
「・・・離婚するわ」
ロビンがこともなげに放った言葉が、ゾロの頭の中で何度もリフレインする。
離婚するわ・離婚スルワ・・・リコン―――
「なんだ、と?」
ゾロの両手が無意識にテーブルの端に掛かった。
ふざけるなと、叫びながら全てを引っくり返しそうになって危うく思い留まる。
食卓には沢山のご馳走が並んでいるのだ。
これは全部サンジが作ったもの。
メチャクチャにしてしまったら、サンジが哀しむ。
ゾロはテーブルの上に拳を乗せて、肩を怒らせながら奥歯を噛み締めて目の前に座る
ロビンを睨み付けた。
「・・・どういう、つもりだ」
「身勝手なことをして、本当に申し訳ないと思っているの」
後半はサンジへと視線を向けて、ロビンははっきり言い切った。
対してサンジは、口元を薄く開いたまま首を振っている。
笑っているんだか泣いているんだか、わからない表情だ。
「いいんだ、ロビンちゃんの気持ちを何より優先しなくちゃ。俺に異存はないよ」
「なんだと?!」
ゾロは目を剥いてサンジを振り返った。
どこまで従順なのか、こんな男の存在が信じられない。
「今まで、俺と夫婦で居てくれてありがとう。ゾロの父親にならせてくれてありがとう」
サンジは両手を膝の上に乗せて、深々と頭を下げた。
顔色は蒼かったが、どこか吹っ切れたような穏やかな横顔だ。
だがゾロはそれで治まらない。
「ふざけんな、ここまでサンジを待たせておいて用がなくなったら捨てるってのか?自分が
日本に帰って来るから、俺にはもう手が掛からなくなったからってお払い箱か?」
「そんなつもりはないわ」
激昂して怒鳴るゾロの声にも、ロビンは冷静に応えた。
まるで諭すような口ぶりが、益々ゾロの怒りに火を注ぐ。
「どこまで自分勝手なんだ。俺の世話を全部サンジに押し付けて、てめえは勝手に好き放題
しやがって、挙句に好きな人ができただと?サンジはなあ、てめえが側にいなくても誰にも
惹かれたりしなかったんだ。浮気一つしてねえぞ、俺が一番側にいてずっと見てたんだ間違いない」
「・・・ゾロ」
サンジはオタオタしながら、対立するゾロとロビンの間で手を揉みしだいている。
「サンジ君がとても誠実に家庭を守ってくれたことは私も知っているわ。今まで本当にありがとう。
でも、今後貴方と夫婦として暮らす気持ちは私にはないの。ごめんなさい」
ロビンがサンジに角度を向けて座り直し、改めて頭を下げた。
サンジもそれに応えて頭を下げる。
ゾロにしたらすべてが芝居めいて見えて、混乱するばかりだ。
「貴方と別れて、私は旧姓の『ニコ・ロビン』に戻るわ」
ロビンの言葉にサンジは大きく目を見開き、ふるふると首を振った。
「ロビンちゃん・・・」
「ゾロ、貴方はどうする?」
いきなり話を降られても、頭が付いていかない。
「どうするって、何が」
「苗字よ。私と一緒にニコ・ゾロになる?」
あくまで表情を変えずすっとぼけたことを言う母親に、ゾロは怒りを通り越して驚愕しか
沸いて出ない。
「何を、言ってやがんだ。俺は生まれた時からロロノア・ゾロだろうが!お前が籍抜こうが
関係ねえ。俺はずっとロロノア・ゾロだ。親父の息子だ!」
サンジが痛そうに顔を歪め、膝の上に作った拳をぎゅっと握った。
「そんとおりだ、ロビンちゃんやっぱりいけねえ。いけねえよ」
「ああ?」
何でここでサンジが口を挟むのかわからない。
「ゾロはロロノアさんの息子だ。ロロノアの名を継ぐべきだ。だから、俺なんかがいつまでも父親
面してここに留まってるのがおかしいんだよ。俺が籍抜くよ、そうしないとおかしいんだ」
「貴方は、それでいいの?」
ロビンの問いかけは、まるでサンジとゾロ両方に向けているかのように曖昧だった。
「いいも何も、サンジだってまだ若いんだからいつまでも俺の父親になってちゃいけねえだろう」
ゾロは目を剥いてサンジを振り返った。
「お前、散々この女に扱き使われたんだからもう解放されたと思って自由にしたらいいんだ。
お陰で俺は今日までこうして大きくしてもらったし、離婚するんならお前を縛るものなんて
何もねえ。お前こそ、旧姓に戻って誰か他の嫁さん貰え」
言いながらも、ゾロの胸はちくちく痛んだ。
本当は、サンジに出て行ってもらいたくなどない。
最後まで父親とは思えなかったが、戸籍上だけでも繋がっていたかった。
父親なら、この先もずっと会う口実だって残るだろうに。
ゾロの言葉に、サンジは余計悲しそうな顔を見せる。
けれど強がって笑って見せるから、余計に痛々しい。
「ありがとう、ゾロ」
「お前・・・」
その表情の複雑さにようやく思い至って、ゾロは口を開いた。
