「―――は?」
ゾロは背中にサンジを引っ付けたまま、とりあえずぐびりと酒を飲み下した。
なんでこうなったのか、状況がさっぱり掴めない。
そうしている間にも背中の重みはどんどん増すし、首筋に熱い吐息が掛かった。
が、やがてそれは規則正しい寝息へと変わる。
「・・・・・・」
頬張ったホットドックをもぐもぐゴクンと食べ終えてから、ゾロは正面向いたままはあとため息を吐いた。
―――寝やがった
馴れ馴れしく人の背中に懐いて、あろうことかそのまま眠り込むとは。
一体どんだけ偽者なんだ。
片手を背後に回し、襟首を掴んで乱暴に横に倒した。
偽者サンジは床に仰向けになり、だらりと腕を投げ出している。
赤い顔のままくーくーと寝息を立て、なんとも太平楽な寝顔だ。
「・・・なんなんだ」
一人の人間が二人に増えると、頭のネジが二、三本抜け落ちるのだろうか。
いつもは憎まれ口しか叩かない、まるで目の敵にでもしているような自分に無防備な様でしな垂れかかって来るなんて。
本物がこのことを知ったら、恐らく激怒するだろう。
マリモ相手に気色悪い真似してんじゃねえよと、茹蛸みたいに真っ赤になって怒るだろう。
そう思うのに、サンジと同じ顔をした男はどこか幸せそうな笑みさえ浮かべて暢気に寝息を立てている。
「ふん、気色悪い」
口に出しては見たものの、実際には言葉にするほど気持ち悪がってはいない自分を、ゾロは自覚していた。
女でもべたべたくっ付いて来るのは好かないが、こいつのこれはそれと違う気がする。
いや、これってなんだ。
自分の思考が混乱しているのに気付いて、乱暴に頭を掻いた。
残りの酒もすべて飲み干してしまってから、真面目に見張りをすべく夜の海へと視線を投げる。
じっと目を凝らして水平線の彼方を見つめているつもりなのに、どうしても視界の隅にしどけなく横たわる白くて
細長いのがチラチラと映る。
―――二人に分かれて、影が薄くなった。
改めて見てみると、確かになんとなくそんな気もする。
普段より色の薄いサンジは存在自体が希薄で、夜の闇の中では余計心許なく見えた。
このまま泡ぶくみたいに消えてくんだ。
酔っ払いの戯言まで頭に甦って、見張りに集中できんと一人頭を振る。
勝手に酔い潰れた者など原則放置で、風邪を引こうがどうしようが気にしないゾロではあったが、今夜ばかりはちょっと違った。
手元の毛布を手繰り寄せ、渋々ながらそれでサンジを包むと部屋の隅に転がしてまた背を向けた。
静かな波の音に紛れて背後から規則正しい寝息が聞こえる。
そんな些細なことで安心できるのはなぜだろう。
空気を切り裂き、すぐ耳元に衝撃があった。
一瞬早く首を傾け難を逃れたゾロは、欠伸を噛み殺しながらゆるゆると目を開ける。
「もう、朝か」
「見張りがガアガア寝てんじゃねえよっ」
いつもと同じ口の悪いサンジが、振り上げた片足を下ろし仁王立ちになっていた。
凭れていた壁の一部が激しく破損している。
昔ならウソップが盛大に嘆いたことだろうが、フランキーが来たお陰でそのわずらわしさはなくなった。
「ったくてめえは、見張りの意味がわかってんのか」
小言を続けるサンジの前を、腹を掻きながら通り過ぎようとしてふと足を止める。
煙草を取り出して咥えかけた手が止まった。
「・・・あんだよ」
眉間に皺を寄せ、凶悪な表情で睨み返すサンジの顔を間近から見つめた。
「ああ」
朝日の中で見ても、やはり少し色が薄い。
襟足に手を差し込むようにして、髪の間からその後頭部を撫でた。
「てめえは偽者か、本物か?」
「・・・・・!」
まるで沸騰したみたいにかっと頬全体を赤らめ、サンジはほぼ条件反射で目の前のゾロを蹴り上げた。
