格闘さながらの激しさでもって久しぶりの交歓を果たし、事後の一服を楽しむ頃には白々と夜が明けていた。
ゾロは普段喫煙しないが、セックスのあと気まぐれにサンジの煙草を吸うことがある。
ぼんやりと煙草を吹かすゾロの横顔を眺め見るのが、サンジは好きだ。
「・・・なあ」
「ん?」
「クロコダイルのとこで、俺が着くまでなにしてたんだ?」
「ああ」
サンジはすみれの身を案じるあまり、単身飛び込んだバロックワークスの社長室でようやくゾロからの連絡を受けた。
携帯越しにサンジの声を聞いて無事だと安堵はしたが、それでも実際に顔を見るまではゾロとて落ち着かずガラにも
なく焦ったものだ。
「なにって、普通に世間話?あと、流行のスイーツとか―――」
「・・・なんでそういう真似事ができるんだ」
相手は泣く子も黙る鰐淵組の組長で、新参者とはいえ裏の社会でも大いに警戒されている要注意人物だ。
それが、どこの馬の骨ともわからぬ若造が懐に飛び込んで世間話もクソもないだろう。
「だってよ、なんせすみれちゃんのことが心配で夢中だったし、ちょっとでも手がかりあるならってワニの名前しか
出てこなかったんだから仕方ないだろ」
サンジとしても、すみれ誘拐の黒幕がそのまんま鰐淵組だとは思ってはいなかった。
むしろ話がうまく進みすぎていると気付いていた。
だからわざと罠に掛かったふりをして、単身で乗り込んだ。
「俺一人だから組を巻き込むことにはならねえって思ったんだ。今だからわかるけど、クリーク組は霜月組ごと鰐淵んとこに
殴りこみに行かせるつもりだったんだろ?だったらうまいこと、裏掻いたことになるじゃん」
まさか、人質に取ったはずの“女”自ら敵地に乗り込むとは、予想だにしなかっただろう。
「あくまで結果論だ。あんな敵の巣窟に一人で乗り込むなんざ、正気の沙汰じゃねえ。無事だったからいいものの、本当なら
なにされてっかわからねえぞ」
「別に、なんもなかったぞ」
サンジはきょとんとして答える。
この無防備さが、ゾロは心配で堪らない。
「・・・ほんとに、なにもなかったのか?」
疑いたくはないが、ゾロは今後のためにも追及の手を緩めなかった。
「妙なこと、されてねえだろうな」
「妙なことって?」
喉の奥で笑いを堪えるような、軽い返事が気に食わない。
「ワニの野郎に、てめえで“俺の女”だと名乗ったんだろうが。普通の野郎より・・・そうだな、色眼鏡で見られっだろ?」
ゾロが、らしくなく言葉を選んだか歯切れの悪い物言いをするのがおかしくて、サンジは灰皿に吸殻を揉み消しながら
逞しい腕に凭れかかった。
「そりゃあな、“女”だって手の内明かして飛び込んだ方が向こうの警戒も緩いじゃん。ちゃんと服脱いで丸腰だってのも
アピールしたし」
「・・・あ?」
ゾロの声が一段低くなったのに、サンジは気付かない。
「いくら俺が『怪しくありません』つったって説得力ねえだろ?だから武器持ってないって証明しねえと」
「・・・どうやって」
「だから、社長室にでっかい机があった訳よ。そりゃあ頑丈でちょっとやそっとじゃ壊れそうになかったからその上に
寝そべって、シャツ肌蹴けてベルトも緩めてナイフも銃も持ってないって見せて。んでもパンツ脱がされる前に話が
逸れたしよかったなーって」
「――――・・・」
ゾロの瞳が剣呑な色を帯びて眇められたが、サンジは一人で思い出し笑いしている。
「確かめるつもりか脇腹探ってくっからさ、その手が硬くて冷たいんでやんの。だから、義手かって気付いたんだ」
そう言って、得意げにゾロの見る。
「俺の祖父さ、すっげー頑固ジジイなんだけど義足なんだ。だから、義手なのに気付いたらなんか急に親近感
沸いちゃったりして」
「・・・」
「身体の一部を失くすって、やっぱきついもんじゃん。身体的にも精神的にも。あの、失くしたあと何度でもじわじわと
沸いてくる喪失感とか。それに幻肢痛もあるし、そういうの話したらワニも乗ってきて・・・」
この物怖じしない喋りで引き込んだのだろうか。
うっかりサンジのペースに乗せられるクロコダイルを想像できなくもない。
「んでその後、甘いもんの話で盛り上ったりしてさ。夜の大事な取引物が“白い粉”だって言うじゃね?そんなら、
どうせならちゃんとした粉モンでスイーツ作ってやるよって話になって」
ゾロが到着した頃には、すでに夜の予定は変更されていた。
それどころかすっかり意気投合した様子の二人に、唖然としたものだ。
「急いで作ったからいまいち不安だったけど、味大丈夫だったかな」
心配する点はそこか!