「お前、ロロノアのままでいたいのか?」
どうして、ロビンとサンジが結婚した時、サンジは養子になったのか。
単純に、ゾロに夫ロロノアの名を残したいがためにそうしたのだろうと思っていた。
何より、結婚する以前のサンジのことなど何も知らない。
旧姓が何なのか、どこの生まれなのか、親戚はいないのか。
聞いてみてもはぐらかされて、その内辛そうな顔になるから結局追求できなかった。
サンジの過去は、ゾロのような子どもは安易に触れてはいけないのだと、本能でわかるほどに。
「お前、俺の親父のこと知ってるのか?」
ゾロの問いにどれ一つ答えられず、サンジはただ硬い表情のまま俯いている。
「俺の親父は刑事だった。そうだろ?」
ロビンに顔を向ければ、驚いたように目を瞠っている。
「知っていたの?」
「偶然にな」
父親が死んですぐに引っ越したらしく、今住んでいる土地にゾロの父親のことを知っている人は
いなかった。
だが中学の時、後輩が自分たちが生まれた年の出来事を調べていて、偶然ロロノアの名を
新聞で見つけたのだ。
「これ、先輩のお父さんじゃないですか?」
モノクロだが、ゾロの面影をそのまま写したような男の写真。
麻薬組織の摘発の際、殉職したと記されている。
「・・・そうかもな」
他人事のようにそう呟いて、ゾロは新聞から目を逸らした。
こうした形で父親と対面するとは、ゾロも思いもしなかった。
自分が物心つく前に事故で亡くなったとだけ聞かされて、そのことに何の疑問も持たないで。
それが嘘だったと知っても、父親が死んでいることに変わりはないから別に気に止めること
はなかった。
確かめようにも母親は日本にいないし父親のサンジに聞くのはなんだか筋違いな気がして、
今まで父親のことを口にしたことはなかったのだ。
だが―――
サンジが、父親を知っているのなら話は違ってくる。
「もしかして、サンジはお袋の前に親父と知り合いだったんじゃねえのか」
ゾロの指摘に観念したかのように、サンジはテーブルに拳を置きながら顔を上げた。
「そうだよ、ロロノアさんは俺の命の恩人なんだ」
だから。
命の恩人だったから、その忘れ形見のゾロを大切に育てたのか。
恩返しのつもりで?
その方が、名ばかりの妻、ロビンの息子だからと言う理由よりも余程しっくり来る。
しっくり来るのだが、何故かゾロは軽いショックを受けていた。
何らかの理由がなければ、赤の他人の子どもなんて甲斐甲斐しく育てたりできない。
それはわかっていたけれど、いざサンジが自分を可愛がる理由を突きつけられたら、
やはり動揺してしまう。
最初から自分を好きで育ててくれたなんて、そんなことは絶対にあるはずがないのに。
サンジの、ゾロへ注がれた愛情のすべてを疑い始める自分がいる。
「ゾロが、もう少し大きくなったら・・・そしたら、調べてくれたら多分すぐにわかると思う。俺のこと」
「ふざけんなっ」
ゾロはイスを蹴って立ち上がった。
ガチャンと茶碗がかち合って湯飲みの茶が揺れ、箸置きから箸が転がり落ちる。
「俺はなあ、お前のことを調べたりなんかしねえよ。お前の口から言うことしか信じねえ。
お前が言いたくないことなら、俺だって知らなくていい」
ゾロにとって、サンジの過去などどうでもいいのだ。
ただ、この先ロビンとサンジが別れて、サンジが赤の他人となって自分の前から消え去って
しまうのは嫌だ。
けれど、サンジのことを思えば自分のような大きな息子がいない方がいい。
けれど、ゾロは父親の名を継いでいたい。
けれど、サンジはロロノアのままでいたい。
けれど、ゾロは本当はサンジを父親としてみたくない。
けれど、サンジはあくまでゾロに“父親”としてでしか接してくれない。
違うんだ、本当は。
ゾロが望むことだけを伝えれば、サンジはきっと困るだろう。
自分自身を誤魔化すように、ただ穏やかに笑って応えられないサンジを見るのは嫌なんだ。
サンジを困らたくないのに。
サンジを手放したくなどないのに。
「ゾロ」
ロビンが手を伸ばした。
その手を強く叩き、ゾロは踵を返してキッチンを飛び出した。
階段を段飛ばしで駆け上がり、部屋に飛び込んで鍵を掛けた。
中学に入ってから、2階に自分の部屋を設けた。
部屋に鍵なんて掛けなくていいと言ったのはゾロだったが、年頃なんだから鍵はいるだろ絶対と
強硬に反対したのはサンジの方だった。
子どもよりガキ臭くて、理解がある振りして一番同調していた。
ゾロの目線に合わせているようで、自分自身が幼さを留めていた不思議な“父親”
大好きだから、サンジのことを知りたいと思っている。