結局壁どころか天井まで破壊して、さすがのフランキーにも大目玉を食らう羽目になる。
「快適ねえ」
今日も晴れた空の下、パラソルの影でナミは満足そうに伸びをした。
呼べばすぐにどちらかのサンジが駆け付けて来て、なんでも言うことを聞いてくれる。
女性陣にしたら小間使いが一人増えたようなものだろう。
「お前ら扱き使いすぎじゃねえのか」
クルクルと立ち働く二人のサンジを眺めながら、ウソップはさすがに同情したらしい。
「別に意識して扱き使ってるわけじゃないわ。よく気が付くサンジ君が二人に増えたお陰で、痒いところにも手が
届くようになったってことよ」
「はいはーいナミすわん!どこが痒いの?掻いてあげるよ〜」
「あっち行ってて」
「そんなつれないナミさんも素敵だ〜」
メロリ〜ンと立ち去る細い背中に、やれやれと溜め息を吐く。
「二人で手分けしてんのかもしれねえけど、やたらと目に付くせいか俺は気になって仕方ねえよ」
ちゃんと休んでるのかよと呟けば、フランキーやチョッパーもうんうんと頷いている。
「元々働き者でしたからね。自分同士で分担したら効率がよくなるには決まっていますが、結局全部一人で抱える
ことになってしまうのではないでしょうか」
「わかってたら手伝ってあげなさい」
「お前もだろうがっ」
ナミと同じく、優雅にデッキチェアに寝そべったロビンがふと顔を上げる。
「好きでしていることもあるでしょう。例えば・・・」
黙って視線だけ動かすと、それに倣ってみなも顔を向けた。
その先には、ラウンジから出てきたサンジがおやつの乗ったトレイを掲げていそいそと後ろ甲板に向かう姿だ。
「あんな風に、マメに起こしに行ったり届けに行ったり」
「そう言えば、今まで結構放置だったもんなあ」
「いいんじゃない、二人いたら一人くらいゾロの相手に宛がっても。効率いいわよ」
気にも留めないナミの隣で、ロビンは意味深な微笑を浮かべた。
「クソ腹巻、休憩だ」
午後になってもきつい日差しの中、サンジが片手で庇を作りながら顔を覗かせる。
シャツの裾が捲り上げられ、覗いた肘の白さが際立つ。
いつもより影が薄いから、余計そう見えるのか。
ゾロはカウントしながら振っていた錘を静かに置き、流れる汗をそのままに歩み寄った。
「ったく、タオルくらい使え」
すぐさま乾いたタオルが顔に投げ付けられる。
それを受け取ってガシガシ首元を拭いていたら、トレイを差し出された。
「まずドリンクな。コマメに休憩とって水分補給しろっつってんのに」
やはり手首の白さが尋常じゃない。
ドリンクを受け取るより先にその手を掴んだら、ぽろりとトレイが落ちた。
慌ててもう片方の手で受け取る。
「危ねえな」
「・・・ど、どっちがだ!いきなり掴むんじゃねえよ」
よほど慌てたのか、頬を赤らめながら他所を向いて怒鳴った。
ゾロはそんなサンジの横顔を繁々と見て、とりあえずトレイを酒樽の上に置いた。
離さずにいた手をそのまま引き寄せる。
「やっぱりてめえのが、偽者なんじゃねえのか?」
「やっぱりって・・・」
掴んだ手首は体温が低い。
色も薄いしどうにも頼りなく、こちらが偽者だと確信した。
「昨夜てめえが言ったんだろうが。身体で確かめろって」
かーっと音が出そうなほど耳まで赤くなった。
どうやら覚えているらしい。
「あ、れは・・・酔ってたから・・・」
「あんだ、酔いの勢いか?」
こんな風に大人しいサンジは珍しくて、ついゾロも悪ノリする。
「てめえから引っ付いて来たんだぞ。俺にこう・・・」
「うっせえな」
逆切れしたのか、文字通りいきなりゾロに抱き付いた。
脇腹から背中に掛けて腕を回され、ぎゅうぎゅうと力をこめる。
この反応は予想していなくて、却ってゾロの方が目を白黒させた。
