コードネームはラブ&ピース
『行方不明者は、何らかの催眠状態にかかっている』

それは、ムギレンジャーじゃなくとも、ニュースに無関心な人間であっても、誰でも知っていることだ。
知ってはいたが、魔獣まで催眠状態にあったとは思いもよらなかった。
その事実をこんないきなりに、どうやって伝えていいのかわからない。
素人の手つきなりに手当てを終えたところでようやく、重い口を開いた。

「ゾロ・・・・・・、おれの仲間のところに、来ねぇか?」

脳の神経を張り巡らせて、最終的に行き着いたのがそれなのだから、我ながら情けない。
けれど、自分ひとりではどうなるものでもないと、判断を下したのだ。
きっと聡明な司令官や、医学を心得ているチョッパー、他の気のいい仲間たちならきっと良い打開策を見つけてくれる。
怪訝な表情で見上げてくるゾロに、さらに言い募った。

「おれの仲間ってな、スゲーいいヤツばっかなんだ。絶対ェ、今の話しても誰も疑わねぇし、なんかの力になれるはずだ。
だから、・・・・・・ゾロ?」

聞き入っていたはずのゾロの様子がおかしい。
瞳から輝きが損なわれ、二人を包む空気がざわりと蠢いた。
がくんと俯き、地面に膝をつけたゾロから、禍々しい気が沸き立つ。
ここにいては、危ない。

「ゾ、ゾロ、どうしたんだよ。おい、悪い冗談なんかよせって、」
「・・・・・・やべぇ・・・・・・・・・逃げろッ!!」
「ゾロ!?・・・・・・ぅあっ」

ひゅん、と風を切る音がしたと思ったら、自慢の金糸がはらはらと宙に舞った。
咄嗟に避けたからこれくらいで済んだものの、一瞬でも遅れたら脳が真っ二つだったかもしれない。
サンジの背中を、ひやりとした汗が伝う。
いつの間にか抜刀したゾロが、刃先をこちらに向けて見据えている。
背負いきれないほどの殺気を纏う、魔獣の姿がそこにあった。

今まで魔獣と対峙する時はいつでも5人一緒だった。
それでも捕縛することはかなわず、逃げられてばかりだった。
今回はサンジひとり、無傷でここを切り抜けられるとは思えない。
安全面を重視すれば、逃げる方が得策だということはわかりきっている。
けれどもう、ゾロを知ってしまった今、ここで引き下がるわけにはいかないのだ。

感情を持たないその顔で、ぺろりと舐めた刃は、真っ赤な一振り。
月の光を反射させ、凶悪な刃が次々と迫り来る。
それをひらりひらりと軽いステップで交わしながら、胸元のムギワラバッジに手を伸ばした。
バッジはムギレンジャーの一員の証というだけではなく、緊急用コールにもなっているのだ。
発信ボタンを押す寸前、それは手の中から弾かれ、ぽぉんと飛び立つ。
地面に放り出されたそれは次の瞬間、血塗られたような剣に垂直に貫かれた。
ただのガラクタと化した通信機だったものが、自分の姿と重なってゾっとする。
地面から剣を引き抜いた『魔獣』と目が合った瞬間、ぶわっ、と風が巻き起こった。

(やべ・・・ッ!!)

慌てても、もう遅かった。
胸にがつんと衝撃が走ったかと思ったら、夜空がぐるんと回転した。
どう、と倒れたサンジが次に目にしたのは、自分を見下ろす氷のように冷え切った瞳と、頭蓋を割らんと振り翳された切っ先。
見る間に迫ってくるそれから、目を伏せることも出来ない。

まるで走馬灯のように脳裏を駆け巡る映像が、いかにも死にかけているのだと自覚させる。
たった19年の歳月の思い出の最後に、ゾロの笑顔が浮かんだ。
屈託もなく笑ったゾロ。
会ったばかりの自分を「信じる」と言ったゾロ。

「ゾロッ・・・・・・・!」

――――――静寂を切り裂くように上げられた声と、剣が空を裂いた音が響いたのは、ほぼ同時だった。






顔の真横に突き立てられた剣は、頭蓋ではなく頬を掠めていったようだ。
顔の右っかわが、熱を持ったように痛む。
死んだ、はずだったのに。

サンジの青い瞳は、『魔獣』をずっと凝視したままだった。
俯くその表情は、ほの明るい月の逆光のためか見えない。
しかし今は見えないその瞳が、名を呼んだ瞬間に動揺に揺らめいたのを、たしかに見た。

