みかけない人だね。
旅の途中かい?
こんななんにもない島に、観光でもあるまいに。

え、腹が減った?
安くて美味い店はないか?
それならあるよ。
なんにもない島だけど、安くて美味い店ならある。
この道を真っ直ぐ、海沿いに歩けば小高い丘のところに小さな店が立ってる。
それしかないから、間違いようがないさ。

昔は婆さんが漁師相手に細々と営んでいた飯屋だったけど、今はちょっと洒落たレストランになってるよ。
ああ、そこの飯は美味い。
俺らだって、家に帰りゃ古女房が変わり映えのねえ飯を食わせてくれるけどよ、そこで食うのはちょっと違うんだ。
ほんとにちょっと、“特別”にな。
朝起きて仕事して飯食って寝るだけの毎日だけどよ。
ほんのちょっとした“特別”な日に、あそこで飯を食うんだ。

女房がヘソ曲げて弁当作ってくれない時とか、あそこに連れてって飯食わせてやりゃあすぐに機嫌を直すさ。
他所の島に働きに出てる息子どもも、帰ってきたときにあそこでちょっと宴会すりゃあ、このまま島に残ろうかなんて
心変わり起こしそうになる。
勿論反対するけどよ。
他所でがっぽり稼いでうちに送ってくれなきゃ、こっちがおまんまの食い上げだ。

まあそりゃいい。
そりゃいいとして、あの店は俺らにとって“特別”なんだ。
“特別”で“贅沢”なのに、そんだけ身構えなくていい。
なんせ安いんだから。
だから俺らは大事に大事に、あそこで飯を食うのさ。

あんたもあそこで飯を食うなら、大人しく行儀良く食わなきゃなんねえぞ。
なんせ下手すっと蹴り飛ばされるからな。
ほんとだぜ。
蹴られた奴あ、見えねえとこまで飛んでいくんだぜ。
蹴られるのは野郎だけだがな。
しかも“女”って区別さえあれば、天と地ほどに待遇に差がつくんだ。
俺らには無愛想なのに、うちの古女房でさえ恭しく、どっかの貴婦人でも招いたみたいに丁重に接待するんだぜ、
あそこの店主は。
十にも満たねえガキでも、皺くちゃの婆さんでもよ。
ほんとにそんな扱いが似合うような娘は、こんな辺鄙な島にゃいねえのによ。

極端なんだよ。
んでもって、短気で凶暴なんだよ。
だが飯は美味い。
んでもって安い。
ちょっと“特別”な気分になる。
最高さね。



ああそうだ。
あそこで食事するなら、言葉は無用だぜ。
メニューも毎回3種類しかねえから、その中から選ぶといい。
なんせ、何食ったって美味いから、ハズレはねえよ。
メニューの頭に色がつけてある。
赤・青・黄色、いつもその3色さ。
自分が選んだ色の旗を、テーブルの上に立てればいい。
それで店主はわかる。
そうしてやんな。

後は黙って味わえばいい。
そりゃ、美味えんだから。
毎日・・・とはいかねえが、毎週食ってても飽きねえんだ。
あんたも腹いっぱい食ってくるといい。
腹が減った奴には、惜しみなく食わせてくれるから。

ただし、くれぐれも蹴り飛ばされないように、気をつけな。
























鍋一杯のピストゥーを掻き混ぜて、味見をした後ウンウンと一人頷いてみる。
うん、野菜の旨みがよく出てる。
今日のスープもイチオシだぜ。
昨日マリオに貰った子兎のコンフィと、ダズリーに貰ったかさごでポワレを作って・・・、マダム・マリーがくれた洋なしは少々
柔らかかったからローストしてと―――
頭の中でメニューを組み立てながら手早く仕込みを済ませ、テーブルセッティングに移る。



古ぼけた小さい店ながら、やっと構えた我が城だ。
辺鄙な田舎の孤島なのに、毎日誰か彼かが来てくれて、客足が途絶えることはない。
最近は島以外からも、噂を聞き付けて足を運んでくれる人もでてきたが、あまり忙しくなっては一人で手が回らなくなるから、
今くらいがちょうどいい。

小さな市場で仕入れる食材より、村人からの貰い物の方が多いのもありがたかった。
つい捨ててしまうような野菜くずや商品にならない魚なんかも、きちんと調理してご馳走に生まれ変わらせる。
そんな料理を村人達は心から愛し、喜んでくれている。

―――俺の居場所は、ここにあった
海以外何もない、小さな小さな島だけど。
ようやく見つけた安住の地で、サンジはやすらかな気持ちで波の音に耳を傾ける。






かつての仲間達は、今もこの広い海のどこかで、信じられないような冒険を繰り広げているのだろうか。
それとも、それぞれの夢を叶えただろうか。
あの頃の笑顔のままに、笑っているだろうか。
何かを失って、誰かが傷付いて、それでも前を向いて歩み続けているだろうか。

サンジはタバコを咥えたまま、店の外に出て岬に佇み、海を見下ろした。
雲は茜色に染まり、まもなく漆黒の闇を連れて来る。
日の入りと共に眠りに就くこの島では、街の灯りは滅多にない。
だからサンジは、夜になるとまるで陸の灯台のように外灯を煌々とつけて、食事を楽しみに来る村人や
旅人のために店を開く。

一人で全てを賄うには、ランチとディナーの時間帯を決めるだけで精一杯だけれど、誰かが腹を空かせて
扉を叩いてくれるなら、いつだって食わせてやるのだ。
それが、自分を受け入れてくれた村人達への恩返しだとも思って。


薄紅色の中空に白い月の姿を認めて、サンジはタバコを揉み消すと店の中に入った。
今夜は月が綺麗な夜になりそうだ。
思い出すと、まだほんの少し苦くて痛い。




毎日が光に満ちていた、冒険の日々。
共に夢を追い続けた仲間達。
美しく聡明な女神のごときレディも一緒だったと言うのに、何故かいつも最初に思い出してしまうのは
むさ苦しい緑頭だ。

いつも尊大で横柄で馬鹿にしたような口調で、すぐに人をからかうくせに、最後には本気で喧嘩を売って
くるようなガキ臭い男だった。
そのくせ、見た目はおっさんで口数も少ないもんだからパッと見仲間内からも恐れられていたようだけれど、
蓋を開けてみればただの単細胞野郎だ。
何かにつけて絡んできやがって、口で適わなくなると刀抜いて斬りかかってくるなんざ、一歩間違えたら
犯罪者じゃねえか。
それに対等に歯向かってた俺も俺なんだけどよ。

気がつけば知らない内に一人笑いを零していて、サンジは慌てて表情を引き締めた。
しまった、また思い出しちまったよ。
どうせなら、ナミさんやロビンちゃんの見目麗しいお姿ばかり、リフレインしたらいいのになあ。






月の綺麗なこんな夜は、どうしたってあの男のことばかり浮かんで来る。

波の音に包まれながら、ぎこちなくお互いの熱を分かち合った、あの夜のことも―――














Whispering

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