、人を斬るのは商売でありんす」
ふむと、コーザは黙って頷く。
「刀傷と言う証拠があるなら、斬ったのはゾロで間違いありんせん。ならば娘さんは・・・」
すうと蒼い瞳が上げられ、正面からコーザを射抜くように見据えた。
「娘さんは、本当にその御人でありんしたか?」
「なに?」
すぐに意味は掴めず、コーザは太夫の顔をしかと見た。
睨み返す形になって、太夫の方が嫣然と目元を和らげながら視線を外す。
「ただ、人斬りは金にならぬことをせぬのにと、思うただけでありんす」
最後は独り言のように呟いて、三治太夫は白い項を見せるように俯いた。
早々に吉原を後にし、コーザはコビーを伴って番屋に戻った。
「昼間に明るいとこで見ても、やっぱり信じられないくらい綺麗な花魁でしたねえ」
まだ夢から覚めないような顔をして、コビーはため息をついている。
もうこいつを連れて行くのは止めておいた方がいいかと思いつき、用が無いなら二度と行くところでも
ないだろうと己を叱咤する。
「空島屋に寄るぞ」
「え?パガヤには手下をつけてますが」
「私が行って、直に話したい。先に店を覗いてみるか」
堀川通りに向かうと、店はすでに看板も外され小間物屋だった名残も見えないほど、綺麗に片付けられていた。
「手際が早すぎるな」
「パガヤはいるでしょうか」
コビーが先んじて暖簾が外された間口をくぐり、ちょいとごめんよと声を掛ける。
閑散とした帳場にちょこんと、パガヤが一人座っていた。
「はい、すみません」
「ああ、コーザの旦那がお話があるそうだ」
「はい、すみません」
コーザが顔を出すと、パガヤは板の間に下りて平伏した。
「そう、身構えるでない。どうしているかと思ってな、顔を見に来ただけだ」
「はい、すみません」
顔を上げないパガヤを見ながら、コーザは縁に腰を下ろした。
「店を畳むつもりか?」
「はい、どちらにしろ商売もうまくいってなかったんで。すみません」
「おコニがいない今、働く気力も失ったか」
「はい、すみません」
コビーはじっとパガヤの様子を見ていた。
元々そういう性分なのか、それとも哀しみが重過ぎて放心しているのかはわからないが、パガヤには
感情の起伏が見えない。
「時に、おコニはなぜあのような時刻に、表に出ていたのかわからんか?私の妻はおコニと親しくして
おったから、とても夜歩きをするような娘ではない、信じられないと言い張って聞かんのだ。
お前はどう思う」
「はい・・・」
パガヤは顔を上げたが、あまりに細い眼で表情が窺えない。
「私は寝つきが早い性質で、まったく何も知らずに眠っておりました。ですから、もしおコニが夜分に
出歩いていたとしても、気付かなかったと思います。はい」
すみませんと、消え入るように呟く。
「では、夜に出歩くような娘なのか?」
「いや・・・はい、わかりません」
「わからない訳ないでしょう、自分の娘のことなのに」
コビーが口を挟むと、パガヤは子どものように首を竦めた。
「妻はよほどおコニのことを、信用しておったのだろう。死んだのはおコニではないのではないかとまで、
疑ったがな。父親であるお前は、そうは思わないのか」
「・・・・・・」
細い眼の中で、かすかに瞳が揺らいだ。
「そう、ですね。おコニが死んだことが、嘘であったら・・・どんなにか・・・」
膝の上に乗せた両手が、小刻みに震えている。
パガヤはうっと呻いて顔を伏せ、肘で額を拭った。
「すみません、まだ、しっかりできなくてすみません」
「そうだな、なにせ一人娘を亡くしたのだ。気落ちするのも無理はないこと」
コーザは優しく宥めるように、パガヤの肩に手を置いた。
「死んだのが、おコニでなければよかったのにな」
「・・・・・・」
ぶるぶると、目に見えてパガヤの身体が震えている。
それを目の端に留めたまま、コーザは立ち上がった。
「邪魔したな、気を落とすでないぞ」
「はい、すみません」
震えながら頭を下げるパガヤを残して、コーザとコビーは店を出た。
「パガヤから、眼を離すな」
「はい」
そのままコビーだけ残し、番屋へと戻る。
番屋で留守番をしていたヘルメッポが、コーザの顔を見て腰を上げた。
「南町で、動きがありやしたぜ」
「どうした」
手下が煎れてくれた熱い茶で掌を暖めながら、腰を落ち着ける。
「今朝話していたおコニの輿入れ先、江煉屋に手入れがありました」
「・・・なんと」
スモーカーが念入りに下調べをしていたはずだ。
証拠が固まったのは間違いないだろう。
「抜け荷の罪で全員御用でさ。結果的におコニは、どう転んでもついてなかったてえ話ですな」
「死んで災厄を逃れたって話にゃあ、なりませんなあ」
同調する手下の隣で、コーザはふと手を止めた。
「いや、そうかもしれん」
「―――は?」
ヘルメッポは怪訝そうな顔でコーザを見上げた。
「検視をしたのはちょぱ庵だったな」
「はい、堀川長屋に住む腕のいい医者ですよ」
「死んだおコニやパガヤとも親しかったと聞いてますが」
「ちょぱ庵以外、おコニの亡骸を調べたものはいないのか?」
コーザはぐるっと番屋の中を見渡した。
手下達も顔を見合わせて、それぞれ首を振っている。
「なんせ若い娘っ子の死体でしたからね。すぐに父親が飛んできましたし、すべてちょぱ庵先生に
任せてました」
「でも、葬式の前に長屋のおかみさん連中が綺麗にしてやったんじゃないですか?」
ヘルメッポの言葉に、手下が首を振った。
「番屋から直接寺に行ったと言ったのは、ヘルメッポさんじゃないですか」
「あ」
ぺちんと額に手を当てたヘルメッポの横で、コーザはぐいと茶を飲み干すと立ち上がった。
「ちょぱ庵の元に行こう。話が聞きたい」
さっさと歩き出すコーザを追って、ヘルメッポは駆け足で番屋を後にした。
長屋の外れに居を構えたちょぱ庵に医師の姿は無く、仕方なくパガヤが住む長屋へと足を向ける。
パガヤについていたコビーが、十手を抜いたまま渋い顔をして長屋の前に立っていた。
「コーザ様、えらいことです」
「どうした」
開け放たれた戸口から中に入ると、土間の梁に荒縄が吊られ、大きな輪っかが形作られていた。
揺ら揺らゆれる縄の向こうで、三人の者が平伏している。
パガヤと巨体のちょぱ庵、そして―――
「お前は!」
その中に若い娘の姿を見つけて、コーザは鋼のような声でぴしりと言った。
「空島屋のおコニに相違ないな」
「・・・はい、申し訳ありません」
初めて見た生きたおコニは、震えながら畳に頭を擦り付けた。

