
「何ボサッとつっ立ってやがんだ、上がりだっつってんだろうが、とっとと帰れ!」
見事なべらんめえ口調で、金髪碧眼の料理長が脛を蹴って来た。
寸前でひらりとかわし、サンジも負けじと言い返す。
「わかってますよ、うっせーな。年寄りは気が短くていけねえ」
「てめえのトロいのを棚に上げて、年寄り扱いたあ上等だ。表に出ろい!」
「オーナー、営業中ですから…」
いきなり始まった厨房での口喧嘩に、常連客はニヤニヤ笑うばかりだ。
元々、料理は絶品だがスタッフに癖のあるものばかりが集まっているここバラティエでは、コック同士の
乱闘は日常茶飯事。
時には客も交えての大乱闘に発展することも珍しくはない。
特にオーナーシェフと副料理長の喧嘩は、裏を返せば固い絆が見て取れるほどに些細かつ頻繁で、
まるでどつき漫才を見ているようだ。
故に、今ではバラティエの名物とも化している。
「7時にご予約のロクサーヌちゃんには、くれぐれも玉ねぎスライスはお出ししないように…」
「あ〜わかってるって、とっとと上がれ。オーナーじゃなくても、心ここに在らずって風情でつっ立って
られちゃかなわん」
コック仲間に指摘されて、サンジは顔を赤くしてエプロンを外した。
確かに今日はうっかりミスが多かったかも知れない。
全部上手くフォローできたと思っていたのに。
「それじゃ、お先に失礼します」
神妙な面持ちでぺこりと頭を下げたら、すかさず声が飛んできた。
「冷蔵庫の上の棚に入ってんの、一式持って帰りやがれ、邪魔だ!」
「・・・は?」
意味がわからず咄嗟に悪態を返すこともできず、サンジは訝しげに冷蔵庫を開けた。
中にはパーティ用のオードブル一式と、見目麗しい小さなケーキ。
「え――」
「冷蔵庫開けたままぼさっとしてんじゃねえ、とっととそれ持って失せろ!」
口調は厳しいが、それに相反する心遣いに、サンジはその場でへたり込みそうになった。
毎年、祝祭日や土日にならない限り、11月11日には必ず休みを取っていた。
今年はそうしなかったことを不審に思われたのだろうか、それとも特別な年になると気付かれたのだろうか。
どちらにしろ、サンジには思いがけないプレゼントだ。
「ありがとう、ございます」
ゼフの背中に深々と頭を下げて、サンジは荷物を抱えて店を後にした。
秋も深まって、夕暮れの風は肌に沁みるほどに寒い。
けれどサンジはコートの前を掻き合わせることもしないで、心尽くしのご馳走を胸に抱いて足早に
家へと急いだ。
バイトを終えて多分7時頃、ゾロはアパートにやってくるだろう。
それまでに部屋を片付けて飾りつけなんかもしちゃって、スープを作ってご飯をジャーに山盛り炊いて、
それから、それから―――
ゾロが暮らせるスペースを、きちんと確保しなくては。
考えれば考えるほど、足取りが重くなった。
少しずつ歩みが遅くなり、このまま立ち止まってしまいそうになる。
これじゃあダメだ。
だって俺は、もう大人なんだから。
いつの間にかたどり着いたアパートの前で、サンジはポケットから鍵を取り出すのにも手間取ってしまった。
指先から血の気が引いてかじかみ、危うく取り落としそうになる。
荷物を一旦足元に置いて、なんとか鍵を開け、荷物を運んで扉を閉めて、荷物をキッチンのテーブルの
上に置いて。
ケーキとオードブルと、分類して冷蔵庫に入れなければ―――
頭ではわかっているのに、どうしても身体が動かなかった。
サンジはその場で油の切れたロボットのように、ぎくしゃくとした動きのまま蹲り、コートの袖に顔を埋める。
ゾロが来る。
ゾロがとうとう、俺の元に来る。
あれだけ長く待った、待ち続けた瞬間なのに。
誰より愛しい、恋しい人なのに。
何故だか酷く恐ろしくて不安で堪らなくて、サンジはそれきり動けなくなってしまった。
ゾロは携帯を片手に、通い慣れた筈の道をてくてくと歩いていた。
ここで角を右に曲がるはずが、さっき左を曲がってしまった。
もう一度スタート地点を設定し直して再トライ。
今度は大丈夫、見覚えのあるアパートは目の前だ。
うし、と一人頷いて歩みを速める。
大きな荷物を二つ提げて、これで引越しは完了。
元々持ち物は少ないし、実家が近いから必要なものはその都度取りに帰ればいい。
待ちに待ったサンジとの新生活の始まりに胸を膨らませて、今はただ一刻も早く彼の元へと辿り着きたい
想いで一心だった。
アパートの2階を見上げれば、サンジの部屋には灯りが点いていなかった。
まだ戻っていないのだろうか?
