結

-yui-

村の外れの森近く、小さいけれど霊験あらたかな祠があった。
元は農耕神の稲荷であったが永く主はおらず、その間にいつの頃からか一匹の狐が棲み付き、
日々を暮らすうちに神通力が備わったのか、今では立派な稲荷神となり代わっている。

誰に呼ばれた訳でもないが、狐の名はサンジ。
最も得意な御利益は“縁結び”



その昔、村の娘の一途な願掛けを、狐の身ながら東西奔走して良縁に結び付けたのを契機として、
“恋稲荷”の異名をとるまでに有名な祠となった。
その一生懸命さが天にまで通じたか。今では人を見るだけで縁の糸が見え、寿命と宿命とを合わせ
見てサンジがこれと見越した相手と糸を結ぶことができる。
つまり、すべて女性本位の縁結び。
故に、常に全力投球でほぼ間違いがない。
実に霊験あらたかな縁結びのお稲荷様なのだ。

今日も今日とて、祠の裏から異界に続く誰にも見えないサンジの部屋で、煙管片手に村の娘の
行く末をあれやこれやと思案している。
「おたまちゃんには庄屋のボンボンか・・・ちいと苦労する時期はあるけど、芯の強い子だからまあ、
大丈夫だろう。んでもっておきぬちゃんは・・・。うーん、今は権兵衛に夢中でも、後2年待てば
田吾作がいい男になって戻ってくんだよな。・・・やっぱこっちのがおきぬちゃんのためだ」

最近は恋稲荷の名が広まったのか、隣の隣のその隣くらいまで遠い村からも、娘が祈願にやってくる。
どれも一途で可愛い娘ばかりなもんだから、サンジ稲荷は忙しい。
無論、少数だが男も願掛けにやってくるが、これはすっぱり綺麗に無視だ。
お蔭で男の願掛けは効かないことも、この辺りでは周知されていて気兼ねもいらない。



「んで次は・・・と。また『ゾロ』か」
煙管を火鉢にかつんと当てて、忌々しげにすぱーと吹いた。
ここのところ、願掛けにやって来る娘のお目当てに『ゾロ』が多い。
どうやら旅の浪人らしいが、百姓や商人しか目にしたことのない村娘達には物珍しさも手伝ってか、
容易く心奪われる対象なのだろう。

「・・・ったく、あちこちで娘誑かしてんじゃねえぞ」
基本的に野郎嫌いなサンジは、モテる野郎はもっと嫌いだった。
狐じゃなかったら可愛い村娘と恋に落ちるコトだってできただろうに、哀しいかな異形の身。
生れ落ちた時から、何故か他の狐よりも明るい色の毛並みだったが、稲荷神となった今では人間の形を
取ることもできるようになった。
けれど髪は黒に染まらず夜目にも輝くような金色のまま、肌の色も娘より白く、瞳は空の青を映した
ように澄んでいて変えることができない。
オマケに大きな耳と尻尾は隠し切れず、どう見ても人間でないのは明らかなので、人前に姿を現した
ことは一度もない。
時折願掛けに来た娘の枕元に立って、恋愛指南をするのが関の山だ。

人知れず切ない溜息をついて、サンジは虚空蔵に意識を飛ばした。
この「ゾロ」とやらがどういう縁を持っているか見定めて、必要とあらばこの娘達の誰か一人と結んで
やらなければならない。
なるべく穏やかで満ち足りた人生を娘に送らせてやるための、大切な仕事だ。
あくまで娘第一に想っての作業だが。

サンジの「眼」は千里を走り、隣村の地蔵坂の木陰で昼寝する「ゾロ」を捉えた。
逞しい体躯を伸び伸びと草原に投げ出し、傍らに無造作に刀を置いて軽く寝息を立てている。
なるほど、確かに顔の造作は整って見目が良い。
目を閉じていても精悍な顔立ちで、田舎娘が逆上せ上がりそうな男気に溢れている。
無防備に見えて、気に聡く鋭敏だ。

「眼」だけでも気配を察せられそうで、サンジとしては珍しく遠慮がちに観察した。
果たして、この男の縁の糸は誰に繋がるのか。
娘達の願いよりも、むしろこの男に興味を覚えて、サンジは見えない糸を手繰り寄せる。
けれど――――
この男には何もなかった。






木の股から生まれた精霊でもあるまいに、れっきとした人間でありながら、この男に縁の糸はない。
幾人かとの出会いも、情を交わす相手もいながらどれも留まることを知らず、男の中から消え去ってしまう。
ひたすらに求めるのは強さのみ。
歩むのは修羅の道。
後に残るは屍と“人斬り”の異名だけ。
恨みも憎しみさえも、男に纏ろうことはできない。

