
「んで、お前が鏡に閉じ込められてから次に目が覚めるまで、どんだけあったんだ?」
「多分ひと月後だろう。満月の夜に鏡ん中に吸い込まれたからな」
明るい月明かりの下、二人揃って城内を散策する。
「そん時、お前の格好でうろついてる奴を見なかったのか?」
「それが見てねえんだ。俺が目覚めた時、もう城の中に見知った奴らは一人もいなかった。
見覚えのねえ人相の悪い野郎がうろついてたが、俺の姿見たら慌てて逃げ出しやがったかな。
その後は、目が覚めると人の気配はあったんだが、俺の知らねえ顔ばかりだ。その内、
人の姿自体を見なくなった」
それとて、月単位の変化なのだろう。
「新しい住人とやらに、事情は聞かなかったのかよ」
「大抵、俺の姿を見ると悲鳴を上げて逃げ出しやがる」
「・・・だろうな」
ゾロは目覚める度に城の中を隈なく見て回ったとは言え、物を退けたり動かしたりすることができない。
もしやと思う場所を、サンジは片っ端から蹴り飛ばして暴いていった。
「お前の足はすげえなあ」
ゾロは腕組みして素直に感心した。
「どうやったらそんな細っこい身体で、そんだけでかいもんを蹴り飛ばしたりできんだ」
「はっ、じじい直伝の俺の蹴りを舐めんなよ。敵に囲まれたって四方八方に蹴り飛ばされんだぜ」
面と向かって褒められて、サンジも悪い気はしない。
「敵って、てめえは何やってんだ?」
「海賊だ。この島にはログを貯めるために来たんだが、探検気取りで山の中に入ってこの城
見つけたんだよ」
「へえ、海賊か。俺ぁ海に出たことねえな」
懐かしむような目をして、ゾロは月を見上げた。
そうか、とサンジは改めて気付いた。
ゾロは多くても月に一度、しかも時間にして数時間しか目覚めていないから、いくら時が経っていても
実質的な時間経過にならないのだ。
単純に計算しても月に1回、1年で12日だ。
目覚めていない月も換算して、多分ゾロの意識の中では10年も経っていない。
まさに浦島太郎。
だがしかし―――
「お前にとっちゃたった数年でも、ろくに人と会えない・・・触れられねえってのは、寂しくなかったか?」
サンジは崩れた瓦礫を軽く蹴って、しんみりと呟いた。
もし自分だったならと、想像するだけで胸が苦しくなる。
少なくともサンジは、常に傍らに女性がいないと死んでしまう病なので尚更だ。
「確かに誰とも闘えねえし鍛えられねえし、つまらねえ毎日ではあるな。だが、野望を叶えるまでは
俺は死なねえ」
「や、だから野望もクソも・・・てめえが目指してた大剣豪って奴もとっくに死んじまってんじゃねえのか」
ゾロは所在無さげにボリボリと頭を掻いた。
「確か鷲の爪のイーグルってえ剣豪がいたんだが・・・もういねえか?」
「・・・いねえだろ、普通」
なんとなく、ゾロの肩がしゅんと下がった気がした。
虚像だけだが、ゾロは逞しく鍛えられた強そうな身体をしている。
もし肉体を奪われなかったら、本気で世界一の剣豪を目指せる男だったのかもしれない。
尚のこと哀れさが増して、サンジは火の点いてない煙草を咥えたまま、そっとゾロの肩に手を乗せた。
実際には触れないから、なんとなくその辺りでふわふわと手を浮かせる程度だ。
「けどよ、今世界一の大剣豪と言やあ、鷹の目のミホークってのがいるぜ。少なくとも200年前の
剣士よりは強えだろ」
途端、ゾロの目がぱっと輝いた。
「鷹の目の、ミホークってのか?」
「おう。王下七武海の一人だが、そりゃあもう誰も歯が立たねえってくらい強えらしい。てめえの
目標にはいいんじゃねえの?」
「・・・そうだな、不足はねえな」
「は、偉そうに!」
今、隣にいる男がとても200年前の人間だとは思えない。
