
ゾロは残業プラス寄るところがあると言うので、サンジだけ定時に帰宅した。
ロンリン企画は少人数な会社で、雰囲気もアットホームで働きやすかった。
現場では支持されて動くだけで、多少の力仕事も他の人と一緒に担ぐからまったく苦ではない。
物の名前を知らずに戸惑ったことが申し訳なく、明日はもっとテキパキ動こうと決意を新たにする。
同じく定時で引き上げた女性社員とは、駅まで一緒に歩いて夕食の献立なんかを話していた。
やはり冬は鍋に限るねと同意しつつ、鍋にするなら土鍋欲しいなと思ってしまった。
いつまでもゾロの元に身を寄せている訳にもいかないから、余計な買い物は自重する。
――――今夜は、夕飯いらないかな?
打ち間違いを恐れて、ゾロからのLineにはスタンプでしか返していない。
戻って来てからでも、なんでも作れるようにと材料だけ揃えておいた。
ゾロが戻って来たのは10時を過ぎた頃だった。
出勤した時と服装が違うし、かすかに石鹸の匂いもして「お、おおお?」と思う。
内心ドキドキするのを隠して、わざと素っ気なく訪ねた。
「飯、どうする?」
「飲んできたが、なんか軽く食いたい」
「じゃあ、リゾットでもしようか」
「なんでもいい」
なんでもいい、と言われると反射的にむっとしてしまう。
サンジの表情を読み取ったか、ゾロは敢えて付け足した。
「お前が作るもんは大抵美味いから、なんでもいい」
「・・・ならいいよ」
機嫌を取られたようで、これはこれでちょっと癪だ。
パジャマに着替えたゾロは、サンジが買い足したビールを冷蔵庫から持って来てプシュっと封を開けた。
「あんま、飲み過ぎんなよ」
「ああ」
注意してから、しまったと思う。
ゾロにしたら、余計なお世話だ。
親切心で家に住まわせて貰ってる立場なのに、食生活や交友関係に口出しをしてはいけない。
そう考えていたら顔に出たのだろう、ゾロが怪訝そうに目を眇める。
「どした?」
「や、なんでも」
「腹でも痛いのか?」
思わず、ぷっと噴きだしてしまった。
そう来るとは、思わなかった。
「違うよ、ただ、遠慮してんだ」
「ああ?」
サンジはそっと息を吐いた。
厚かましく居つかせてもらっておいて、土鍋買おうかなあなんて暢気に考えていた数時間前の自分を蹴り飛ばしたい。
「家に住まわせてもらってる居候なんだから、俺のことは気にしないで自由にしてくれよ。その、レディとだって、会う時間必要だろ?」
ゾロはきょとんとした。
それから「ああ」と納得したように深く頷く。
「なんだ、俺が女と会って来たとでも思ったか」
ストレートに指摘され、サンジは慌てて否定した。
「違ぇよ、ただ、俺がいるせいであんたに気ィ遣わせると嫌だなと思っただけだ」
「それこそ気にすんな、お前がいようがいまいが、俺の生活ペースが崩れるこたァねえ」
それより風呂入って来いと急かされ、サンジはそれ以上しつこく言うのも憚られて風呂に入った。
ゾロはシャワーを浴びて来たから、風呂そのものに入る気がないのかもしれない。
生活習慣上、サンジもその気になれば10分も掛からずに上がることができるが、ゆっくり入れる状況ならばこうして長く風呂を
楽しめるのは最高の贅沢だ。
そう思いつつ、また風呂から上がったらゾロが寝てるパターンじゃね?とも思った。
あれだけ寝つきがいいのに、寝起きが悪いのはなぜなんだろう。
風呂から上がったら、サンジの予想に反してゾロはまだ起きていた。
食器を洗ってテーブルも片付けたようで、キッチンがすっきりしている。
「まだ起きてるって珍しい」
「ああ、ちょっと夜遅くなるかもしれねえが、こっち来い」
ゾロはノートパソコンを開いて、サンジをちょいちょいと手招いた。
「猫じゃねえっての」
文句を言いつつ近付いたら、椅子に座れと促された。
「お前、パソコン使えねえっつうだろ?」
「ん、ああ」
いきなりウィークポイントを突かれてしまった。
職場が変わるごとに尋ねられ、使えないと正直に答えると落胆される。
あからさまに馬鹿にされるより堪えた。
言葉にしなくとも「若いくせにパソコンの一つも使えないとは」と無能の烙印を押され続けている。
「使えねえってのはつまり、使ったことがねえからだろ?だから、これ使って練習しろ」
「え?」
「まるっと、なんもしらねえ素人だと思って、俺が教える」
サンジはパソコンとゾロの顔を、交互に見比べた。