大好きだから、何も知りたくないと思ってしまう。
ゾロは生まれて初めて心の底から途方に暮れて、綺麗に布団が整えられたベッドにどさりと
身体を投げ出した。
「さ、お食事をいただいてしまいましょうか」
「ロビンちゃん」
飛び出したゾロを見送って、ロビンはサバサバとした表情で箸を持った。
「サンジ君も食べちゃわないと、折角のお夕飯が冷めてしまったわ」
「でもゾロが・・・」
「若いんだから、少しぐらい食べなくても大丈夫よ」
いただきます、と勝手に手を合わせて食べ始める。
それに倣って、サンジも仕方なく箸を手に取った。
「・・・ゾロ、お父さんのこと知ってたんだね」
「そうね、私も驚いたわ」
さして驚いた風でもなく、ロビンは旺盛な食欲を示している。
「ゾロとしても複雑なのよ。今まで貴方と親子であることが唯一の絆だと思っていたから、いきなり
籍を抜いて赤の他人になることに、抵抗があるんでしょう」
「そのことなんだけど」
サンジは一旦手にした箸を置いて、ロビンに向き直った。
「やっぱり、俺はロロノアの籍にいるべきじゃないと思うんだ。ロビンちゃんの気持ちは嬉しいけど」
「見極めたのは私よ」
もぐもぐと咀嚼しながら、ロビンは顔を上げた。
「私が判断して私が決めたの。勿論、貴方の意向もゾロの気持ちも尊重するわ。けど・・・」
そこでくすりと笑いを漏らす。
「5年前に帰ったときからおかしいとは思ってたんだけど・・・ゾロったら、貴方に夢中ね」
サンジはぐっと喉を詰まらせて、背を伸ばした。
「ち、ちちち違うんだよロビンちゃん」
「わかってるわよ、具体的にアクションを起こしたりしてないでしょ。彼なりに自制してるみたいだし、
貴方も隙を見せたりしてないようだし」
「ロビンちゃん〜」
「貴方は?いつからゾロの気持ちに気付いていた?」
ロビンに話を振られて、サンジは箸を弄びながらポツポツと応える。
「・・・最初から、よく懐いてくれて可愛いなとは思ってたんだ。傍から見たら懐いてるかどうかわからな
かっただろうけど、俺には・・・思い込みかもしれないけど、俺にはわかったんだ。ゾロが俺に懐いて
心を許してくれているって」
ロビンはサンジを励ますように、大きく頷いた。
「すごく直向な眼差しで、俺のことを見ててくれる。それは、大きくなった今でも全然変わってない。
ゾロはどんどん無口になったけど、目の力はずっと変わらなかった。俺、ゾロの目を見てるだけで
あいつがなに考えてるか大抵わかるんだよ」
ちょっと誇らしげにそう言って、すぐに肩を下げた。
「けど、だからこそマズイなとも思ってたんだ。ゾロは、無愛想だけど頭はいいし顔もいいし、女の子に
すごくモテるんだよ。けど特定のガールフレンドも作らないで、一応相手の子は何人かいるみたい
だけど、それはそれで心配って言うか・・・ゾロのことだからいい加減なことはしないと思うけど、でも
やっぱりちょっと適当なとこがあるから相手の子を無碍にしてるんじゃないかとか、来る者拒まず
みたいなアバウトさがあるから、やっぱりちゃんと線を引くとこは引かないととか、一度きっちり
レクチャーしとかなきゃと思うのに、いざ話そうと思うとゾロが真剣に見返してくる瞳にはやっぱり俺しか
映ってないから、そもそもそれがダメじゃんかとか思うのに・・・」
しどろもどろで意味不明な呟きに変化しつつ、サンジは頭を抱えた。
「・・・嬉しいなとか思う、俺がいる」
だから、ごめんなさい。
サンジはロビンに頭を下げた。
「ごめんなさい。命の恩人のロロノアさんの息子さんを預かりながら、俺―――」
ずっとずっと年下なのに。
未成年の高校生なのに。
俺はゾロを、好きになってしまいました。
「だからやっぱり、俺はロロノアの姓を名乗ってゾロの側にいることはできないんだ」
ロビンは頬杖を着いて、頭を下げるサンジの旋毛をじっと見詰めている。
「お互いの気持ちに、気付いてはいるのかしら」
「俺はゾロの気持ちがわかってるよ、でもゾロは知らないと思う」
「そうね、大体ゾロ自身が自覚したのも遅そうだし」
顎を指でとんとんと叩きながら、ロビンは暫く思案した。
「どちらにしても、ずっとプラトニックなんでしょ」
「勿論だよ!」
サンジは真っ赤になって顔を上げる。
「誓って言うよ、今まで俺とゾロの間にはなんにもないから。所謂微妙な空気とか、そういうものも
なかったから、ほんとに、本当に親子みたいに暮らせていたから」
「わかっているわ」
ロビンは笑い、空になった味噌汁椀をサンジに差し出した。
「まあ、おいおい考えましょう。とりあえずお代わりを頂戴」