どこまでも暢気なサンジに、ゾロの中で一瞬湧き出た苛立ちもすぐに萎んだ。
これだから、ますます目を離せない。
実際、無茶な行動とは言えサンジが動かなければここまでうまくコトは運ばなかっただろう。
ゾロや雅が動けば、すなわち霜月組の動きになる。
秘密裏に単身で乗り込んでも、クロコダイルがまともに応対する訳がない。
お互い疑心暗鬼で一触即発の状態になっただろう。
この交渉は、サンジでしか成し得なかった。
クラブでもホステス達と関係を密にし、細かなことにも気を配って動向を察知していたからこそ立ち回れた故だ。
その手腕は認めざるを得ないが、表立って褒めたりはしない。
サンジを、これ以上危険なことに巻き込みたくはないのだ。
ゾロの想いを知ってか知らずか、サンジは自分がどこまで大それたことをしでかしたのかにまで想いを馳せず、まるで
猫みたいにゾロの身体に懐いていた。
裸の胸に頬を擦り付け、醜く引き攣れた傷跡に指を這わす。
なぜこんなに大きな傷があるのか、サンジは聞かない。
左目のことも、ゾロの家族のことも、生い立ちも、組のことだって必要以上のことは尋ねて来なかった。
これ以上サンジを深入りさせないためにも、聞かれても応えないつもりでいたが、その一方でもう二度とサンジを
手放せないと自覚したゾロは、大きな矛盾を抱えたままだ。
サンジは両手を伸ばして、ゾロの顔を挟んだ。
つるりとなだらかな頬骨を指でなぞり、伸び上がって顔を近付ける。
片方だけ覗く、薄い灰色がかった青が至近距離からじっと見つめた。
それから、どこか神妙な手付きでゾロを引き寄せ、軽く目を閉じて閉じた左目にキスを落とす。
「・・・ゾロも、辛かったな」
「―――・・・」
「右目と同じくらい、綺麗な瞳だったんだろう」
―――ゾロの両目、見たかったな。
そう呟いて、また唇を押し付けた。
とても大切でとても愛しい。
言葉はなくとも伝わる想いが、ゾロの左目を熱くさせた。
サンジには、不思議な顔がある。
普段はガサツで口も足癖も悪くて世間知らずの甘ちゃんだと心配になるばかりなのに、ふとした拍子に見せる慈愛に
満ちた表情は何者にも犯され難い清冽さを秘めていた。
それはなぜかとても清らかで、尊い。
激しい情交の痕を身体に刻み付けたまま無垢な微笑を見せるサンジに、ゾロの頭の中には勝負をした訳でもないのに
「降参」の二文字が浮かんでいた。
「エンジェ辞めちゃうの?いやだー」
すみれが声を上げ、他のホステス達も追随するようにそれぞれに抗議の声を上げた。
「なんですか、子どもみたいにみっともない」
ママが毅然と叱咤するも、いつもは慎ましやかな撫子や百合子までが嘆いてみせる。
「エンジェがいてくれたお陰で仕事にも張りが出たのよ」
「そうよ、エンジェったら優しいし見てるだけで和むしお夜食は超美味しかったしー」
「エンジェ目当てのお客さんだってたくさんいますよ」
ホステスどころか黒服のスタッフまでやいのやいのと騒いだが、ママのひと睨みで途端に静かになった。
「すみません勝手言って。でもありがとうございます、短い間でしたがお世話になりました」
サンジは神妙な顔付きで深々と頭を下げる。
「ここでたくさん勉強させていただきました。これからは俺のやりたいこと、俺の目標のために頑張っていきたいと思います」
エンジェ自らこう宣言されては、ホステス達もこれ以上わがままを言えない。
「エンジェ・・・やりたことが見つかったの?」
「うん、今までありがとうね」