「いいの?」
「いいから言ってんだ。それは古い方だから、家に置きっぱにしとく。自由に使っていい」
サンジの練習用にしてくれるらしい。
「いいのか?エッチな画像とか、ねえ?」
「ねえよ」
椅子を並べて、ゾロが隣に腰を下ろす。
「まず起動の仕方からだな」
肩が触れるほど近くに身を寄せて、あれこれと説明を始めた。
サンジは、感激で胸がいっぱいになった。
自宅に寝泊まりさせてくれ、サンジが作った飯を食べてくれて、しかもこうしてパソコンの使い方まで教えてくれる。
赤の他人どころか親戚にさえ、こんな風に無条件に親切にされたことなどない。
こんな優しい人に、どうしたら恩返しができるだろう。
感謝の気持ちの表し方がわからない。
「おい、ぼうっと聞いてたって覚えられねえんだ、ちゃんとメモを取れ」
「あ、はい」
慌ててチラシの裏に、手作業を全部逐一メモしていく。
説明書を読むより、実際に自分でやってみて手順をメモする方が断然わかりやすい。
しかもゾロは、実務に必要な情報だけ先に教えてくれた。
パソコンを打つことに慣れれば、その内余裕ができて他のこともわかるようになるらしい。
「滅多なことじゃ大事なデータが全消しなんてことにならねえから、あちこち開いて試して見りゃいいんだ」
「そうなの?ってか、ボタン一つで全部ぱーとか、ねえの?」
「ねえよ」
消したつもりでも拾えると、ゾロがごみ箱の中を見せてくれる。
「ただし上書き、てめえはダメだ」
「え?なになに」
サンジは生真面目に、全部メモに取った。
乱雑な走り書きだが、後でまとめてきっちり清書しよう。
使いながら復習すれば、いまよりきっともっとわかるようになる。
言われたことを一生懸命なぞるサンジを眺めながら、ゾロがぼそっと言った。
「お前、頭の回転が速くて良く気が付く評判いいぞ」
「え?誰が?ってか、俺が?」
ここまで来ると、もう担がれてるんじゃないかとしか思えない。
「そんなこと、初めて言われた」
「なんでだ、見てりゃわかるじゃねえか。一言えば十わかるって褒めてた。大体、家で料理してる姿見て俺にもわかったぞ。
段取りがいいし、手際が良くて合理的だ」
「だから、そんなこと初めて言われたって」
褒められ慣れていないせいで、どんな顔をしていいかわからない。
サンジは戸惑い過ぎて逆にゾロに怒ってしまった。
「馬鹿なこと言ってねえで、次、どうすんだよ」
「キレるなよ」
「キレてねえよ!」
泣きたいほど嬉しいのに、気持ちと態度が裏腹でグダグダになってしまう。
なのに、ゾロはなぜか楽しそうに笑っていた。
たった3日間だけのバイトだったが、ロンリン企画での仕事は楽しかった。
一緒に働かなくとも、身近にゾロの存在があったことが心強かったのかもしれない。
会社の人たちも皆気さくで、腰掛けのバイトだからと区別せず、サンジができることを遠慮なく投げてくれた。
「また、ピンチの時はぜひ助っ人に来てくれよ」
「バイトじゃなくて、来年正社員受けない?」
最終日に、そんな優しい言葉も掛けてくれる。
お世辞さえ言われ慣れてないから、サンジはますます恐縮して初日よりカチコチに固まってしまった。
――――これって、社交辞令ってやつだよね。
バカにされ、罵倒されるのが常だったから却って居心地が悪い。
救いを求めるようにゾロを見たら、苦笑していた。
サンジの気持ちは、理解してもらえたらしい。
「情ねえ面してんな、猫の手ぐらいにゃ役立ったんだよ」
「猫の手なんて、とんでもない」
ベテランOLが声を上げた。
「毎日きちんとゴミを片付けて帰ってくれるし、いつの間にか給湯室が綺麗になってたのよねえ」
「箱を持って歩いてると、必ずドアを開けてくれて」
「奥のファイル、分類してくれただろ。見やすくて助かる」
次々と声が上がり、サンジはたじろいでしまった。
こんな展開、夢でもみない。
「また、よろしくね」
上司にそう言われて、サンジは半ば呆けたようにただ頷くしかできなかった。
夢だったんじゃないかなーと、狐にでも摘ままれた気分だ。
三日間とは言え楽しい職場で精一杯働いて、優しい言葉もかけて貰えた。
帰路に着く時も妙に足元がフワフワして、現実感が乏しい。
「お前、大丈夫か?」
先を歩くサンジの足取りが怪しいせいか、ゾロも心配してきた。
「大丈夫、でも夢みてえ」
「大袈裟だな」
「そうかな、・・・ん」