いつもは休みを取ってくれる日だが、今日は家で待っていろと言っておいた。
けれど、仕事が長引いているのなら仕方ないだろう。
扉の前で待っていれば、その内帰ってくるだろうとゾロは軽い足取りで階段を上った。
一応チャイムを押してみて、習慣でドアノブを回す。
抵抗なく扉が開いて、却って驚いた。
「・・・サンジ?」
カチャリと音を立ててドアを開けば、外灯が一筋の光の筋を差し込むだけの、真っ暗な部屋の中。
上がりかまちのすぐ側に、コートを着たまま蹲るサンジの背中があった。
「おい?」
どこか具合が悪いのか。
つい切羽詰った声を出したら、丸まった背中が揺らぎ金色の小さな頭がゆっくりと振り返った。
驚愕の形に見開かれた瞳は何故か焦点が合わず、暗がりに落とされた陰影のせいか目が
落ち窪んで見えた。
薄く開かれた口は怯えたように歪み、震える頤の動きとともにカチカチと歯の鳴る音がした。
「サンジ?」
慌ててしゃがみ、その肩に手をかける。
サンジの目がゾロを捉え、ふっと表情が緩んだ。
「あ・・・あれ、ゾロ」
それから取り繕うように、強張った笑顔へと変化する。
「どうした、お帰り」
「どうしたじゃねえよ!」
正直、背筋に寒いものを感じてゾロは改めて部屋の中を見渡した。
別に荒らされた形跡はない。
だが電気も点けず荷物は置きっぱなしで、今サンジが帰ってきたところにしてはどうにも様子がおかしい。
「どうしたんだ一体」
「あ、あれ。なんかぼんやりしてたら・・・今、何時?」
「7時過ぎ」
サンジはぽかんと口を開けて、それから慌てて立ち上がった。
「えええええ?!マジ?そんな時間、やべっ」
髪を掻き乱して慌てて部屋へと飛び上がっている。
踵に引っ掛けていた靴が飛んで、玄関の扉に当たって跳ね返った。
「やっべえ、俺何時間こうしてたんだ」
「おい、ちょっと落ち着け」
ゾロは玄関に鍵を掛けると、明かりを点けて靴を揃えた。
サンジはわーとかぎゃーとか叫びながら、なにやら冷蔵庫を開けてアタフタと中へ入れている。
「あわわ、ちょっと待て片付けてねえよ。花も飾ってねえのに、わあ俺サイテー」
「落ち着けって」
ゾロは強引にサンジの腕を取って、痛くないように全身を使ってその動きを封じ込めた。
「とにかく、コートを脱いで暖房つけろ。もう急がなくていいから」
サンジの身体を軽く冷蔵庫の扉に押し付けて、身体を密着させて宥めた。
部屋の中だというのに、ゾロの吐く息が白い。
それに気付いて、サンジは改めてゾロを見上げた。
「あ、寒いな。ほんとだごめん」
もっと早く帰ってきていたのに。
あれこれ準備して、お前を迎えるはずだったのに。
「謝らなくていい、それより他に言うことは?」
催促されて、サンジはまたしてもあわあわと口を開け閉めする。
「あ・・・と、誕生日おめでとう」
「ありがとう」
ようやくゾロは笑って、サンジをぎゅっと抱き締めた。
冷え切った服が頬に当たって冷たいのに、それでもゾロの力強さと身体の温もりが直に伝わってくる。
サンジはほうと息を吐いて、改めておめでとうと小さく呟いた。