サンジは、先のない男の糸をじっと見つめた。
こんな糸を見るのは二度目だ。
けれどこの男はれっきとした人間で、自分のような妖まがいではない。
人と人の間に生まれ、人の世を生きながらもこのような縁のない生を送ることもあるのかと純粋に驚き、
俄かに男に興味が湧く。

お前、寂しくはないのか。
誰かと共に生き、死にたいとは願わないのか。
本人が望むなら或いは縁の糸も変わるだろうに、それがないということはこの男はさだめのままに
生きるのだ。
愛を、情を知らず、温もりを求めることなく、ただ独りきり。
修羅の道を―――


サンジは少し、口惜しくなった。
人の身でありながらこんな運命をものともせずに受け入れて、ただ飄々と生きていくなんて、生意気な。
狐でもなく神でもなく、ただ心のままに生きてきた己ですら、時折人恋しく想うものを。

ほとんど衝動的な腹癒せも兼ねて、サンジはもう一つの糸を手繰り寄せる。
どれほど情けを求めても、所詮は獣の身でしかない、哀れで寂しい半妖の縁。
二つの糸を手に持ってむうと口先を尖らせていたら、不意に視線を感じた。
気付けば、ゾロは目を開けてじっとこちらを見上げている。
―――あれ、見付かった?
つうか、いつの間にか本体がこっちに飛んじゃってたっけか?
間抜けにもビビりつつ、どうしていいかわからないでサンジは止む無くへらりと笑い返す。

「はて面妖な・・・狐にでも化かされたか」
男も至って暢気なもので、そう呟くとごろりとそのまま寝返りをうった。
「おいおい、んで寝直すのかよ」
思わず突っ込めば、片目だけ開けて見やる。
「お、狐が喋った」
「うっせ、悪いか」
一応人間の姿形はとっているはずなのに、一目で狐と看破されたか。
ちょっぴり自信を無くしたサンジ狐の、耳がひょこりと元気なく垂れる。
「いや、悪くねえ」
男はよっこらしょと身体を起こすと、その場で胡坐を組み軽く見上げた。

「いいからちいと降りて来い。そんなところで高見の見物もねえだろう」
そもそも、中空に人ならざるものが浮いていたらもう少し驚いたっていいはずだ。
せめて「おっ」とか「ぎゃっ」くらい言ってもらえないと張り合いがない。
けれどまあ、こうして誰かに招き寄せられるなんてことも初めてで、サンジはなにやら浮ついた
気持ちでふらふらとゾロの傍に降りた。

「変わったナリだな。どうせ化けるんなら、もう少し上手く化けたらどうだ」
「・・・うっせえ」
男の言葉が一々癇に障る。
上手く化けられないからこうなのだ。
「元々、俺の姿を見られるてめえのがおかしいんだ。普通は見えねえ、気配を感じる奴あいるがな」
言ってからはっと気付いた。
いつの間にかゾロの糸と己の糸を、一緒に片手で握っていた。
これでは見えてもおかしくない。

「そもそもお前は雌なのか雄なのか。なんで襦袢着てるんだ」
「女形でいる方が神通力は高まるんだ。憧れの茶枳尼天様にちーっとでも近い方がいいだろうが。
っつうか、どこ触ってんだ、てめえはよ」
ゾロは物珍しそうに袖をひっくり返したり帯を引っ張ったりして、サンジの胸にも頓着なく手を這わす。
「耳と尻尾は狐なのに、ちゃんと身体は人間なのな。んで雄か」
人間に話しかけられるのは元より、触れられるのも初めてで、自然と尻尾が下がって丸まる。
それをぐいと持ち上げられて、思わす毛を逆立てた。
「触んな馬鹿っ、この無礼者!」
「ああ悪い」
素直に詫びて手を離されると、却って拍子抜けだ。
サンジは着物の裾を合わせ直すと、尻をずらしてゾロを睨みつけた。

なんとまあ無作法で遠慮のない。
だが、これほど無縁な育ちをしていて、この屈託のなさはなんなのだ。
もう少し捻くれたり荒んだりしていてもおかしくない筈なのに、性懲りもなくサンジの尻尾の先を
握って興味深そうに弄んでいる様は、子どもじみてさえ映る。

「お前、俺が怖くないのか」
「いや、別段」
応えてから、なにやら思案気に顔を曇らせた。
あっさりと否定したのも却って失礼と思い至ったのか。
「怖くはない、が。勿論、珍しいと思うぞ」
これが彼なりの言葉の付け足しかと思うと、怒る気も失せる。

「孤高の鬼か。人里に落ち着かぬお前のようなものこそ、狐狸の類と見間違われようぞ」
狐に嘲笑われるとは思いもしなかっただろうが、ゾロは片眉を僅かに上げて見せただけだ。
サンジは片方の手を掲げ、途切れた二つの糸を見せた。
「お前にも見えるだろう。これは俺とお前の糸だ」
「糸?」
「そうよ、縁の糸。人間誰しも、誰か彼かとこの糸が通じ、或いは交わり縁を紡ぐ。だが・・・」
人差し指と中指の間に糸を挟み、はらりと掌を広げて見せる。
「お前には、繋がるべき糸がない。どこにも」
サンジの声音は、残酷さを秘めて冷たく響く。