そうかもな、とサンジは思う。
もしかしたら、今のこの生活が普通の人にとっての「当たり前」なのかもしれない。
でもサンジにとっては、まるで夢みたいなひと時だ。
「なあ」
「ん?」
フワフワ気分のまま、サンジは振り返った。
傍らにゾロがいることが奇跡みたいだ。
「明日、休みだから買い物にでも行くか」
「お、おう」
今度の土日は、ゾロも休みなのだと聞いた。
「じゃあ明日は、ゆっくり休めるな」
「ああ」
そうか、それは嬉しいな。
サンジの胸はふわふわからドキドキに変わった。
初めて、ゾロの部屋で休日を過ごす。
目覚まし時計の役目はいらないらしい。
ということは、自分もゆっくり朝寝坊してもいいのだろうか。
そして、ゾロと二人で買い物に出かける。
想像しただけで、心がうきうきした。
もしかしたら、土鍋が買えるかもしれない。
もしかしたら、小ぶりなフライパンも。
でも、サンジが家を出たら用無しになるようなものはだめだ。
ゾロ一人でも使える道具を。
いや、その内彼女が出来たら使えるものを。
そう遠くない未来を想像して、浮き立つ気分が急速に萎んでしまった。
一体どういう、ことだろう。
一人で暮らしていた時は、寂しくて貧しいながらも生きるのに必死で、こんな風に心乱れたことはなかった。
今はあの頃よりずっとずっと幸せで満ち足りているはずなのに、心が揺れる。
なぜだろう。
「どうした」
サンジの変化に目聡く気付くゾロが、また声を掛けてきた。
ゆるゆると首を振り、確かめるように振り返る。
「明日は、起こさなくていいか?」
「ああ、お前もゆっくり寝ろ」
そう聞いて、少し安心した。
まだ、自分の役目はちゃんとある。
明日と明後日は、その役目が休みなだけだ。
元々目覚まし時計を使わなくとも、朝が来れば自然に目覚める性質だった。
結局、いつもと同じ時刻に目が覚める。
土曜の早朝は静かで、夜が明けきらず暗かった。
自動車が通る音も聞こえない。
薄闇の中むっくりと身体を起こし、首を伸ばしてベッドの上を見た。
ゾロは相変わらず、仰向けでぐうぐうと寝息を立てている。
ゾロが眠るベッドに凭れるようにして、毛布と布団に包まって休むのが常だ。
カーペットもふわふわだし、手足が伸ばせるしとてもよく眠れる。
―――まだ、起きなくていいのに。
二度寝を楽しもうと思いつつ、ついゾロの寝顔に見入ってしまった。
目を閉じて、眉間に少し皺を寄せ、それでも穏やかな寝息を立てている。
特に会社にいる時は年嵩に見えるが、こうして目を閉じていると年相応に若々しい。
日に焼けて引き締まった肌、シャープな顎。
筆で描いたようなすっきりとした眉に、切れ長の瞳。
イケメンだなあと、しみじみ思う。
ベッドに肘を乗せて、サンジはしばし見惚れた。
若くて、大会社の御曹司で。
こんなにカッコよくて逞しいのに、きっとレディにモテモテなんだろうに。
なんの気まぐれか、自分なんかを拾ってくれた。
寝泊まりさせてくれただけでなく、短期間とはいえ雇ってくれて、しかもパソコンまで教えてくれた。
親切という言葉で片付かないほどの恩を受けてしまった。
一体どうやって恩返しをしていいのか、見当もつかない。
それなのに――――
トクンと、心臓が小さく鳴る。
それは耳元でトクトクと鼓動を速め、やがてサンジの心にも届いた。
ああ
俺は、ゾロが好きなんだ。
唐突に気付いた。
気付いてしまった。
俺はゾロが、好きなんだ。
サンジは息を詰め、食い入るように眺めていたゾロの寝顔から目を逸らした。
どうしよう。
そう考えてから、いいやと首を振る。
どうしようじゃない、どうにかしたらいけないんだ。
なにもしちゃいけない、どうにかなったらいけない。
この気持ちに蓋をしなければ、知られたら嫌われる。
親切にされて優しくされて、ゾロにとっては他愛もないことが自分には泣きたいほど嬉しくて。
それでのぼせ上ってしまったのだろう。
勘違いしちゃいけない。
きっとゾロは、誰にでも優しい。
調子に乗っちゃ、いけないんだ。
サンジは歯を食いしばって、震える手で拳を握る。
悟られたら、もう傍にいられない。
きっと嫌われてしまう。
だからそっと心に蓋をして、叶うならもう少しゾロの傍に。
夜明けを迎えても、まだ外は暗い。
しとしとと、雨の降る音が聞こえた。
優しい雨音に包まれて、サンジはただ黙ってゾロの寝顔を見つめていた。