だってサンジと同じように話したり歩いたり、笑ったりしているのだ。
年だってきっと近い。
まだまだ夢も未来もある若者だったのに。
「・・・お前、幾つだ」
「この城に来た時は19だった」
「え?お前、俺とタメ年?」
この姿が19歳のものかと、さすがにそれは目を疑ってしまう。
ゾロはややむっとしたように下唇を突き出し、腹に巻いた布を引っ張った。
「とは言え、捕まった夜が誕生日だったんでな。そん時20歳になる予定だった」
「へえ、いつ?」
「11月11日」
「え?」
またしてもおかしな偶然に、サンジは目を瞠った。
「それ今日だぜ、さっき12時の時計を打ったってんなら、今日が11日だ」
そう言ってから、改めてゾロに向き直った。
「幾つになったかは知らねえが、誕生日おめでとう」
仲間内でも「誕生日」というのは、非常に大事に扱われている。
例えその日が正確な生誕の日ではなかったとしても、一度誕生日と認定した時から特別な日として、
それは盛大に祝うのだ。
その日その時生まれなかったら、俺達は出会うことがなかったのだから。
サンジに真摯な瞳で見詰められ祝福されて、ゾロは鳩が豆鉄砲食らったような顔をして目をぱちくり
させていたが、ややはにかんでありがとうと答えた。
「おめでとうなんて言われたのもの、すげえ久し振りだな」
「そりゃそうだろ」
二人視線を合わせて、笑う。
「もしてめえの身体が無事取り返したら、俺が美味い飯を作って盛大に祝ってやるよ。俺コックなんだ」
「飯か!」
ゾロがまた目を輝かせた。
「この姿になってから、腹は減らねえんだが無性にモノを食いたくなることがある。この際食い物
じゃなくてもいいから、口に入れたくなるんだ。その辺の岩の欠片とか砂とか、なんでもいいから
舌に乗せてえって・・・」
ゾロは笑いながら語るのに、サンジがくしゃりと目を萎ませた。
「甘いとか辛いとか、味わってみてえなって・・・って、どうした?」
表情の変化に気付いたか、ゾロはぎょっとして覗き込んで来た。
サンジは顔を背けて咥えた煙草を噛む。
「うっせえ、情けねえこと言うんじゃねえよ」
「・・・なんでてめえが泣くんだ」
「うっせえつってんだろ、煙が目に沁みたんだよ」
火が点いてないぞ、とまではゾロも突っ込まない。
「クソ、あれだ。ゾロ、てめえ何が好きだ」
「ああ?」
「食い物でだよ。俺はコックだ、なんだってできる」
ゾロはしばし、空を仰いだ。
月がかなり傾いてきている。
こうして言葉を交わす時間も、そう残されてはいない。
「そうだな、握り飯かな」
「握り飯?」
「昔から好物だ。塩で握ってあって梅干が入ってて、海苔とか巻いてあったら最高だな」
「なんだ畜生、そんなんがいいのかよ。くそう、なんだって作ってやるよチキショウ」
また鼻をぐじゅぐじゅ言わせてそっぽを向く。
「ああ、頼んだぜ」
中空に浮かぶ月を眺めながら、しばらく二人黙ったまま佇んでいた。
何か言おうと口を開いても、すべてがくだらない慰めになりそうで言葉にできない。
こうしている間にも時は経ち、やがて夜が明ける。
次にゾロが目覚めるのはひと月後。
その時、今のサンジのように話しかけられる相手がいるとは限らない。
その次の月も、その次の月も。
この先ずっと―――
「こうしてる場合じゃねえ」
サンジは両手で拳を作ると、ゾロに向き直った。
「うかうかしてる間に夜が明けちまうじゃねえか。このまま朝を迎えてまたてめえが鏡ん中戻ったら、
俺は本気で鏡ごと蹴り割るぞ。死にたくなかったらてめえの身体とやらがありそうな場所を探せ」
発奮するサンジとは対象的に、ゾロは穏やかな瞳で微笑を浮べたままだ。