「この広い世界の果て、どこまでも続く空の果てにもお前の結ぶ縁はない。この先その命が果てて尚、な」
恐ろしかろう、寂しかろう。
それは永久に続く暗闇に似ている。
誰とも交わせぬ約束は意味を成さず、生きる意味さえも見失う、絶望という名の孤独。

「そうか」
だがゾロは、満足そうに微笑んだ。
「ならばいい。俺は俺の道を行ける」
それは決して強がりではない、心からの安堵の呟き。

「ばっか野郎、人の分際で生意気なこと言ってんじゃねえ」
とうとうサンジはぶち切れて、糸と糸とを両の手に分けた。
「いいか、こっちは俺の糸だ。このままてめえが縁切れなら、この糸と繋げちまうぜ。どうだ」
どうだと言われて返す言葉もなく、ゾロは首を傾ける。
「所詮は儚い人の身の上で、未練も執着も見せないでぱっと咲いて散るような、そんな生き様曝すなんざ、
生意気なんだ」
身も蓋もない道理だが、狐が怒っているのはわかった。
だからゾロは云と頷く。
「構わん」
「は?」
「てめえがいいなら、その糸繋げ」
「・・・いい、のか?」
だって俺は狐だぞ。
人でもなく、かと言って神でもない。
中途半端に神通力の備わった、元はただの獣だ。
人と相い成すことさえできない。

「わかってんのか?この糸を繋いじまうと、今生は俺とお前の縁は繋がっちまうんだぜ」
「別に構わんが、お前こそいいのか?」
「あ、俺?」
切り替えされると思っていなくて、サンジはぱちくりと目を瞬く。
「俺あてめえも知っての通りの独り身で、戻る場所も行く当てもねえ。だが目的はある。世の中の
『強い奴』を探して勝負してえってのは、もう俺のサガみてえなもんだ。だから一つ処にゃ留まれねえ」
それはサンジも「視た」
「てめえはどこへでも憑いていける身なのか?物の怪の性質はわかんねえけどよ」
そう言えば、とサンジは改めて思う。
元々祠に棲み付いてから変化した身だ。
あの稲荷で人の願いを叶えて暮らしたからこその今の姿であるとすれば、土地の力もあり得るだろう。
あの場所を離れたなら徐々に神通力は失われ、やがて淡雪のごとく消える日が来る。
―――もって十年ってとこか
だが、目の前の男の寿命は後五年だ。
なんだ、充分看取れるじゃねえか。

「問題ねえ」
考えるより先に口に出てしまった。
それに応えて、男は嬉し気に破顔する。
その笑顔に背中を押されたように、サンジはそっと手の中の糸を結んだ。


すぐに一本の細い糸になって、掌から溶けるように消えた赤い名残をじっと見つめていたら、
男は背中に寄り添うように身体を寄せてきた。
「お前のナリは変わらねえのか?」
「・・・しょうがねえだろ、このままか・・・狐しかねえ」
「じゃあ、人目のあるときは狐になれ。狐飼いなら珍しくねえだろ」
「狐付きの浪人なんて、充分珍しいぜ」
顔が近くに寄り過ぎている。
ここまで来て逃げるわけにも行かず、ただ片耳をぴょこりと下げて困った表情を見せるサンジに、
ゾロは愛し気に目を細める。
「悪くねえ、誰もいない時はその姿でいろよ」
「えらそうに・・・」

怒った振りをして顔を背けようとしたら、顎を掴まれた。
そのまま引き寄せられて、きつく抱き締められる。
初めて合わせた唇は、驚くほどに柔らかかった。


ほどなく、地蔵坂の地蔵様達はみんな揃って居眠りを始めてくれた。



















霊験あらたかな恋稲荷の祠には、主が去った今でもお参りに訪れる娘は絶えない。
恋が実っても実らなくても、精一杯心を尽くせば、やがて幸せはすぐ傍にあったことに気付くのだ。
常に美しく掃除され供え物のある祠には、間もなく新しい神が宿るだろう。





ただの物の怪に成り下がったサンジ狐だったが、今までの功績を評価されてか、
最後の力だけは残されていた。

この世の終わり、息絶える間際に、来世への糸を紡ぐこと。
サンジは迷わず、たった一つの糸を手繰り寄せ、想いをこめてきつく結んだ。


以降、何度も生まれ代わり死に代わり―――
それでもその力だけは失われず、今わの際に糸を手繰っては結び続ける。

何度も

何度も







  END







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