「人が酔った勢いで誤魔化してやろうって思ってんのに、煽りやがって」
「ああ?」
仲間達は別の場所で誰も見ていないとは言え、悪ふざけにしてはリスクが高すぎる体勢だ。
これではまるで、サンジがゾロに抱き付いているようにしか見えない。
「どうせ俺は偽者なんだから、何したってすぐに忘れるんだから」
己に言い聞かせるようにブツブツと呟き、ゾロの胸にぎゅっと顔を押し付けてきた。
汗染みたシャツに頬を擦り付け、汗臭え〜と呟きながらも離れようとしない。
「てめえ・・・」
「もう、少しだけ・・・」
首元に顔を埋めたサンジの表情は、ゾロからは見えない。
目の前にはつるんと丸い後頭部、風に呷られて揺れる毛先に鼻を擽られる。
どうしていいかわからず、ゾロはしばらくの間だらりと両手を下げて立ち尽くしていたが、その内おずおずと肘を曲げた。
尖った肩甲骨に掌を当て、シャツ越しにそっと撫でた。
サンジの肩がぴくりと揺れたが、ゾロの胸に顔を伏せたままだ。
それを了解と取って、そのまま腕を回し薄い背中を抱き締めた。
ゾロの首筋に、サンジの口から漏れたと思える吐息の熱が感じられる。
合わせた胸の間からは、どちらのものともわからぬ鼓動がバクバクと鳴り響き、別の種類の汗がじっとりと湧いた。
―――こりゃやべえ
冷静に考えたら、真昼間に仲間達の目を盗んで抱き合っている構図にしかならない。
寄ると触ると喧嘩ばかりの二人の間でこれはあり得ないだろうと、頭ではわかっているのに身体が言うことを聞かなかった。
二人共に相手を抱き締める力を緩めず、密着した肌の熱さが否が応にも気分を高まらせて行く。
「俺は、偽者だからな・・・」
聞いてる方が切なくなるような声でそう呟き、サンジはそっと首を傾けた。
「偽者だから、てめえが好―――」
言い終わる前に、唇が重なった。
頭で考えるより先ず行動が基本スタンスではあるが、ここまでケダモノだったかとゾロの中の冷静な自分が分析している。
いくら偽者とは言え、天敵みたいなコック相手に何をしていることか。
とは言え、以前から憎からず思っていたこともまた事実だ。
こんな風に唇を合わせても、嫌悪感は湧かない。
寧ろこれでは物足りないと、腹の奥底の方がジワジワと熱くなった。
「ふ・・・」
開いた唇の隙間から舌を差し込まれ、サンジは目を閉じたまま仰向いた。
「―――っつ!」
短く叫び、素早く身を引く。
思わぬ反応に驚いたゾロに、誤魔化すように笑い返した。
「悪りい」
上気した頬のまま、サンジは踵を返すとそのままゾロの横をすり抜けて一目散に甲板から走り去って行った。
「・・・なんなんだ?」
呆気に取られたまま、ゾロは一人首を捻った。
何か痛がるようなことでもしただろうか。
あの反応はなんだったのかといぶかしみながら視線を下げて、はっとする。
ゾロの白いシャツの脇腹に、血の跡が付いていた。
「どうしたんだ、それ」
一人は男部屋で仮眠中だとかで、夕食時のサンジは一人だった。
給仕する手の指先にある包帯を見咎めて、ゾロは仲間達がいる前で指摘した。
「指切っちゃったのよね」
サンジより先にナミが答える。
「みんなでおやつ食べてる時に、包丁でうっかり」
「珍しいよな」
「いやー、プロの癖に恥ずかしいぜ」
サンジは面目なさそうに後ろ頭を掻いた。
「やっぱり疲れてるんだって、いくら二人でも元が一人なんだから」
「大丈夫だって、そのために今も仮眠してんだからよ」
問題ねえと呟きながら手早く給仕を終えて、みんな揃っていただきますを唱えた。
席に着いて以降、サンジは一度もゾロの方を見ない。
果たしてこいつは偽者なのか、本物なのか・・・
ゾロは終始そんなことばかりを考えていた。