「エンジェは、ずっといてくれると思ったのに。もしかしたら香ちゃんの婚約者じゃないかって、噂してたのよ」
「え?俺が?」
思いがけない展開に、サンジの方が仰天して目を丸くする。
「そうよ、このお店の跡継ぎで迎え入れたんじゃないかって」
「まあ、若い男女が一つ屋根の下にいるんだから、色々邪推されるわよねー」
サンジの事情を知っている蘭子とすみれは、黙って思わせぶりに目を合わせている。
別れを惜しむホステスに揉みくちゃにされながら、サンジは改めてママにも礼を言った。
「無理なお願いをして、住込みまでさせてくれてありがとうございました」
「こちらこそ、毎日美味しいお食事をありがとう。でも、二度はないわよ」
「はい」
厳しい言葉にも笑顔で頷くサンジに、ママは懐から取り出した茶封筒を渡した。
「これは今日のお給金」
「え、ご挨拶しかしてませんよ」
「私からの餞よ、二度と戻ってこないようにおまじない」
サンジは苦笑して、ありがたくいただくことにした。
営業時間を迎えるからと、慌しく挨拶をしてクラブを後にする。
母屋から荷物を引き取り香にも挨拶をすると、相変わらず影のように寄り添ってるヒデの視線からは険が取れていた。
サンジが香の婚約者ではないとわかったからだろう。
それに気付いて、サンジは香にだけ聞こえるようにこっそり囁いた。
「やっぱり、ヒデは香ちゃんのことが好きなんだな。香ちゃん的にはその気はないの?・・・あ、や、もちろん、今は受験の
ことで頭がいっぱいだろうけど・・・」
それに、香は「う〜ん〜」と困ったような、どこかトボけた表情を返した。
「それについては、色々複雑なのよね」
「そう?」
「エンジェ・・・ううん、サンジ君と若頭さんみたいに同性同士だってこととはまた、違った複雑さ」
「そうなの」
よくわからないけれど、まだまだ若い二人のことだ。
事態が好転する日だって来るだろう。
ヒデの、寡黙だけれど直向な想いがいつか成就されるといいなと、密かに思った。
ヤスに荷物を任せて、最後のご奉公とばかりにトイレと母屋の水周りをざっと掃除する。
名残惜しく点検していると、軽やかなヒールの音がした。
「あ、やっぱりここだった」
「デイジーちゃん」
「いまヤスさんが蘭子ちゃんに捕まってるから、もうちょっと待っててって言おうとしたけど、エンジェが手持ち無沙汰で
いる訳ないよね」
そう言って、一緒に喫煙室に誘う。
「時間はいいの?」
「お仕事前の一服、今日はエンジェとお別れだからどうもみんな落ち着かなくて、ママでさえ変な感じよ」
言いながら煙草に火を点け、軽く吹かした。
「蘭子ちゃんに捕まってるって、どうしたのかな」
ゾロが手を回したらしく、もう蘭子に昔の男が付きまとうことも無くなったと聞いたはずだが。
「それがね、蘭子ったら傍にヤスさんがいないのがつまらないらしいの」
「へ?」
「本人は癒しのゆるキャラみたいなものって言ってるけど、あれは・・・あれね」
「あれが?・・・あれかぁ」
えー・・・と二人して顔を見合わせ、噴き出す。
「まあ、蘭子は前からダメンズ好きだったから」
「やーでもダメの方向が違うだろ、ヤスはダメダメだけど」
むしろ「いいところ」は一欠けらもないような。
・・・まあ、「人はいい」けれど。
「でも私思うのよ、どうせダメンズ好きならヤスさんみたいに優しい人のがいいんじゃないかって」
外見がよかったり要領がよかったりするだけの、金にも女にもだらしない男よりよほど・・・
「そうだね」
「蓼食う虫も、好き好きよね」