「・・・・・・ゾロ・・・」

もう一度呼んでみたが、ピクリとも動かない。
おそるおそる手を伸ばし、穏やかなみどり色をした髪に触れてみる。
さく、さく、と優しい感触が、汗を握り締めていたてのひらを撫でる。

「ゾロ、・・・ゾロ、おれは大丈夫だから。レディじゃあるまいし、顔の傷なんか気にしねぇし。だから・・・・・・おまえも、もう大丈夫、だから」
「・・・・・・」

慰めるように話しかけていると、ゆっくりと時間を掛けながらも刀を開放していく。
宙に放たれたその手を、頭に触れていないもう一方の手でそうっと包み、何度も名前と「大丈夫」を繰り返す。
ゾロに言い聞かせるというよりも、自分を落ち着かせるためだったのかもしれない。

背中に当たる地面の温度は冷たいけれど、寒いとは感じなかった。
ようやく、じっと伏せていた顔がわずかに上げられて。
見上げたその顔は間違いなく「ゾロ」で、体中の緊張は解けないままにふにゃりと微笑んだ。
何度か瞬かれたゾロの瞳はまだ混沌とした光を放っていたが、自分の下敷きになっているのがサンジだと確認するやいなや
瞼を大きく押し広げた。

「お、おまえ・・・血が・・・・・・!?」
「なんてことねぇよ。大丈夫だ。ちゃんと起っきしたか?もう寝惚けてねぇな?」
「それ・・・・・・おれ、が・・・」
「だから、どってこたねぇって。てめぇがあんまりナマクラだったんで甘く見てたらよろけただけだ」

ぽんぽん、と背中を叩いてニヤリと笑って見せた。
強がりだと哂われようと、これがサンジの意地だ。
責めるような泣き言なんて、死んでも言うものか。
だから、前向きな言葉をその舌に乗せた。

「・・・なぁ、おれの仲間に会えよ」
「だが、おれがもしまた・・・う・・・・・・―――!」
「ゾ・・・・・・!?」

いきなり頭を抱えたゾロに驚き、慌てて体を起こそうと肘をついた、途端に。
にゅっ、と太い腕が伸びて来て、サンジの細い首を地面に縫い止めた。
見上げたその瞳は、底冷えするような異彩を放っていて―――

ぐっと息が詰まった。
ぎりぎりと恐ろしいほどの力で締め上げてくる。
窒息死するのが先か、それとも首の骨をへし折られるのが先か。
さっきまで遠のいていたはずだった死神が、足音も立てずに近付き見下ろしている。

「・・・・・・ッ!!」

叫ぼうにも、言葉が出ない。
無意識に涙が溢れ、視界を濡らす。
だんだんと意識までも遠のいて、魔獣の姿さえぼやけてしまいつつある。

さっき仲間に会えと言った時、「おれがもしまた、おまえを襲ったらどうする」と言い掛けた。
問いに対する答えは、「そんなもん気にしてどうする」だ。
「てめぇなんかにやられるタマじゃねぇ」って、サンジはそう答えるつもりだった。
こんなところで死ぬつもりなんか、毛頭ない。
だから、生と死の狭間でサンジは最後の力を振り絞って、―――――にこりと微笑んだ。



「・・・・・・・ぐッ!!」
「・・・かはッ!ゴホッ・・・ゴフ、」

ほんのわずかに力を緩められた瞬間を、見逃すはずがない。
幼いころから鍛え上げられた足技と戦闘経験値を、甘く見てもらっては困る。
自らの武器である長い足に乗り上げた足を横に払い、魔獣がバランスを崩したのを見計らって、割り入れた膝をおもいっきり
鳩尾に喰らわせた。
首を締め付けていた屈強な腕は離れ、途端に大量の空気がなだれ込んでくる。
至近距離からの蹴りで威力は半減したが、気道の確保にはなんとか成功したようだ。
しかし、また暗い世界に引き摺りこまれるのは時間の問題かと思われる。
逃げるには絶好の機会なのに。
空気の奔流ごときで、呑気に噎せ返っている場合ではないのに。

ゆら、と魔獣の上体が揺れ、サンジを見下ろしている。
ぶち込まれた攻撃に激昂するでなく、けれどいつもの冷徹な、温度を感じさせない金に光るガラス玉でなく。
獰猛な何かを、奥に隠しているような。
背筋に、戦慄が走る。

またも腕が伸ばされたのを視界の端で確認したサンジは、咄嗟に首をかばった。
けれどその腕が掴んだのは、首の少し下の辺り。
着込んだシャツの合わせ目に手を掛けた魔獣は、勢いそのままにぐっと引っ張った。

何が起こっているのか理解する暇もなく、プチプチと呆気なくボタンが飛んだ。
冷たい夜風が晒された肌を撫でたかと思ったら、今度こそ魔獣が首筋に喰らいついてきた。

(痛ェ・・・ッ!)