「・・・てめえに引導渡されるんなら、本望かもな。今夜みてえな日は久し振りだった。もしかしたら
初めてかもしれねえ」
「おい」
200年を根性で生き延びて来た男が、やけに薄らいで見える。
「今日、てめえに会うために俺はここまで残って来たのかもしれねえ。そうだ、残ってるだけだ俺は。
自分の中だけの野望を燻らせたまま現実は何一つ変えられねえで、モノ一つ動かせない幻影のままで
残ってるだけの、只の未練でしかねえ」
言い募る内に、ゾロの向こうにぼんやりと景色が透けて見えてきた。
サンジは慌ててその腕を掴もうとするが、擦り抜けてしまう。
「おい待てよコラ、夜明けにはまだ早え。諦めんのは、まだ早えんだ」
サンジの言葉に、ゾロの色味が僅かに戻った。
「そうだな・・・せめて夜が明けるまでは」
「あったりまえだろ、何弱気になってんだ。らしくもねえ」
このロロノア・ゾロと言う男、サンジはまったく知らないが、生前(?)はかなり気骨のある
男だったのだろう。
そうでなければたった独りで、いくら間に意識がないとは言え200年近くも正常な精神状態で
過ごして来られる訳がない。
惜しい、と純粋に思う。
こんな男が世界一の剣豪を目指しているなら、せめてその夢の片鱗にでも触れさせてやりたい。
肉体はとうに滅びてしまっているだろうに、それでもありもしない希望にすがりつき生き延びる
この姿を浅ましいとはサンジには思えなかった。
できることなら、こいつの夢を叶える為に、共に旅立たせてやりたいと願うほどに。
「あ」
一瞬間抜けな声を出して、サンジは立ち止まった。
その背中にぶつかりそうになって、ゾロも慌てて止まる。
「なんだ?」
「あのよ、てめえがひと月後に目が覚めた時、自分の身体を見なかったって言ったよな」
「ああ」
死に掛けた息子を救う為、ゾロの肉体を奪う目的で鏡の中に閉じ込めたのだ。
なのに、その息子はゾロの身体に入ることができなかったのだろうか。
と言うことは、その時点でもう息子は死んでいるのでは―――
「おい!」
「だからなんだ」
ぐるぐると一人考えているサンジの様子を、ゾロが他人事のように眺めている。
「墓は?この城の住人の墓はどこにある?」
「ああ、裏手の林の中だが・・・」
「てめえ、そこまで来れるか?」
聞きながら、サンジはその場でダッシュしていた。
とうの昔に失った肉体を見つけるなら、それはもう墓場でしかないだろう。
鬱蒼と生い茂る林の中に、寂れた墓地があった。
樹々の間から漏れる月明かりに照らし出された墓石はどれも苔生して罅割れ、長い間誰にも手入れ
されず省みられぬまま放置されていたことを物語っている。
「その息子とやらはなんて名だった?」
サンジは絡まる蔦を指で千切り、一つ一つ墓碑銘を確認していく。
「さあな、この城の持ち主の名前も俺はろくに知らんぞ」
「・・・威張るな。んじゃあ、お前が1338年生まれだとして、20年後に息子が死んだとしたら―――」
比較的新しい墓の年代を確認し、サンジは立ち上がった。
「十中八九、この墓だな。このすぐ後に親らしき男の墓もある。息子の再生を計る暇もなく、夜盗に
でも襲われて一家全滅ってやつか・・・」
魔術にまで頼って生き延びさせようとした一族の末路は、呆気ないものだったのかもしれない。
サンジは一歩下がると口の中で祈りの言葉を唱え、一気に足を振り上げた。
朽ちかけた墓石は粉々に砕け崩れる。
地面をすっかり露わにしてしまってから、サンジはさてと煙草を咥えて火を点けた。
「こっからが正念場だ、地道に掘るぞ」
なす術もないゾロは、ただ黙って両手を上に上げた。