けっして侮蔑の響きはない、どこかいとおしむようなデイジーの声に微笑んで同意する。
サンジからも、時々は蘭子に会うようヤスにそれとなく言ってやろう。
サンジが言えばヤスは無条件にそれに従う。
一生賭けて蘭子ちゃんを守ってやれと言えば、きっと喜んでそうするだろう。
「ね、エンジェのやりたいことってなあに?」
細いメンソールを揉み消しながら、デイジーは尋ねた。
「え・・・っとね、俺大学辞めることにした」
「え?もう3年なのに?」
なんでいまさらと、驚くデイジーに照れ笑いを返す。
「や、ほんといまさらなんだけどさあ・・・学校入り直そうと思って・・・専門学校に」
「もしかしてお料理の?」
コクンと頷くサンジに、デイジーは納得したように胸の前で手を合わせた。
「それは、絶対向いてると思う。だってエンジェすごくお料理上手だもの。絶対プロだって思うくらい、なんでいまさら
なのって思っちゃうくらい」
「ありがとう。昔から料理するのは好きだったんだけどね、俺の祖父がちょっと名の知れた料理人だったから、逆に反発しちゃってて」
「そうなんだ」
「大学には入ってみたものの、これといって目標もなくてダラダラしてた。けど、やっぱり俺は料理が好きだし、みんなに
食べてもらえるのがすごく嬉しくて幸せだって気付いて。いつか将来、自分の店を持ちたいなって」
クラブ花藤で働いて、ママの姿を見て自分の将来像が形になった。
いつか、花藤みたいな店を作りたい。
職種は違うけど安くて美味いレストランで、組のみんなも他の組の人たちも、警察関係者も政治家も宗教家も、どんな
ジャンルの人でも分け隔てなく通えるような、そんな店を。
「私もきっと、エンジェのお店に食べに行くわ。そして常連になっちゃう」
「ありがとう。楽しみに待ってて」
そこに、ヤスが息せき切って現れた。
「あ、姐さんお待たせしました!」
「いいよ、じゃあデイジーちゃんまた」
「お店にも遊びに来てね」
「ありがとう、また来るよ」
子どものようにバイバイと手を振りながら、サンジは軽やかな足取りで路地裏に消えていく。
デイジーは二人の影が見えなくなるまで見送っていた。
それでもどこか名残惜しく、ゆっくりとした足取りで店へと戻る。
「エンジェ、行っちゃった?」
「行っちゃった。・・・寂しくなっちゃったね」
蘭子達ホステスもどこか気だるげに佇んでいる。
「お客さんも残念がるだろうなあ、特にギンさんとか」
撫子がそう言えば、すみれは「ああ」と振り向いた。
「それなら大丈夫よ、ギンさんもしばらくお店に顔出せないって言ってた」
「え?なんで」
「しばらく高飛びするんですって」
けろっと答えたすみれに、ホステス達が詰め寄る。
「なんでなんで、すみれがそんなのこと知ってるのよ」
「えーいつの間にー?」
「ふふふ〜内緒〜〜」
きゃっきゃとさんざめき賑やかさを取り戻した店内で、デイジーはしみじみと呟く。
「エンジェって、ほんとに天使みたいだったね」
「・・・そうね」
蘭子も横に並んで、頷いた。
「誰にでも優しくて明るくて、お料理上手でその上とっても強くて」
「蘭子には、キューピッドだったでしょ」
そう聞かれ、蘭子はやだもうと赤くなりながらデイジーの肩を叩く。
あいたたと大げさに痛がりながら、デイジーはふと思い出したように首を傾げた。
「でもなんで、ヤスさんはエンジェのこと『姐さん』って呼んだの?」
その独り言に蘭子は思わず噴き出しそうになったが、表情を変えないまま「さあ?」と言葉を返しておいた。
End