がぶりと歯を立てられたそこは、どんどん痛みを増してくる。
まさかこのまま食い殺すつもりかと思ったが、噛み締める力は急に弱まり、首筋に血が滲んだ歯形を残して顔を上げ。
痛みから解放されたのと同時に、ふと太ももに当たる違和感に気付いた。
サンジの両足を跨ぐように魔獣が乗っかっているはずなのに、何か硬く出っ張っているものが太ももに擦りつけられている。
呆気に取られている間に、また首筋に喰いつかれた。
けれど今度は先刻みたいな痛みはなく、ガブガブと噛み跡をくっつけながら徐々に首から下へ。

一瞬浮かんだ考えを、これまた一瞬で否定した。
まさかそんな、そんなこと、あろうはずがない。
いくら魔獣であっても、まさか。
あきらかに意図的に擦りつけてるような気がするけれども、そんなはずが。

ぐいっと腰に圧迫を感じた次の瞬間、バチン!と酷い音がした。
「え?」と慌てて首を動かして下半身を見ようとするが、あいにく視界はどでかいマリモが占領している。
けれど、見なくても何が起こったのかはわかる。
バックルが馬鹿力でもって破壊されたとか、そのついでにジーンズのボタンも弾け飛んだとか。
たった今、ジーンズと下着を一緒くたに引き抜かれたとか。
そしたら上に乗っかっているケダモノも、履いてるもんを取っ払ってしまったとか。
さっき布越しに擦り付けていたと思われるモノを、今度は直に擦り付けてる、だとか。

『えーーーーーー!?嘘でしょ何それマジありえない!!』

今夜デートのはずだった彼女に電話した時の第一声は、コレだった。
ごめんね仕事(?)で遅くなっちゃって、と平謝りしたにも関わらず、ちっとも聞き入れてくれなかった。
ああ、今なら彼女の気持ちが痛いほどよく分かるかもしれない。
ええええええうそでしょなにそれまじありえない。
膝の裏に手を回されて、硬いモノを信じられないところに捻じ込まれようとしているなんて、まじありえない。
うそでしょだれかうそだといって。
てかいてぇいてぇひろげんなこのくそばかやろう。



「あら、お取り込み中?」

不意に、あらぬ方向から女性の声が聞こえた。
いやあの今言って欲しいのはそのことじゃなくて、と現実逃避真っ最中の頭で突っ込みを入れたが、今の状況にハッと気付いた。
ばっと辺りを見回せば、スーツ姿の女性がこちらの様子を伺っている。
つん、と眼鏡をかけ直す仕草が、知的で大人っぽい。

何者だろうか。
いきなり夜の公園でホモの合体直前に出くわした場合、普通の女性だったらもっとこう、違うリアクションがあってもいいような気がする。
そう意識の片隅で考えてはいるものの、こんな姿を女性に見られたショックと現在進行中のケツの痛みに翻弄されていては、
まともな答えなど出てきそうにない。

「今日は帰ってくるのがやけに遅いと思ってけれど、まさかお楽しみだとは思わなかったわ。待っててあげるから、さっさと終わらせて
殺してしまいなさい」

にっこりと笑みを湛えた顔で放たれた台詞には、考えるところがいっぱいあるはずなのに。
ぐりぐりと押し付けられていた異物がメリ、と尻にめり込んできて、思考能力などほとんど役に立っていない。
得意の現実逃避も出来ず、ただただ「痛い」だけで埋め尽くされている。
この痛みだけで、死んでしまいそうだ。
ぐらり、と意識を失いかけたとき。

(・・・・・・・・!)

何かが、聞こえた。
助けを求めるあまり、幻聴まで聞こえてきたのだろうか。
いや、でも。

「サンジーーー!!」

道路脇の植え込みを突き破って現れた男を視界の端で確認したら、涙が出そうになった。
ムギレンジャーのリーダーであり、サンジがこの世で最も厚い信頼を寄せる男、ルフィ。
トレードマークの麦藁帽子が幻ではないことを祈りながら、ゆっくりと混沌の中に引きずり込まれていった。











〜魔獣を捕まえろ大作戦〜 【2】